足利家 武将名鑑


「信長の野望 Online」の「足利家」に登場する武将達のプロフィールを紹介しています。

片桐 且元 渡辺 了 田中 吉政 小川 祐忠 脇坂 秀勝 阿閉 貞征 小堀 政次 新庄 直頼 弓削 家澄 藤堂 高虎 安養寺 氏種 宮部 継潤 月ヶ瀬 忠清 磯野 員昌 井戸村 光慶 井口 経親 浅井 長政 浅井 久政 雨森 弥兵衛 海北 綱親 赤尾 清綱 遠藤 直経

中川 清秀 三淵 晴員 大館 義実 朽木 元綱 伊丹 親興 細川 昭元 一色 藤長 和田 惟政 槙島 昭光 山岡 景隆 曽我 尚祐 柳沢 元政 松井 康之 荒木 村重 彦部 信勝 和久 宗是 足利 義輝 足利 義昭 細川 晴元 京極 高吉 池田 勝正 細川 藤孝
・未所属
下津 一通
津田 重久
沼田 元清
野村 定常

京都のお公家様 
菊亭 晴季
山科 言継
万里小路 福光
喜佐院 道明
蜷川 親長 上野 清信 伊勢 貞孝 細川 藤賢 真下 元種 御牧 景重 狩野 光茂 小笠原 種盛 荒川 晴宣 浅見 貞則 河毛 清旨 大野木 秀俊 樋口 直房 三田村 国貞 久徳 義時 今村 氏直 多賀 常則 岩脇 定政

=足利家 当主=
足利 義輝 (あしかが よしてる) Lv55 大名 総大将
「今や、諸国の守護職にあった名家は廃れ、実力でのし上がった出来星大名がのさばっている。 それが今の世の中よ。 だが、ある意味、俺はそれでよいと思っている。
力のあるものが諸国を支配するのは当然のこと。 十分な力なくして、庶民の暮らしを安んじることはできぬ。 むしろ、力ある者が支配者となる今の世こそ民にとってはよい世なのかも知れぬ。
それゆえ、この義輝も、今後は守護職には真に実力のある者を任命するつもりだ。 出来星大名であろうと実力があれば構わぬ。
力と、守護職の権威。 この二つが揃えば、諸大名による支配も安定していこう。
その諸大名を、我が将軍家が統べる。 さすれば、天下に平穏をもたらすことができる……。 そう考えておるのだ。」

室町幕府 第13代将軍。
剣豪・塚原卜伝、剣聖・上泉信綱 から免許皆伝を得た剣豪将軍。
斜陽の室町幕府を背負い、権力闘争と権謀術数の渦巻く京の町で、幕府権力の再興に燃えた 神当流 と 新陰流 の使い手。
幕府外交を駆使して諸国の大名を後ろ盾に、再び室町幕府の再興を狙うが、その非凡な才能は 乱世の梟雄・松永久秀 の毒牙を呼び、不意の刃に散った。
足利 義輝、および 足利家 についての詳細は こちら をご覧下さい。
部隊アイテム
獅子奮迅刀 = 刀。 攻撃52、耐久60。 気合+80、腕力+4、器用+2、魅力+2。

=足利家 武将詰所 (小屋敷)=
荒川 晴宣 (あらかわ はるのぶ) Lv44 鍛冶屋 敵先陣後詰
「ふう・・・。 武芸を極める道のりは、まだまだ長いですな。」

「荒川家」 は 「足利将軍家」 や 室町幕府の名家 「細川家」 の一門(親族)の家柄である。
しかし、かなり遠い親類なので、家臣としての身分は低かったようだ。

代々、足利将軍家の「番衆」(見張り番の役人)を務めていたようで、古くからの家臣ではあるが・・・ 特に目立った人物ではなかったと思われる。


御牧 景重 (おまき かげしげ) Lv46 陰陽師 敵中陣後詰
「……最近、当家の侍になりすまし、城内に侵入を図ろうとする輩がおると聞く。 修行も大事だが、お主の使命は殿をお守りすることだということを忘れるなよ。」

足利将軍家に仕えた 「奉公衆」 の1人。
奉公衆とは戦時・平時を問わず、交代で将軍の側に付き従っていた家臣たちのことで、戦国大名にも元奉公衆の家柄の人が多くいる。

御牧景重 は 足利義輝 が暗殺された後も奉公衆として仕えていたが、のちに 織田家 の重臣 「明智 光秀」 の家臣となった。
そして 「本能寺の変」 で 明智光秀 が 信長 を討ち倒した後、羽柴秀吉 と 光秀 が戦った 「山崎の合戦(天王山の戦い)」 に参加。
明智光秀 が敗れると、光秀に退却する事を勧め、そして自らは しんがり として敵中に突入し、戦場に散った。


小笠原 種盛 (おがさわら たねもり) Lv44 侍 敵先陣後詰
「今は一同団結の時。 身内での争いが、最大の敵であると思え。」

室町幕府において、「管領」 というトップクラスの役職にあった家柄 「細川家」 の家老。 また、細川家の一門衆(親族)でもあった。

細川家 と 足利将軍家 は、ある時は敵、ある時は味方といった形で微妙な関係にあったのだが、足利義輝 が将軍に就いて以後は協力関係にあり、小笠原種盛 も 細川家 と共に将軍家に仕えていた。

しかし、足利義輝 は 三好家 の重臣 「松永久秀」 と 「三好三人衆」 に急襲され、暗殺されてしまう。
このとき 小笠原種盛 も 三好家 の軍勢と戦い、戦死した。


蜷川 親長 (にながわ ちかなが) Lv48 神主 敵後陣後詰
「色々と、物騒な話も聞いておるからな。 外に出る際には、十分気をつけるのだぞ。」

とっても名前が読みにくい人。 「にながわ」 と読むらしい。
室町幕府の 「政所(まんどころ。政務・財務など統括する部署)」 の役人を務めており、「蜷川家」 は代々その職に就いていたという。
ところが 足利義輝 が暗殺され、足利義昭 も追放されて 室町幕府 が滅亡してしまったため、浪人になってしまった。

その後、四国の大名家 「長宗我部家」 に仕官、京都の名家の出身だけあって礼法や連歌に優れていたため重用されたのだが、長宗我部家は 「関ヶ原の戦い」 で西軍の豊臣側に付いて負けてしまったため、東軍の 徳川家康 に取り潰され、また主人が滅亡してしまう。
だが、長宗我部家の取り潰しの際、残った財務処理に手腕を発揮し、さらに一揆の鎮圧にも功績があったため、その後 徳川家 に旗本として取り立てられ、家康 の御伽集(おとぎ衆。お話などをする役職)になっている。

= 足利家 奥屋敷 =
伊丹 親興 (いたみ ちかおき) Lv45 薬師 与力 中陣左翼副将
「戦いが長期に及ぶときは、相手の技を見切ることだ。 ・・・これが、なかなか難しいのだがな。」

摂津(現在の大阪)の国人(地元の領主)の1人。
室町幕府 のトップクラスの役職である 「管領」 の地位にあった 「細川家」 の家臣であり、戦国時代の初期に 細川家 が 「細川 晴元」 と 「細川 高国」 の2つに分かれて後継者争いになったときは、「細川晴元」 側に付いている。

摂津に侵攻してくる 三好家 と激しく戦っていたが、足利家 と 細川家 が 三好家 によって京都から追放されると 三好家 の配下となった。
しかし 織田信長 が 足利義昭 を奉じて京都に進軍してくると、信長 に従い 三好家 と再び敵対、その後、同じく摂津の国人であった 「和田惟政」 「池田勝正」 と共に摂津の守護を命じられた。
だが、信長 に従ったのは 織田家 が 将軍家 を擁護していたからであったようで、足利義昭 が 信長 と対立し始めると足利家側に付き、信長と敵対。
しかし翌年、織田家 の武将となっていた 「荒木 村重」 に攻め込まれて敗れ、城は落城し、彼も戦死した。
彼の肖像画と鎧は、今も現存している。

