徳川家 武将名鑑

「信長の野望 Online」の「徳川家」に登場する武将達のプロフィールを紹介しています。


(名前をクリックすることで、武将の紹介に移動します)

内藤 正成 高木 清秀 阿部 正勝 平岩 親吉 奥平 信昌 服部 半蔵 天野 康景 渡辺 守綱 大須賀 康高 石川 数正 石川 家成 大久保 忠世 大久保 忠佐 板倉 勝重 鳥居 元忠 本多 重次 徳川 家康 本多 正信 酒井 忠次 榊原 康政 本多 忠勝 井伊 直政
・未所属
小栗 吉忠
安藤 直次
牧野 康成
青山 忠門

その他の武将・人物
築山殿
西郷の局
蜂屋 貞次
吉良 義昭
勝曼寺 蓮修
木俣 守勝
土井 利勝 水野 忠重 松平 重吉 高力 清長 伊奈 忠次 青山 忠成 植村 家政 小笠原 長忠 長坂 信政

・徒党員として登場する武将
南光坊 天海 金地院 崇伝 榊原 忠政 板垣 卜斎 本多 正純
本多 忠政 本多 忠朝 井伊 直孝 大久保 忠教 石川 康長
大久保 忠隣

徳川家 当主=

徳川家康

徳川家康
徳川 家康 (とくがわ いえやす) Lv70 大名 総大将
「・・・堪忍は無事長久の基。 怒りは、敵と思うが良い。 勝つことばかりを知りて、負けることを知らざれば、その害は己自身に至るであろう。」

徳川家の大名。
戦国の世を耐え忍び、265年に及ぶ江戸時代の基礎を築いた「将軍」。
今川家の人質時代を経て、織田信長、豊臣秀吉に従い、七難八苦を乗り越えて天下分け目の「関ヶ原」にて天下と太平の世を掴み取る。
徳川家康、および徳川家についての詳細は こちら をご覧下さい。
徒党員武将
南光坊天海 金地院崇伝 榊原忠政 板垣卜斎
部隊アイテム
不動正宗 = 刀。 攻撃52、耐久60。 生命+40、気合+40、腕力+4、耐久+4。
ドロップアイテム
日光助真  =  刀。 侍・忍・鍛。 攻撃57、耐久60、Lv21。
 腕力+4、耐久力+3、器用+4、火+5、火炎・壱(30)

徳川家 武将詰所 (小屋敷)=

小栗吉忠 小栗 吉忠 (おぐり よしただ) Lv36 侍
「合戦は、戦略が重要だ。 やみくもに突入すれば・・・すぐ敵に囲まれるぞ。」

徳川家の初期の家臣。
徳川家康が三河で独立する際に、三河の宗教勢力 「一向一揆」 と激しく争ったが、その戦いで活躍した。
その後も家康と共に各地を転戦するが、今川家が滅亡してからは遠江や駿河の代官として、その地方の政務を勤めている。
のちに 「小栗家」 は、徳川幕府に代々仕える重臣の家柄となった。


阿部正勝 阿部 正勝 (あべ まさかつ) Lv45 侍 与力 先陣右翼
「日々の鍛錬を怠るなよ。 いざというときに後れを取るようじゃ、話にならんからな!」

「阿部家」 は徳川家に代々仕えていた家系で、阿部正勝 も 徳川家康 がまだ今川家の人質だった時代から、苦楽を共にしていたと言う。
家康に付き従って各地を転戦、伊豆地方に5千石の領地を受け、その後に息子は小田原5万石の城主となった。
そして阿部家は代々、徳川幕府における「旗本」の家柄となっている。
部隊アイテム
赤地丸梶葉上布 = 首防具。 防御10、耐久16。 腕力+3、耐久+3。
ドロップアイテム
阿部の足軽長槍  =  槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃55、耐久69、Lv15。
 腕力+4、耐久+3。


安藤直次 安藤 直次 (あんどう なおつぐ) Lv35 侍
「国を治めるには、民への心配りも必要だ。 町で困っている者をみかけたら、必ず手を貸してやるのだぞ。」

幼少の頃より徳川家に仕え、徳川家康 が 羽柴秀吉(豊臣秀吉) と戦った 「小牧・長久手の戦い」 において、秀吉の武将であり、かつての織田家の重臣でもあった 「池田恒興」 と 「森長可」 を討ち取り、恩賞として家康から愛用の弓を与えられている。
徳川幕府が開かれてからは、幕府政治に参加した重臣となった。

「大阪・夏の陣」 で息子が討ち死にするが、道ばたに倒れた遺体を収容せず、「戦場で死ぬは武士の本懐、そのまま討ち捨てておけ」と言って放置して帰った。
しかし戦争が終わって帰国した後、自室で号泣したという。
ドロップアイテム
ちぎり木 = 棍棒。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃63、耐久76、Lv14。 耐久力+4


牧野康成

牧野康成
牧野 康成 (まきの やすなり) Lv35 侍
「今は一致団結の時。 身内での争いが、最大の敵であると思え。」

三河の豪族(地方権力者)の出身。
「牧野家」 は元は 今川家 寄りの豪族だったのだが、当主が死んだ時に家中で相続争いが起こり、徳川家康がそれを仲裁したため、以後はそのまま 徳川家 に仕えた。
徳川家康に従って各地を転戦し、家康が秀吉の命令で関東に移されると、上野に2万石の領地を与えられている。
後に越後に移り、越後・長岡藩7万石の初代藩主となった。

ドロップアイテム
猪目まさかり  =  斧。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃41、耐久60、Lv15。
 腕力+4、器用さ+4。


奥平信昌

奥平貞昌
奥平 信昌 (おくだいら のぶまさ) Lv45 侍 侍大将 中陣左翼副将
「宿老の本多様は、どうも評判が悪くてな。 殿の寵を笠にきた、陰険な策謀家とまで、言う者がおるらしい。
だが、殿と本多様は、元々が大の親友同士なのだよ。 切れ者すぎるがゆえの、悪評か、嫉妬か・・・。 本多様もつらいお立場だな。」


元の名は 「奥平貞昌」。 今川家や武田家に所属していた事もある。
織田軍の鉄砲三段撃ちで武田騎馬軍団が壊滅した 「長篠の戦い」 の時、その地にあった 「長篠城」 の城主を務めており、500 の兵で1万5千の武田軍を相手によく持ちこたえた。
この時の有名なエピソードとして、「鳥居 強右衛門」の話がある。

長篠城に武田軍が攻め寄せて来た際、奥平貞昌 の部下であった 鳥居強右衛門 が救援を求めるために単独で城を出て、包囲している武田軍を敵中突破、見事に脱出して徳川家康に長篠城の危機を伝え、救援を求めることに成功した。
しかし、一刻も早くその事を城兵に知らせようと、再び敵陣を突破をして城に戻ろうとするが今度は失敗、捕らえられてしまう。
話を聞いた 武田勝頼 は褒美を与えて家臣にしようとするが、それと引き換えに城の兵士に「援軍は来ない」と叫べと要求、強右衛門もこれを承諾した。
しかし武田の兵に連れられて城の前に来た強右衛門は、城兵に「もうすぐ援軍が来るからがんばれ!」と叫んだ。
怒った 武田勝頼 は見せしめとして強右衛門を城の前で「はりつけ」にするが、強右衛門は処刑される間際まで、はりつけ台の上で城兵を励まし続けた。
それを見た城兵は、「強右衛門の死を無駄にしまい」と言い奮い立ったと言う。

それから3日後・・・ 織田・徳川連合軍が到着、有名な 「長篠の戦い」 が起こり、武田軍は壊滅した。
城主 「奥平貞昌」 は信長から賞賛され、「信」の一時を与えられ以後 「信昌」 と名乗る事になる。
部隊アイテム
豊国祭礼図屏風 = 特殊装備。 防御8、耐久16。 魅力+8。
ドロップアイテム
奥平黒漆総覆輪兜  =  筋兜。 侍・鍛。 防御24、耐久77、Lv16。 全属性+2。
奥平黒漆二枚胴  =  当世具足。 侍・鍛。 防御46、耐久85、Lv16。 生命+30。


青山忠門 青山 忠門 (あおやま ただかど) Lv38 侍
「・・・ふふ。元気があってよろしいな。 お主が噂の、○○であろう?」

徳川家康が今川家の人質だった頃から付き従った、古参の家臣。
どのような活躍をしたかの詳細は不明だが、「青山家」 は代々続く徳川家の重臣として活動していた。
彼の子 「青山忠成」 は江戸幕府創世記の重臣となり、「関東三奉行」の一人として二代将軍 「徳川秀忠」 の側近となっている。

ドロップアイテム
掛矢  =  棍棒。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃68、耐久69、Lv15。 防御+7。