ちなみに 今川家 にいる 「伊丹 康直」 は親類なのだが、彼の 伊丹家 は 細川家 が分裂した時に 「細川 高国」 側に付いたため、「細川 晴元」 の軍勢に攻められて滅亡してしまった。
そのため 伊丹康直 は摂津から脱出し、はるばる 今川家 に逃れたという。
部隊アイテム
伊丹の金剛杖 = 杖。 攻撃24、耐久56。 生命+10、気合+30、土+2。
ドロップアイテム
大和守の金剛杖 杖、僧・神・陰・薬、Lv 11。
攻撃25、耐久56。 生命+10、気合+30、土+2。


下津 一通 (おりづ かずみち?) Lv35 鍛冶屋
「最初の頃は、何かと武器ばかり新調しがちだが、大事なのはむしろ、命を守る防具のほうだぞ。」

やや正体不明だが・・・
三好三人衆 の1人 「岩成 友通」 を討ち取った 「下津 権内」 という武将のことだと思われる。

下津権内 は 「細川 藤孝」 の家臣であり、細川藤孝 が 織田信長 の配下となった後に主に活躍していて、信長 と敵対した三好三人衆の1人 「岩成 友通」 を取っ組み合いの末に討ち取り、さらに 織田家 が 雑賀衆 を攻めた際には一番槍の手柄を立て、信長から賞賛されたという。

なお、苗字はおそらく 「おりづ」 と読むが、名前の読みがよく解らない・・・
もしかすると 「イッツーさん」 かもしれないが・・・ 麻雀みたいでアレなので、とりあえず別の表記にしている。


三淵 晴員 (みつぶち はるのり) Lv44 侍 侍大将 先陣中翼
「藤孝は……細川藤孝は我が息子よ。 だが、わしより遥かに器量の優れた武将。 大きな声では言えぬが、本家の晴元どのにも勝るであろう。
何? 藤孝は、前将軍のご落胤ではないか、と? 余計なことを語るつもりはない。 誰のためにもならぬことなど言う必要はあるまい。」

室町幕府 の役職 「管領」 の地位にあった重臣 「細川家」 の家臣。
そして、戦国一の文化人 「細川 藤孝」 の父である。

三淵晴員 は元は 細川家 の一族で、三淵家 には養子として入った。
だから彼の子が再び 細川家 に入ったのは、元の家に戻った、とも言える。

戦国時代の初期、細川家がいくつかの勢力に分裂している頃、足利義輝 の父である 12代将軍 「足利 義晴」 は 「細川 晴元」 の軍勢と対立していて、この時に 三淵晴員 は 足利義晴 と共に 細川晴元 と戦いを繰り広げていた。
しかし結局 敵わず、足利義晴 と共に近江へと落ち延びる。
そしてこの近江で 足利義晴 は息子 「足利 義輝」 に 将軍職 を譲り、三淵晴員 の子 「細川 藤孝」 はその側近となった。

セリフにある通り、細川藤孝 は実は 足利義晴 の隠し子で、足利義輝 の弟だという説がある。(つまり 三淵晴員 はただの養父)
確かに 細川藤孝 の立場や境遇を見ると、そう思えない事もない・・・
そのため当時から噂になっていたのだが、しかし真相は、もちろん今では闇の中である。
部隊アイテム
三淵隊の長弓 = 弓。 攻撃20、耐久36。 器用+3、土+1、火+2、風+2。
ドロップアイテム
三淵の梓弓 弓、侍・神、Lv 13。
攻撃21、耐久36。 器用+3、土+1、火+2、風+2。


和田 惟政 (わだ これまさ) Lv46 忍者 目付 中陣右翼大将
「荒木村重どの、中川清秀どの……ともに優れた武将です。
しかし、どうもそりが合いません。 いつの日か、決着をつける時が来るように思えてならないのです。 無用な争いなど避けたいものですが……。」

「和田家」 は 近江 の 甲賀地方 の国人(地元の領主)で、甲賀忍軍 を形成する 「甲賀五十三家」 の1つでもある。
つまり 甲賀忍者 の家柄でもあり、信On でも彼の父 「和田 宗立」 は 伊賀忍 の所属武将となっている。

京都 で権力闘争に敗れた 足利義輝 の父である 第12代将軍 「足利義晴」 は、近江に落ち延びて甲賀にもお世話になっていた。
その縁で 和田惟政 は将軍家の家臣となり、足利義輝 が 三好家 の重臣 「松永 久秀」 に暗殺された際には、義輝の弟 「足利 義昭」 を保護して彼を将軍にするために奔走した。
結果として 織田信長 がそれに応じ、信長 は 足利義昭 を奉じて京都へと進軍。
以後、義昭の将軍就任に尽力し、さらに 信長 から 「摂津」 の守護も命じられ、信長 と 義昭 の取り次ぎ役として重要な地位を務めた。
また、「キリスト教」 に深い感銘を受け、宣教師の保護にも尽力。
織田信長 に有名な宣教師 「ルイス=フロイス」 を紹介したりもしている。

しかしその後、足利義昭 と 織田信長 が対立し始めると板挟みにあってしまう。
結局 彼は信長側に付いたのだが、義昭 の呼びかけに応じて 反信長側 に付いた 三好家 と、摂津の守護の1人 「池田家」 の激しい攻撃を受け、戦死した。
この時、敵となった 「池田家」 にいた武将が、セリフにも出てくる 「中川清秀」 や 「荒木村重」 などである。

ちなみに・・・ 「ルイス=フロイス」 は戦国時代の様子を記した一級の歴史資料 「日本史」 を執筆したポルトガルの宣教師で、NHK の大河ドラマ 「信長」 のナレーション役として、「あてぶれ〜べ・おぶりが〜ど」 と言ってた人である。
部隊アイテム
フロイス日本史 特殊装備。 防御3、耐久8。
生命+10、知力+3、魅力+5、水+1。
ドロップアイテム
惟政のロザリオ 首装備、全職装備可能、Lv15。
防御13、耐久19。 生命+10、知力+3、魅力+5、水+1。


松井 康之 (まつい やすゆき) Lv47 僧 目付 後陣中翼副将
「訓練と実戦をともに経験してこそ、一人前になれるというものだ。 焦るな、○○……。 ゆっくり成長していけばよいのだからな。」

足利義輝 や 細川藤孝 に仕えた家臣。
細川藤孝 と共に茶人・文化人として知られた人物でもあった。

最初は 足利将軍家 の配下だったが、足利義輝 が暗殺されると 細川藤孝 と行動を共にし、その家臣となった。
この時、細川藤孝 と 「先に栄達した方の家臣になろう」 と約束していて、細川藤孝が先に出世したので、彼はその配下になった、という話もある。

戦場での活躍も大きく、豊臣秀吉 による 「小田原攻め(北条家討伐)」 や 「朝鮮出兵」 でも手柄を立て、そのため 秀吉 から大名に取り立てられそうになったのだが、彼はそれを辞退し、終生 細川藤孝 に仕えたという。
部隊アイテム
松井隊の長巻 = 薙刀。 攻撃51、耐久64。 気合+30、腕力+2、風+5。


細川 藤孝 (ほそかわ ふじたか) Lv50 陰陽師 中老 本陣四天王
「我が父は、細川家の傍流に生まれし三淵晴員です。 細川元常さまの養子となり、私は細川を名乗るようになりました。 ですが、これとて傍流です。
生まれも育ちも傍流……。 ですが、いずれはこの藤孝の血統が細川の本流となりますよ。
信じられませぬか? まあ、見ていなさい。」

名家の家柄、比類なき学識、智謀に長け、武勇に富む、何でもアリの戦国のスーパーマン。
第12代将軍 「足利 義晴」 のご落胤(隠し子)という説もあり、もしそうだとすると 足利義輝 や 足利義昭 の弟ということになる。
インテリの文化人というイメージが強いが、暴走する牛に正面からぶつかって、角をつかんで押し戻したというパワフル野郎でもある。

将軍・足利義輝 の側近として行動を共にしていたが、義輝 が 三好家 の重臣 「松永 久秀」 に暗殺されると、寺に監禁されていた 義輝 の弟 「足利 義昭」 を救出、越前・朝倉家 を頼って京都から脱出し、義昭 を元服(成人)させ、次の将軍に擁立するべく奔走した。
朝倉家 の協力は得られなかったが、「明智光秀」 や 「和田惟政」 と共に 織田信長 の援助を得ることに成功、信長 は 六角家 や 三好家 などの敵対勢力を討伐し、足利義昭 は 第15代将軍 に就任する。

しかし 信長 が 足利義昭 の将軍としての権威を軽く扱うようになり、信長 と 義昭 の対立が決定的になると、細川藤孝 は 義昭 と決別、明智光秀 と共に 信長 に臣従した。
細川藤孝 には、すでに 室町幕府 に力がないことが見えていたのだろう。
その後は 明智光秀 の家臣として活躍するが、光秀 が 「本能寺の変」 で 信長 を討ち倒した時は 光秀 には従わず、頭を剃って僧になってしまった。
ここでもやはり、光秀 には先がない事を察していたようだ

以後は 豊臣秀吉 に仕える 「細川 幽斎」 という名の文化人として活動、和歌や茶道、舞曲や蹴鞠、礼儀作法などあらゆる文化に精通し、京の名家に伝わる 「古今和歌集」 の歌道の奥義も伝授された。

秀吉 の死後は 徳川家康 に接近、そのために 「関ヶ原の戦い」 で 西軍・豊臣側1万5千の軍勢に城を包囲されるが、2ヶ月近くにわたり篭城戦を展開。
その結果、彼の死によって 「古今伝授」 の歌道の奥義が絶える事を憂いた天皇が勅命を発し、彼を助けている。
その後は 「丹後・但馬」(現在の兵庫県北部) の大名を務めているが、徳川幕府 の礼儀作法の先生にもなっており、江戸幕府の儀礼の元となった三巻の書を伝授した。
また、現代に伝わる 「近世歌道」 は、彼がその祖であると言われている。
部隊アイテム
細川不屈の太刀 刀。攻撃47、耐久57。気合+40、腕力+1、器用+8、知力+1。
ドロップアイテム
歌仙兼定 刀。 装備職業?、レベル?。 気合+40、腕力+2、器用+6、知力+2。
ドロップアイテム
剣総覆輪阿古陀兜 詳細不明


津田 重久 (つだ しげひさ) Lv35 忍者
「小勢で大軍を打ち破らねばならぬときは……奇襲しかない。 突撃だけが、敵を破る手段とは思うな。 屋敷の警護には、重々気をつけるがよい。」

仕える主人が次々と変わっていった武将。
明智光秀 配下の 津田信春 という武将と同一人物とも言われている。
最初は 細川家 の家臣だったのだが、細川家 が没落すると一時 三好家 の配下となり、その後に 足利義昭 の直臣となった。
そしてこの頃に 明智光秀 の配下としても活動したようで、そのため 足利義昭 が京都から追放されると 明智光秀 の配下となる。

明智光秀 が 「本能寺の変」 で 織田信長 を討ち倒すと、光秀軍として 羽柴秀吉 と 「山崎の合戦(天王山の戦い)」 で戦ったが、光秀軍 が敗れたため高野山へと逃れた。
しかしすぐに 秀吉 に取り立てられ、秀吉 と 柴田勝家 が戦った 「賤ヶ岳の戦い」 にも参加している。
山崎の合戦の時に、すでに秀吉に内通していたという説もある。

その後、豊臣家の跡継ぎとされていた秀吉の養子 「豊臣秀次」 の配下となるのだが、秀次 が謀反(反逆)の疑いで自害させられたため、彼は京都で蟄居(謹慎)する身となった。
秀吉の死後、各地の大名家から誘いを受けたが、結果的には 前田家 の配下となり 「関ヶ原の戦い」 でも奮戦、「大阪 夏の陣・冬の陣」 にも参加している。
武勇に優れた、かなり名の知れた武者であったようだ。


狩野 光茂 (かのう みつしげ) Lv44 僧 敵先陣後詰
「後悔はしても、反省をせぬようでは前には進めぬぞ。 一つ一つの戦いを大事にし、そこから何かを学び取ることだ。」

(詳細不明です・・・)
(戦国時代に活躍した絵師 「狩野 永徳」 の一族の人かと思いましたが、調べてみても狩野派に 「光茂」 という人はいませんでした)
(京都の神社 「吉田神社」 の神主 「吉田兼見」 と共に信長に謁見した記録があるので、京都にいた武将であった事は確かなようです)


沼田 元清 (ぬた もときよ) Lv35 陰陽師
「……最近、当家の侍になりすまし、城内に侵入を図ろうとする輩がおると聞く。 修行も大事だが、お主の使命は殿をお守りすることだということを忘れるなよ。」

(この人も解りませんでした・・・)
(ただ、室町幕府の名家の1つ 「一色家」 の家臣に 「沼田家」 があり、足利将軍家 とも関係が深いため、その一族の誰かではないかと思われます。
もしくは、一色家の家臣として活動し、最終的には 足利家 の武将となった 「沼田 清延」 のことか、もしくは 沼田清延 と間違っているのではないかと思います)


上野 清信 (うえの きよのぶ) Lv48 薬師 敵後陣後詰
「万一に備え、遠出の際にはなるべく多く薬を持っていくのだぞ。」

「上野家」 は代々将軍家に仕えていた家柄である。
彼は 足利義輝 が暗殺された頃に 足利義昭 の家臣となったようで、義昭 の側近とも言える人物だ。
足利義昭 がまだお寺にいた頃に、義昭 がかわいがっていた子供を自分の養子にして、出世に利用したとか言う話があるらしい。
義昭 と 織田信長 が対立し始めた時は、信長への徹底抗戦を訴え、信長と和平すべきと訴える 細川藤孝 と激しい口論になったという。

しかし、義昭 が 信長 に追放されてしまった後は 信長 に仕えており、織田家 と 武田家 の和平交渉を行っている。
信長 の死後は 秀吉 に仕え、「馬廻衆(俗に言う近衛兵)」になった。


細川 藤賢 (ほそかわ ふじかた) Lv46 陰陽師 敵中陣後詰
「・・・千里の行も、足下より始まる。 どんなに遠大な計画も、手近な一つ一つの行いから始まるものだ。 焦らず、騒がず、まずはできる事から努力していくことが大事だぞ。」

「ほそかわ ふじたか」 ではなく、「ふじかた」 と言う、まぎらわしい人。
室町幕府のトップクラスの役職 「管領」 の地位にあった 「細川家」 の一族だが、本家ではなく、また 細川藤孝 の流れとも異なる。

元は 足利家 の家臣だったが、三好家 の侵攻によって 足利家 と 細川晴元 の勢力が京都から落ち延びると 三好家 に従った。
そして 松永久秀 や 三好三人衆 と共に、三好家が保護していた足利家の親類 「足利 義栄」 を 第14代将軍 にするために活動していたが、松永久秀 と 三好三人衆 が仲互いを始めてしまい、それに巻き込まれてしまう。
以後は 松永久秀 と行動を共にし、三好家 や大和の大名 「筒井家」 との戦いを続け、久秀 が 織田信長 に降伏すると彼も 信長 の配下となった。

信長 と 足利義昭 の仲が悪くなった時には 義昭 の説得に向かっているが、逆に説得されたのか(?)、義昭側 に付く。
しかし 義昭 が追放された後、信長 に許されて城主を務めている。


槙島 昭光 (まきしま あきみつ) Lv45 神主 侍大将 中陣右翼副将
「……心の動揺は、刀や槍のさばきにも現れる。 心を弱くすれば、それは必ず相手にも伝わるもの。 一度敵と刀を交えたならば、決して迷うな。気で倒せ。」