徳川家 奥屋敷=

小笠原長忠 小笠原 長忠 (おがさわら ながただ) Lv45 侍 敵先陣後詰
「日々の鍛錬を怠るなよ。 いざというときに後れを取るようじゃ、話にならんからな!」

対武田戦で活躍した武将。
武田信玄 が病死し、駿河の国を徳川家が制圧した後、遠江にあった堅城 「高天神城」 の城主となった。
しかし信玄の後を継いだ 武田勝頼 が2万の軍を率いて高天神城を攻撃。
小笠原忠長 は本国の徳川家康に救援を求めたが、徳川家は武田家と戦って敗北した 「三方ヶ原の戦い」 の被害がまだ回復しておらず、兵力が十分でなかったため、さらに織田家に救援を要請する。
しかしそうこうしているうちに時間だけが過ぎていき、結局 小笠原長忠 は武田軍の猛攻を受け耐えきれず、破格の条件の降伏勧告に応じて開城。
その後は武田家の家臣となった。

ドロップアイテム
高天神のお守り  =  首装備。 全職業。 防御13、耐久19、Lv15。 耐久力+6。


大久保忠佐

大久保忠佐
大久保 忠佐 (おおくぼ ただすけ) Lv50 侍 与力 後陣中翼副将
「岡崎三奉行が一人、本多重次殿にはお会いしたか? 「鬼作左」の異名を持つ本多様だが、実は心優しい一面もお持ちなのだよ。」

重臣の 「大久保忠世」 の弟で、兄に劣らぬ強者。
松平家(後の徳川家)がまだ今川家の配下だった時代に織田家との戦いで功名を上げ、織田家の 柴田勝家 軍も撃退した。
徳川家が独立した後も、一向一揆との戦いや武田家との戦いで活躍。
特に 織田・徳川連合軍 と武田家が戦った 「長篠の戦い」 では、鉄砲隊を率いて兄と共に奮戦し、織田信長から 「まさに飛車角行」 と称えられた。
その後も各地を転戦したが、生涯無傷だったと言われている。

部隊アイテム
乱れ藤 = 鉄砲。 攻撃56、耐久38。 器用さ+6、風+3
ドロップアイテム
三河侍具足 = 鎧。 侍・鍛。 防御52、耐久89。 腕力+5、耐久+7。


渡辺守綱

渡辺守綱
渡辺 守綱 (わたなべ もりつな) Lv50 侍 侍大将 中陣右翼大将
「鉄砲だ、何だと言うけどな。 やはり、槍は、いいぞ。 戦では、直接相手を狙って突き、相手を叩き倒すことさえ可能だからな!」

「槍の半蔵」 と呼ばれた槍の名手。
最初は宗教勢力である 「三河一向一揆」 の一員だったが、三河一向一揆が徳川軍によって鎮圧されると、徳川家の家臣となった。
今川家との合戦で数十人を突き倒し、その名を一気に高め、武田家と戦った 「三方ヶ原の戦い」 や 「長篠の戦い」 でも大いに活躍した。
徳川幕府の創設後は槍術の指南役となるが、豊臣家を攻めた 「大阪・冬の陣」 では先陣として活躍、生涯を槍一本で貫き通した。
部隊アイテム
三星十字槍 = 槍。 攻撃48、耐久64。 耐久+4、器用さ+4。
ドロップアイテム
半蔵の槍  =  槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃64、耐久64、Lv18。
 腕力+4、耐久力+3、器用+3。
繰半月前立南蛮兜  =  兜。 侍・鍛。 防御28、耐久37、Lv18。
 腕力+5、耐久力+5。


石川家成

石川家成
石川 家成 (いしかわ いえなり) Lv47 陰陽師 目付 後陣左翼副将
「いずれ誰かの手によって、乱世に終止符が打たれるだろう。 それがしは、それが家康様に違いないと・・・信じているだけだ。 お主も同じであろう?」

徳川家康とは従兄弟の関係で、徳川家の重臣 「石川数正」 の叔父でもある。
家康が三河で独立した際に戦った 「三河一向一揆軍」 との戦いで活躍、その一方で三河の本願寺勢力との和解交渉も進め、一向一揆の平定に尽力した。
晩年、美濃の大垣城5万石の城主となっている。
「家康への忠誠無二」 と評されたほどの忠臣だったのだが・・・
その親類である 石川数正 が徳川家を裏切ったのは、何かの皮肉だろうか・・・?