「槙島家」 は室町幕府の名家 「一色家」 の親類にあたる家柄らしい。
足利義昭 の側近と言える人だったようで、足利義昭 が 織田信長 に抵抗して京都で旗揚げした時は、彼の城で挙兵した。
しかしあっという間に城は攻め落とされ、義昭 は京都から追放される。

その後も 槙島昭光 は義昭に同行し続け、義昭が中国地方の大名 「毛利家」 のご厄介になり、備後(広島県東部)で暮らしていた時もそれに付き従っている。
後に 義昭 と共に 豊臣秀吉 に召しだされ、「奏者(手紙などを発行する係)」を務めた。
秀吉 の死後は 細川藤孝 の子 「細川忠興」 に招かれ、その家臣となっている。
部隊アイテム
槙島隊の長弓 = 弓。 攻撃20、耐久36。 器用+2、知力+2、風+4。
ドロップアイテム
槙島重籐弓 弓、装備職業?、レベル?。 器用+2 知力+2 風+4


真下 元種 (ました もとたね) Lv46 神主 敵中陣後詰
「色々と、物騒な話も聞いておるからな。 外に出る際には、十分気をつけるのだぞ。」

「真下家」 は 足利将軍家 に古くから仕えていた家柄で、主に 「奉行」 や 「奉公衆(交代で将軍の側に付き従う役職)」 などを歴任してきたようだ。

真下元種 の活躍の詳細は解らないが・・・
その家柄からして、身分の高い家臣であったのは確かだろう。


伊勢 貞孝 (いせ さだたか) Lv48 神主 敵後陣後詰
「人望が厚くなれば、自然、人は集まってくるものだ。 一人ではこの乱世……生きていけぬぞ。」

室町幕府の政務・財務を取り仕きる部署 「政所(まんどころ)」 の執事。
「伊勢家」 は代々、この政所の執事を務めている。

足利義輝 の父である 第12代将軍 「足利 義晴」 の死の際、義晴 からの遺命を受け、義輝 の補佐を続けた。
その後は 義輝 と共に京を支配する 細川家 や 三好家 との戦いを続け、義輝 の京都復帰に貢献するが、その後に 三好家 との戦いで戦死してしまう。
足利義輝 が 三好家 の 松永久秀 に暗殺されるのは、その3年後である。


柳沢 元政 (やなぎさわ もとまさ) Lv48 神主 奉行 後陣中翼大将
「我が家系は代々、将軍家に仕えてまいった。 今後も将軍家のため、尽力いたす所存じゃ。 されど……将軍家の命運は、あるいは尽きかけておるのやもしれぬ……。
いや、今の言葉は忘れてくれ。 わしは、最後まで将軍家のために戦うつもりじゃ。」

12代将軍 義晴、13代将軍 義輝、15代将軍 義昭 と、歴代の足利将軍に仕えた武将。
足利義輝 と共に鉄砲による武装を推進し、足利義輝 が暗殺された時は 足利義昭 の救出に向かい、三好家 の兵の襲撃から 義昭 を護衛するなど、武勇に長けた人物だったようだ。

織田信長 と 足利義昭 が対立を始めると、その対立に反対するが、義昭 が京都から追放されると 義昭 に付き従って備後(広島県東部)の港 「鞆の浦」 まで同行した。
そして、義昭 がご厄介になった中国地方の大名 「毛利家」 の家臣となる。

義昭 が 豊臣秀吉 に召しだされると、それに随行して 豊臣家 に仕え 朝鮮出兵 にも参加するが、義昭 と 秀吉 が死去すると 豊臣家 を退去し、再び 毛利家 に戻って行った。 忠義に溢れた人だったようだ。
部隊アイテム
義昭感状写本 = 特殊装備。 防御3、耐久9。 生命+60、気合+30、耐久力+3。
ドロップアイテム
足利義昭感状 特殊装備、全職装備可能、Lv 17。
防御4、耐久9。 生命+60、気合+30、耐久力+3。


足利 義昭 (あしかが よしあき) Lv50 神主 中老 本陣軍師
「わしは将軍の弟として兄を支えねばならぬ身じゃ。 そちと無駄話をする暇はないのじゃ。 もし兄に万が一のことがあれば、わしが将軍となって天下をまとめねばならぬからのう。
おっと、口が滑ったわ。 これはあくまで万が一の場合じゃ。 決してわしが将軍の位を狙っているわけではないぞ。 誤解いたすな。」

室町幕府 第15代将軍。 そして、室町幕府最後の将軍である。
日本の 「戦国時代」 を語る上で、1つのキーポイントになる人物だ。

第12代将軍 「足利 義晴」 の子で、第13代将軍 「足利 義輝」 の弟だが、次男なので元々は将軍の継承権はなく、お寺に奉公に出されていた。
しかし、足利義輝 が 三好家 の 松永久秀 に暗殺されてしまったため、彼が次の将軍候補となる。
最初は越前の 「朝倉家」 に身を寄せたが、朝倉義景 が全然やる気 0 だったので退去、その後、細川藤孝 や 和田惟政 などの奔走で 織田信長 の保護を受けられることとなり、信長 に擁立されて 室町幕府 第15代将軍 に就任する。

ところが、足利義昭 が将軍として各地の大名家と交渉しようとすると、信長 はそれに反対し、逆に 「勝手なことしちゃダメ」 という規制をかけられてしまう。
これが元で 義昭 と 信長 の関係は悪化していき、ついに 上杉謙信・武田信玄・本願寺顕如・浅井長政・朝倉義景 などの反織田勢力の大名に 「信長を討て」 という檄文を発信、「信長包囲網」 を形成させ、信長に対抗した。
そして 武田信玄 が上洛(京都への進軍)を開始したのを見て遂に自らも挙兵、室町幕府の復権を計ったのだが・・・
武田信玄 は上洛の途中で病死、義昭 の篭っていた城もあっという間に落城し、怒った 信長 により 義昭 は京都から追放されてしまう。
事実上、これで 室町幕府 は滅亡となる。

追放された 足利義昭 は、中国地方の大名家 「毛利家」 のご厄介になり、備後(広島県東部)の港 「鞆の浦」 に在住する。
ここは 室町幕府 の創始者である初代将軍 「足利尊氏」 が、京都から追放された後に勢力再興のために挙兵した場所であり、義昭 がここに落ち延びたのは、その故事にならったようだ。
そしてこの地からその後も 「信長を討つべし」 という御内書(将軍家の命令文)を発し続け、反信長のネガティブキャンペーンを続けるのだが・・・
もはや、力をなくした 義昭 の叫びが届く事はなかった。
だが最近の研究では、「本能寺の変」 が起こった理由には、この 義昭 の裏工作も大きな影響があったのではないか、という説が有力になっている。

信長の死後、反秀吉派だった大名家と関係を持ち、なおも幕府再興を画策しようとしたが、自分を保護してくれていた 毛利家 が 豊臣家 と和睦してしまったため失敗、結局、秀吉 の誘いを受けてその臣下となり、京都へと戻った。
義昭の死後、「足利」 の家名は使われなくなり、室町幕府は完全に消え去る事となる。

ちなみに、信On で他勢力のキャラで 義昭 と話すと、「な、な、何者じゃ! わ、わ、ワシはまだ将軍ではないぞ! や、や、やるなら兄にいたせ、よ、よいな?」 とか言って笑わせてくれる。
まあ、一般的な 義昭 のイメージは、こんな感じだろう。
部隊アイテム
足利義昭書状 = 特殊装備。 防御3、耐久?。 生命+30、器用+8、魅力+3。
ドロップアイテム
足利義昭御内書 特殊装備、全職装備可能、Lv 20。
防御?、耐久?。 生命+30、器用+8、魅力+3。

= 足利家 城前 =
野村 定常 (のむら さだつね) Lv35 侍
「勝機は己の手で掴み取るものだ。 気持ちの持ちようで、いかようにでもなるぞ。」

足利義輝の配下の 「武者奉行」 を務めた武将。
武者奉行とは、そのまんま軍の指揮官のことである。
義輝の死後は 15代将軍 「足利 義昭」 に仕え、三好家の 「三好三人衆」 が京都を襲撃した際には激戦を繰り広げた。

だが、足利義昭 と 織田信長 の仲が悪くなると 信長 に仕えたようで、本願寺 が 織田信長 に宣戦布告し、大阪の 「石山本願寺城」 に篭城した際には、その石山本願寺城の攻撃に参加している。
だが、この攻撃に織田軍は敗戦し、その際に彼も戦死した。


彦部 信勝 (ひこべ のぶかつ) Lv47 侍 与力 後陣右翼副将
「勝機は己の手で掴み取るものだ。 気持ちの持ちようで、いかようにでもなるぞ。」

足利義輝 に仕えていた武将だが、後に関東に移住した人。
近江(滋賀県)に落ち延びていた 足利義輝 が京都に復帰した際、各地の大名や権力者がお祝いに訪れたのだが、この時 上杉謙信 が越後からはるばる京都までやって来て 足利義輝 に謁見。
以後、将軍家 と 上杉家 は友好的な関係となった。

その後、大名との外交を行っていた公家 「近衛 前久」 が 越後 に向かったのだが、彦部信勝 もそれに付き従っており、近衛前久 がそのまま 上杉家 に2年ほど留まったため、彼も上杉家に在住。
その時に 「下野」 (上野の南部の辺り) に領地をもらい、そのまま 近衛前久 が京都に帰った後もそこに定住した。
彼の父である 彦部晴直 はその後、京都で 足利義輝 が暗殺された際に一緒に 三好軍 に殺されているので、彦部信勝 が 下野 に定住してその難を逃れたのは幸運だったと言えるだろう。

以後は中立の立場を取っていたようだが、西軍・豊臣 と 東軍・徳川 が戦った 「関ヶ原の戦い」 の時、東軍に軍事物資の提供を行ったため、東軍・徳川側が勝った後、その功績で領地を保障されている。
彼の武家屋敷は今も現存しており、群馬県の観光名所になっているようだ。

なお、彼を連れて越後に向かった 「近衛 前久」 は、京都の公家でありながら 上杉謙信 と 「血の盟約」 を交わしたり、織田信長 に従って外交交渉に奔走するなどした人物で、本家の 「信長の野望」 シリーズでもおなじみの公家なのだが・・・
なぜか、信On には登場していない。
部隊アイテム
忠臣の太刀 = 刀。 攻撃30、耐久45。 気合+30、耐久力+1、水+2。
ドロップアイテム
彦部忠義刀 詳細不明

= 足利家 城内 =
一色 藤長 (いっしき ふじなが) Lv45 薬師 与力 中陣中翼副将
「戦いが長期に及ぶときは、相手の技を見切ることだ。 ・・・これが、なかなか難しいのだがな。」

「一色家」 は室町幕府の名門の家柄 「四職」 の1つであり、非常に高い地位を持っていたのだが、戦国時代の幕開けとなる京都で起こった権力闘争 「応仁の乱」 で大被害を受け、没落してしまった家柄だ。
でも一応 「丹波(兵庫県北部)」 に勢力を持っており、本家の 「信長の野望」 シリーズでは大名としてほぼ毎回登場している。

一色藤長 はその 一色家 の親族であり、足利義輝 に使えていた家臣で、義輝 が暗殺された後、寺に幽閉されていた 足利義昭 を 細川藤孝 と共に救出し、その後も常に 義昭 に付き従って 足利義昭 の将軍就任に貢献した。

足利義昭 が 信長 と不仲になって京都から追放された後も 義昭 に付き従い、各地を流転しながら 義昭 と 信長 の関係修復に努めたという。
しかし結局それは果たせず、その後、細川藤孝 の元に身を寄せた。
晩年、「関ヶ原の戦い」 に参加して戦死したとも言われているが、その辺ははっきりしないらしい。

なお、徳川家康 の軍師役となった2人の僧の1人で、「黒衣の宰相」 の異名を持つ怪僧 「以心崇伝」 は、彼の甥にあたる。
部隊アイテム
一色八角棒 = 棍棒。 攻撃50、耐久68。 気合+20、腕力+3、耐久力+1。


曽我 尚祐 (そが なおすけ) Lv47 陰陽師 侍大将 後陣左翼副将
「……最近、当家の侍になりすまし、城内に侵入を図ろうとする輩がおると聞く。 修行も大事だが、お主の使命は殿をお守りすることだということを忘れるなよ。」

戦国時代を通して活躍した 「故実家」。
故実家 とは、古くから伝わる礼儀作法や儀式、法令などを調べ、それを伝える役目を持つ役職だ。
最初は 足利義昭 に仕えていたが、義昭 が失脚すると 織田信長 の祐筆(手紙や書類を書く係)となり、朝廷との交渉に欠かせない人物となった。

信長 が 「本能寺の変」 で 明智光秀 に討たれた後は 豊臣秀吉 に仕え、さらに 徳川家康 にも召しだされ、常に 「天下人」 に 礼儀・儀式 を伝授する立場を務めたという。
また、「座右書礼」 や 「書礼略法」、「曽我流書記」 など、「書」 の書き方に関する数多くの文献を残している。
部隊アイテム
曽我流書記 = 特殊装備。 防御3、耐久8。 知力+4、魅力+2、水+2。
ドロップアイテム
座右書礼 特殊装備、全職装備、Lv 13。
防御3、耐久8。 知力+4、魅力+2、水+2。


大館 義実 (おおだて よしざね) Lv44 侍 侍大将 先陣右翼
「兜を特徴づけるのはやはり立物(たてもの)よな。
前につけるのが前立(まえだて)、脇につけるのが脇立(わきだて)、後ろが後立(うしろだて)……ま、当たり前じゃな。
文字を象(かたど)ったり、守り札や仏像、水牛の角、鹿の角、象の鼻まで、ありとあらゆる意匠がある。 わしは、いくら見ても飽きぬのじゃ。」

足利義輝 の家臣で、義輝 の死後は 足利義昭 に仕えた武将。
セリフで 立物 や 鎧 について解説してくれているが、彼は甲冑の研究家であったらしい。
義昭 が 織田信長 と不仲になって京都から追放され、室町幕府が滅亡すると、彼も領地を失って、以後は 義昭 と共に各地を流転した。
その後、堺の街に移り住み隠棲してしまったという。
だが後年、豊臣秀吉 の配下の武将 「加藤 清正」 に召し出されてその家臣となり、朝鮮出兵に参加して活躍したため、再び京都に領地を与えられている。
部隊アイテム
大館陣羽織 = 特殊装備。 防御2、耐久24。 生命+20、耐久力+4、知力+2。
ドロップアイテム
義実の陣羽織 特殊装備、全職装備可能、Lv 13。
防御2、耐久24。 生命+20、耐久力+4、知力+2。


朽木 元綱 (くつき もとつな) Lv46 忍者 目付 中陣左翼大将
「朽木家は代々、西近江の朽木谷を支配してきた。 朽木谷は、若狭と京を結ぶ街道の要衝だ。 前の将軍、義晴公が三好元長に追われて都落ちしたとき、身を寄せたのが朽木谷だ。 将軍家との深いつながりは、それ以来だな」

セリフにある通り、「朽木家」 は近江の西にある 「朽木谷」 という地方を支配していた国人(地元の領主)だった。
元は南近江を支配していた大名 「六角家」 の一族なのだが、朽木谷 は 京都や越前、南近江などの国境にあり、さらに各地の勢力が干渉しにくい場所にあったため、朽木家 はどの勢力にも寄らない独自勢力として存在していた。

足利義輝 の父である 第12代将軍 「足利義晴」 は、三好家 の攻撃で京都から落ち延びた際、この 朽木家 にご厄介になった。
以後、朽木家 と 将軍家 は深い関係になるのだが、しかしあくまで 協力者 という形であって、正確には将軍家の配下になった訳ではない。

朽木元綱 は 足利将軍家 ではなく、織田信長 の配下として有名だ。
織田信長 は 越前 の 朝倉家 を攻撃した際、織田家 と 朝倉家 の板挟みになった 浅井家 が 朝倉側 に付いたため、一度撤退している。
この 「金ヶ崎の退き口」 の際に、撤退する 信長 は 「朽木谷」 を通って京都に脱出しており、その際に 朽木元綱 は依頼を受けて道案内を務めた。
以後、信長の配下として活動していたのだが、いつの間にか信長の元を離れ、また朽木谷に戻っている。

秀吉 が天下を取った後は 秀吉 に臣従。
西軍・豊臣側 と 東軍・徳川側 が天下を争った 「関ヶ原の戦い」 では、最初は西軍に所属していたが、合戦途中で東軍に寝返り、西軍大将・石田三成 の城を攻撃したため、その功績で 「本領安堵(領地を保障)」 されている。
様々な勢力に取り入りながらも、最後まで朽木谷を離れる事はなかった。
部隊アイテム
闇の太刀 = 刀。 攻撃38、耐久51。 腕力+3、知力+2、風+5。
ドロップアイテム
朽木闇の太刀 刀、侍・忍・鍛、Lv15
攻撃40、耐久51。 腕力+3、知力+2、風+5。


中川 清秀 (なかがわ きよひで) Lv44 侍 与力 先陣左翼
「武将ならば、天下の趨勢(すうせい)を決する戦で暴れてみたいものよ。
そのときは誰よりも早く兵を動かし、天下にこの瀬兵衛の名を轟かせてやるつもりだ。
常に先陣で戦い続けたい。他人には渡したくないわ。 その願い叶うなら、討ち死にしても悔いはない。」

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の配下として有名な武将。
元は摂津の国人(地元の領主)である 「池田 勝正」 に仕えており、荒木村重 とは同僚である。
最初は 池田家 の配下として摂津や京都周辺で転戦していたが、荒木村重 と共にクーデターを起こし、主君である 池田勝正 を追放。
さらに、この動きに反発した摂津の有力者 「和田 惟政」 の城を攻め、和田惟政 を討ち取った。
だが、織田信長 にはさすがに抵抗しきれず、荒木村重 と共に 信長 に降伏、その家臣となる。
その後、羽柴秀吉 と親しくなり、義兄弟となっている。

それから数年後、同僚の 荒木村重 が突然 織田信長 に反旗をひるがえし、彼もそれに従ったのだが、説得を受けてあっさり 織田家 に復帰。
以後は 秀吉 の配下として活躍し、明智光秀 が 織田信長 に謀反(反逆)を起こした 「本能寺の変」 の際にはいち早く 秀吉 の軍に合流、先陣として 秀吉 と 光秀 が戦った 「山崎の合戦(天王山の戦い)」 に参加し、大きな活躍を見せ 秀吉 の天下取りに貢献した。
セリフに出てくる 「天下の趨勢(すうせい)を決する戦(いくさ)」 とは、この山崎の合戦のことを指しているのだろう。

だが、秀吉 と 織田家 の重臣 「柴田勝家」 が 織田家 の後継者問題で対立して起こった 「賤ヶ岳の戦い」 で、最前線の城を守備していた時、柴田勝家 配下の猛将 「佐久間 盛政」 の襲撃を受け、戦死した。
部隊アイテム
血戦の長槍 = 槍。 攻撃41、耐久60。 気合+30、腕力+1、耐久力+1、魅力+1。
ドロップアイテム
天王山血戦の槍 槍、侍・僧・鍛・薬、Lv 11。
攻撃44、耐久60。 気合+30、腕力+1、耐久力+1、魅力+1。


荒木 村重 (あらき むらしげ) Lv48 僧 奉行 後陣右翼大将
「茶の湯とはおもしろいものよなあ。 近頃は茶器にもこってしまってなあ。
「荒木高麗」「兵庫壷」「寅申壷」「姥口平釜」など、いろいろと集めてしまった……。 まったく、銭のかかることだわい。」

数ある戦国武将の中でも、特に特徴的な生涯を送った人物の一人。
元は摂津の有力者である 「池田勝正」 の配下だった。
三好家 と手を結んだ摂津の 池田家 の配下として摂津や京都周辺で転戦していたが、京都に進軍した織田軍には敵わず、池田家は織田家に従属した。

だがその後、織田信長 は 朝倉家 に攻め込むが、同盟していた 浅井家 が 朝倉家 に寝返ったため撤退する。
これを見た 荒木村重 と、同僚の 中川清秀 は、織田信長に見切りを付けて 「三好三人衆」 と手を結び、クーデターを起こして主君の 池田勝正 を追放し、織田家からの独立を宣言する。
さらにこの動きに反発した同じ摂津の有力者 「和田惟政」 の城を攻めて滅ぼし、摂津の国で勢力を拡大した。
だが、手を結んだ 三好三人衆 はもう1人の摂津の有力者 「伊丹親興」 に敗れて撤退し、さらに 「細川藤孝」 の軍が進軍してきて一進一退の攻防となり戦線は硬直してしまう。

結局その後、浅井・朝倉家は織田軍に敗れ、荒木村重&中川清秀はこれ以上 織田信長 には抵抗できないと判断し、織田家 に従属。
その後、足利義昭 の挙兵を受けて信長との敵対を宣言した摂津の有力者 伊丹親興 を討伐し、摂津を統一。
正式に信長から摂津の守護職に任命された。
荒木村重 は信長からかなり気に入られていたようで、出世も早く、さらに茶人としても高名で、天下一の茶人と呼ばれた 「千利休」 の七人の弟子 「利休七哲」 の一人にも数えられた文化人でもあった。

ところがその後、荒木村重は突然 織田信長に反逆し、謀反を起こす。
その理由は 本願寺 や 足利義昭、中国地方の大名 「毛利家」 などの調略(寝返り工作)を受けたためと言われているが、正確には不明だ。
説得に来た 羽柴秀吉 の軍師 「黒田官兵衛」 の言葉にも耳を貸さず、官兵衛を投獄して徹底抗戦の構えを見せる。
だが、頼りとしていた毛利家の援軍は来ず、共に謀反を起こした 中川清秀 や 高山右近 といった武将も織田家に戻っていき孤立。
結局、織田軍の猛攻にあって城は落城、彼も逃亡する。
この時、彼は大事にしていた茶器だけを持って逃げ、妻子や家臣を置き去りにしたため、人々から嘲笑される事となった。

置き去りにされた妻子は処刑され、彼はその後、毛利家のご厄介になりながら茶人として生きている。
さすがにもう武将に戻る気はなかったようだ。
部隊アイテム
道薫の壷 = 特殊装備。 防御3、耐久17。 器用+3、魅力+6、土+3。
ドロップアイテム
兵庫の壷 詳細不明


山岡 景隆 (やまおか かげたか) Lv48 僧 奉行 後陣左翼大将
「瀬田川に架かる瀬田橋は、近江から山城への途上にあり、戦略上の要衝となる拠点じゃ。 我が山岡家はこの地に所領を持ち、瀬田の番人として知られてきた。 京の都か近江に大きな異変があったときは、この瀬田橋を落とすことよ。 そうすれば、敵の死命を制することが可能となる。 覚えておくがよい。」

この人は本当は 南近江 と 甲賀 を支配していた大名家 「六角家」 の家臣であり、足利家 の家臣ではない。
なぜ 信On で足利家の家臣になっているのかはよくわからないが・・・ とにかく、六角家 が滅亡した後に 織田家 の配下となっている。

その後、琵琶湖の南の 「瀬田川」 の近くに領地を得て、瀬田川に橋をかけた。
この 瀬田川 は 琵琶湖 の南から流れる大きな川で、セリフにもある通り、戦略の上の要所である。
そして 明智光秀 が謀反を起こし、織田信長 を討ち取った 「本能寺の変」 が起こった時、彼は 明智光秀 から誘いを受けたのだが、これを断って 瀬田川 の橋を焼き落としてしまった。
この橋がなくなると、光秀軍 は京都から東に向かう事が出来ない。
これによって 明智光秀 は 信長 の城 「安土城」 への道を断たれてしまった。
山岡景隆 は間接的に、「本能寺の変」 の後の動きに関わったと言える。

その後は 秀吉 に従っていたのだが、信長死後の 織田家 の跡継ぎを決める会議 「清洲会議」 で 秀吉 と 柴田勝家 が敵対した後、その柴田勝家に内通しているという疑いをかけられてしまう。
その真偽は定かではないが、結果として彼は領地を没収されてしまった。
その後、甲賀で病死したという。
部隊アイテム
山岡隊の大槍 = 槍。 攻撃60、耐久72。 腕力+3、火+6、風+3。
ドロップアイテム
美作守の大槍 詳細不明


和久 宗是 (わく そうぜ) Lv50 陰陽師 奉行 小荷駄隊守将
「……千里の行も、足下より始まる。 どんなに遠大な計画も、手近な一つ一つの行いから始まるものだ。
焦らず、騒がず、まずはできる事から努力していくことが大事だぞ。」

「和久家」 は代々将軍家に仕えていた家柄のようだが、彼は京都が 三好家 に支配されると 三好三人衆 に従い、さらに 三好家 が没落して 織田家 が京都を支配すると 織田信長 に従ったようだ。

「本能寺の変」 で 信長 が倒れた後は 豊臣秀吉 の祐筆(手紙などを書く係)となり、豊臣家 が関東の 北条家 の 「小田原城」 を攻める際には、東北地方の大名 「伊達家」 に 小田原攻め に参加することを通告する使者となっている。
そしてこの時に 伊達家 と親密になったのか、その後に 豊臣家 を退去して、以後は 伊達家 に仕えた。

だが戦国時代の終わりに、徳川家康 が豊臣家の 大阪城 を攻めた 「大阪の陣」 の際、「豊臣家のために死にたい」 と言って 伊達家 を後にし、豊臣側 として合戦に参加。
そして最終決戦で、年寄りと侮られないよう白装束で敵陣に突入し、戦死した。
その最後は平氏の老将 「斉藤 実盛」 に重ねて賞賛されたと言う。
(なお、斉藤実盛 については 本願寺家・武将名鑑 の 「その他」 のところで紹介しています)
部隊アイテム
祐筆の筆 = 特殊装備。 防御0、耐久27。 知力+6、水+3、風+3。
ドロップアイテム
太閤祐筆の筆 特殊装備、全職装備可能、Lv 17。
防御0、耐久27。 知力+6、水+3、風+3。


池田 勝正 (いけだ かつまさ) Lv50 侍 中老 本陣四天王
「我が故郷、摂津の国は、西国から京への通り道。 それゆえに昔から諸勢力の争いの舞台となってきた……。 対立する二つの勢力に挟まれ、どちらにつくか、常に苦渋の選択を迫られるのだ。
どちらを選んでも地獄しかないときもある。 堅く守ってじっと耐えるよりほかに道がないときもあるのだ。」

摂津の豪族(地元の権力者)。
信On では 足利家 の所属武将となっており、元々は室町幕府の名家 「細川家」 の配下なので間違いではないのだが、戦国時代には独自勢力と言っていい存在となっていた。
戦国時代初期、将軍を操って権力を握っていた 細川家 では、家内での権力闘争も激しく、京都に近いという地理的な理由もあって、池田家 も常にそれに巻き込まれる立場にあった。

京都を 三好家 が支配すると、池田家 は 三好家 と同盟し、池田家 の後を継いだ 池田勝正 も 三好家 に協力していた。
ところが、織田信長 が 「足利 義昭」 を奉じて京都に進軍、三好家 を蹴散らして 義昭 を 第15代将軍 にしてしまう。
この動きに周辺の権力者は次々と 信長 に降っていくのだが、池田勝正 は最後まで 信長 に抵抗し、摂津で戦いを続けた。
だが、結局 信長 には敵わず、池田勝正 も降伏する。
しかし 信長 は 池田勝正 を罰するどころか、摂津の守護に任命、「和田惟政」 「伊丹 親興」 と共に 「摂津三守護」 に命じた。

その後、池田家 は 織田家 の配下として各地で転戦していたのだが・・・
池田勝正 の弟 「池田 知正」 が、織田軍 が 朝倉家 を攻めて 浅井家 の寝返りによって退却した 「金ヶ崎の戦い」 を見て、織田家 に従っていてはダメだと考え、池田家 の重臣である 「荒木 村重」 「中川 清秀」 と共にクーデターを計画。
そしていきなりの謀反により、池田勝正 は追放され、主君の座から転落してしまう。
池田知正 もその後 間もなく 荒木村重 によって追放され、池田家 は事実上、荒木村重 に乗っ取られてしまった。

その後、池田勝正 は 織田家 の配下となり、領地を取り戻すために 荒木村重 と戦っていたようだが、結局敗れ去り、戦死したとも、高野山に追放されたとも、細川藤孝の家臣になったとも言われているが・・・ 詳細は不明だ。
部隊アイテム
摂州陣羽織 = 特殊装備。 防御3、耐久?。 生命+30、耐久力+8、水+3。
ドロップアイテム
筑後守の陣羽織 詳細不明


京極 高吉 (きょうごく たかよし) Lv50 神主 中老 本陣四天王
「我が京極家は、名高き婆裟羅(ばさら)大名 佐々木道誉の末裔よ。
道誉さまは「太平記」に登場する英雄にして幕府設立の立役者の一人でもあった。 戦にも政(まつりごと)にも長けておられたが、それだけではなかった……。 連歌・闘茶・立花・聞香などを楽しまれ、茶道や華道の礎を築いたのも、道誉さまよ。
道誉さまの才覚の千分の一でも、この身に備わっておればのう。」

セリフにもある通り、「京極家」 は 婆裟羅大名として有名な 「佐々木道誉」 の末裔にあたり、室町幕府の名家である 「四職」 の1つでもある。
「婆裟羅(バサラ)」 とは、「傾奇者(かぶき者)」 と同じようなもので、ハデで勝手で常識外れな人物のことを言う。
「佐々木道誉」 は 室町幕府 を創始した 「足利尊氏」 に協力した権力者であり、バサラとして有名で、合戦にも強く、裏切りを繰り返した人だが、優れた文化人でもあり、茶道や華道にも通じた高い教養を持つ人物だった。
NHK の大河ドラマ 「太平記」 でも、準主役として活躍していた人だ。

だが、「京極家」 は戦国時代には没落しきっており、北近江に領地を持っていたが、お家騒動と 「浅井家」 の台頭で領地はほとんどなくしてしまい、彼は 足利義輝 の家臣となった。
足利義輝 が暗殺された際には、義輝 の弟 「足利義昭」 を将軍にするために奔走し、織田信長 の協力を得る事に成功するのだが、その 信長 と 義昭 の仲が悪くなってしまい、彼も立場が悪くなったため、子の 「京極 高次」 を 信長 の人質に出して、そのまま隠居した。

その後、京極高次 は 「浅井長政」 と 「お市」 の次女 「初」 を妻にした事から、破格の待遇を得て、京極家 を復興させる事になるのだが・・・
それはまた、別の話である。
部隊アイテム
婆沙羅の剣 = 剣。 攻撃41、耐久?。 気合+30、腕力+3、火+8。
ドロップアイテム
道誉婆沙羅剣 特殊装備、侍・神・鍛、Lv 20。
防御45、耐久52。 気合+30、腕力+3、火+8。


細川 昭元 (ほそかわ あきもと) Lv46 陰陽師 目付 中陣中翼大将
「わしはな、父が恐いのじゃ。 幕府の実権を握り天下を動かす、我が父、細川晴元公と比べれば、わしは遥かに器量の劣る息子じゃ。
父のあとを継ぐなぞ、わしには無理じゃ。
それに新しき将軍、義輝公は高き理想を持つ優れたお方。 むしろ義輝公の忠実な臣下として生涯をまっとうしたい。 父のような陰謀にまみれた生き方はしたくないのじゃ。」

室町幕府のトップクラスの名家 「細川家」 の最後の当主。 細川晴元 の子。
将軍を操って権力を握った黒幕である 父・細川晴元 が失脚した後、彼が 細川家 を継いだのだが、父のような野望は持たなかったようだ。

将軍・足利義輝 が 三好家 の重臣 「松永 久秀」 によって暗殺された後は、他の幕府の奉行たちと共に 三好家 に従っていたのだが、その後に 松永久秀 と領地を巡るトラブルが発生し、抗争状態となっていた。
その後、足利義昭 と共に 織田信長 が京都に進軍してきたため、これに従属、その際に 足利義昭 から 「昭」 の字を与えられ、「細川 昭元」 として 細川家 の後を正式に継いだ。
翌年、織田信長 の妹を妻にしており、京都に信長が滞在していた時には、信長 の 蹴鞠 の相手をしていたようだ。

その後、特に目立った活動はない。
ごくフツーに、京都でお仕事をしていたのだろう。 父とは対照的である・・・
部隊アイテム
蹴鞠秘伝書写本 = 特殊装備。 防御3、耐久8。 器用+5、魅力+2、風+3。
ドロップアイテム
蹴鞠秘伝書 特殊装備、全職装備可能、Lv 15。
防御3、耐久8。 器用+5、魅力+2、風+3。


細川 晴元 (ほそかわ はるもと) Lv50 陰陽師
「将軍家の威光は、我が細川家が管領として支えてきたもの。 細川家あっての将軍家なのだ。 それが今になって細川を排除されようとするとは!
義輝さまも義昭さまも何か勘違いをされておるようだ。
いずれ、幕府の真の主が誰で、天下を宰領しているのが誰なのか? はっきりさせねばなるまい。」

「戦国時代」 とは、この 「細川家」 によってもたらされたと言っても過言ではない。
「細川家」 は室町幕府のトップクラスの役職 「管領」 を務める家柄であり、戦国時代の幕開けとなった 「応仁の乱」 は、この 細川家 と、同じ室町幕府の名家だった 「山名家」 が、将軍の後継者を巡って争い、互いに各地の権力者や大名に援軍を要請して、京都で戦争を起こしたのを発端としている。
そしてこの争いが全国に波及していき、日本は戦国時代に突入していった。

「応仁の乱」 は結局 痛み分けに終わったが、その後も 細川家 は勢力を維持しており、将軍を操って権力を掌握し、時には邪魔になった将軍を追放して、自分に都合のいい将軍に入れ替えるといった事もやっていた。
まさに 「室町幕府の黒幕」 といった感じだが、その 細川家 の内部でも権力闘争や跡継ぎ争いが激しく起こっており、それが近畿の戦乱をさらに拡大する。

細川晴元 はその 細川家 の跡継ぎ候補の一人で、細川家 の実権を握っていた 「細川 高国」 と、細川高国 の援護を受けていた 第12代将軍 「足利 義晴」 を、三好長慶 の父 「三好 元長」 と共に討ち破って追放、そして 足利家 の親族である 「足利 義維」 という人を次の将軍に擁立にしようとした
だが、その 足利義維 と不仲になったため、足利義維 を追放し、さらに 三好元長 も謀殺する。
そして一度追放した 足利義晴 を迎え入れ、幕府の実権を握った。

だが、成長した 三好元長 の子 「三好 長慶」 が挙兵、京都に進攻を開始し、これに敗れて 足利義晴 と共に 京都 から 近江 に落ち延びる。
その後、足利義晴 は子の 足利義輝 に将軍を譲り、その 足利義輝 が 三好家 と和睦し、その時に 細川晴元 も京都に復帰したのだが・・・
細川晴元 はその後、寺に幽閉されてしまい、失意のうちに病没した。

一応 形の上では、隠居して寺に入ったという事にされたようだが、幕府の復権を本気で考えていた 足利義輝 にとってみれば、細川晴元 のような危険人物を放置しておくことは出来なかったのだろう。
部隊アイテム
幕府管領書状 = 特殊装備。 防御3、耐久?。 気合+30、器用+3、魅力+8。
ドロップアイテム
管領奉行人奉書 特殊装備、全職装備可能、Lv 20。
防御4、耐久10。 気合+30、器用+3、魅力+8。

=京都のお公家様たち=
菊亭 晴季
京都の公家。 官位は 「従一位・右大臣」。 本家の 「信長の野望」 シリーズでもおなじみの人。
豊臣秀吉 の 「朝廷(天皇家)工作」 に奔走した人物。
最初、秀吉 は 「征夷大将軍」 という将軍としての官位を得ようとしたのだが、これはすでに 足利義昭 が襲名しており、義昭 に頼んでも譲ってくれなかった。
そのため、菊亭晴季 は 秀吉 に同じぐらい高位の官位 「関白」 を得ることを進め、その手はずを整えて、秀吉 の 関白就任 を成功させた。

これによって、豊臣家 と 朝廷 の間を取りもつ高い地位を得たのだが・・・
その後、秀吉 の跡継ぎである 「豊臣 秀次」 が謀反の疑いで自害させられ、妻や一族も全員処刑されるという事件が起きる。
菊亭晴季 はこの 豊臣秀次 に接近しており、さらに娘も 秀次 に嫁がせていたため、この事件で失脚してしまい、越後に流罪となってしまった。
秀吉 の死後、許されて京都に戻るが、数年後に病死している。

山科 言継
京都の公家。 官位は 「正二位・権大納言」。 こちらも 「信長の野望」 ではおなじみのお公家様。
遊び好きで酒好きの芸達者、さらに戦国の有名人と好んで交流を持ったミーハーな人である一方で、当時の天皇 「正親町天皇」 の側近であり、朝廷の財務を取りしきる役職にも就いていた。

織田家 や 今川家 など、各地の大名家の元におもむいては、朝廷の 「官位」 の斡旋などと引き換えに、朝廷への献金を要請・・・ しながら、大宴会して遊びまくった。
特に 織田信長 の父 「織田 信秀」 とは非常に親密で、毎日のように飲みまくっていたと言う。
でもちゃんともてなしと引き換えに、京都の文化を伝える役目も果たしていたようだ。
織田信長 が 足利義昭 を奉じて京都に上洛した際には、朝廷側 として 信長 との交渉を担当し、信長 とも対等の外交を行っていたと言う。

しかし、信長が 「本能寺の変」 で家臣の 「明智光秀」 に討たれた数年後・・・
ご禁制の 「スゴロク賭博」 にハマっていたのがバレて、朝廷から追い出されて失脚、以後は 堺 の街で暮らしたと言う。
だが、これは表向きの話で、彼は 「本能寺の変」 の際に 明智光秀 の兵を手引きした容疑がかけられていたため、その追求から逃れるために京から逃亡したとも言われている。

そんな彼は 50 年近くの長い間、ずっと「日記」 を書き続けていた。
戦国時代の動乱の中、京都を中心に活動し、織田信長を始めとする各地の大名家とも深い関係を持っていた彼の日記には、その戦国時代の大小の出来事が詳細につづられている。
その日記 「言継卿記」 は超一級の資料として江戸時代のころから重宝されており、書写されながら歴史研究に使われ続けてきた。
もちろん、現代においても最上の歴史資料の一つである。

万里小路 福光
苗字は 「までのこうじ」 と読む。 当時、天皇家に非常に近い親族であった名家。
戦国時代の天皇 「正親町(おおぎまち)天皇」 の母も、妻も、この 「万里小路家」 の出身である。
「万里小路 福光」 という人の詳細はよくわからないのだが・・・ とにかく 「万里小路家」 は最上格の公家として、その一族が京都に多く住んでいたようだ。
信On では、「朝廷」 の代わりとして登場しているのだろうか?

喜佐院 道明
(この人の詳細はわかりませんでした・・・ 信On では公家として登場していますが、公家の家柄の中に 「喜佐院」 という家はないようですが・・・?)

(C)2003 KOEI Co.,Ltd. All rights reserved.
信長の野望 Online」 は 株式会社コーエー の商品です。