部隊アイテム
九笹竜胆蒔絵手箱 = 特殊装備。 防御2、耐久26。 知力+3、魅力+7。
ドロップアイテム
高級な水干 = 胴装備。 神・陰。 防御20、耐久26。


大須賀康高

大須賀康高
大須賀 康高 (おおすが やすたか) Lv45 忍者 目付 中陣右翼副将
「戦いは、結果がすべてだ、○○。 様子を見て無理ならば、引き上げる勇気も肝心だぞ。」

旗本衆の一員として、重臣の 本多忠勝 や 榊原康政 と共に活躍した武将。
遠江の堅城 「高天神城」 が武田家の 武田勝頼 によって落とされた後は、その近くの拠点で少数の配下や浪人達と共に、その城の抑え役として戦い続けた。
徳川家が秀吉と戦った 「小牧・長久手の戦い」 では、榊原康政 と共に攻め寄せてきた秀吉軍を撃破する。
その後、 真田家 との戦いに参加した後、病死した。

部隊アイテム
七曜角頭巾 = 頭巾。 防御15、耐久15。 耐久+6、知力+4。

ドロップアイテム
三河忍者着  =  忍者着。 忍。 防御28、耐久40、Lv17。
 攻撃+7、耐久力+2、全属性+1。


平岩親吉

平岩親吉
平岩 親吉 (ひらいわ ちかよし) Lv50 侍 与力 中陣左翼大将
「礼儀は熟知しておくべきものだが、虚礼はうっとうしいだけだ。 お主も、武士ならば、その腕でわしを納得させるがよい。」

徳川家康が今川家の人質だった時代から家康に付き従っていた、古参の将。
数々の合戦を経て家康の信頼を得て、徳川家康の長男 「徳川信康」 の後見役を命じられる。
しかし 信康 は 織田信長 によって切腹を命じられたため、平岩親吉 はその責任を取って自害しようとし、説得されて思いとどまるが、そのまま隠居した。
(徳川信康 が切腹を命じられた事件については 「築山殿」 の項目で説明しています)

しかし家康から再三の要請を受けて現場復帰、各地を転戦し、徳川家康が豊臣秀吉の命令で関東地方に移された後は、上杉家に対する備えとして上杉家との国境近くにあった 「厩橋城」 の城主となった。
徳川信康の切腹事件があったため、彼は子を作ろうとしなかったが、家康は自分の子を彼の養子にするなどして気を配ったと言う。
徳川幕府が開かれた後は、将軍職の継承権を持つ 「徳川御三家」 の筆頭・尾張徳川藩の家老となっている。
部隊アイテム
丸結雁金刺繍布 = 首防具。 防御10、耐久16。 耐久+3、器用さ+3。
ドロップアイテム
平岩の黒塗り筋兜  =  兜。 侍・鍛。 防御26、耐久78、Lv18。 腕力+7。


水野忠重

水野忠重
水野 忠重 (みずの ただしげ) Lv50 薬師 敵後陣後詰
「一犬影に吠ゆれば、百犬声に吠ゆ・・・と申すからな。 世間の噂や評判などに惑わされず、お主はお主の信じる道を歩いてゆくのだぞ。」

「水野家」 は 「徳川家」 の従兄弟の家系で、徳川家康の親類にあたり、尾張から三河にかけての広い範囲を領地とした豪族(地元権力者)だった。
水野家 は元々は 織田家 の配下だったが、水野忠重 は 徳川家 に仕えていて、三河一向一揆との戦いや今川家との戦いで活躍した。

その後、織田信長 の命令で 織田家 の配下となるが、「本能寺の変」で 信長 は死去。
その際に 明智光秀 軍に捕まるが、なぜか許されて徳川家に復帰した。
豊臣秀吉 と 徳川家康 の軍勢が戦った 「小牧・長久手の戦い」 で活躍するが、徳川家の重臣 「石川数正」 が 秀吉側に寝返ると、それに付き従って秀吉の配下となる。
その後、同僚と酔っ払って口論になった時、その相手に斬り殺されてしまった。


植村家政 植村 家政 (うえむら いえまさ) Lv45 侍 敵先陣後詰
「・・・強さとは、己に勝って初めて得られるもの。 武士たるもの、身も、心も鍛えねばならんぞ。」

徳川家の初期の家臣。 幼い頃から徳川家康に仕えた。
徳川家 と 織田家 が同盟を結ぶ時に家康に同行し、家康の刀を持ったまま 織田信長 の前に現れ、織田家の家臣にそれを咎められると堂々と反論。
逆に感心した 織田信長 から褒美を与えられている。
上杉家 と 徳川家 の同盟交渉にも随行し、その勇名は上杉家や武田家にも伝わっていたと言われている。
しかし、三十七歳の若さで病死した。
ドロップアイテム
還俗頭巾  =  頭巾。 侍・神・陰・忍・鍛。 防御16、耐久26、Lv16。
 腕力+4、耐久力+4。


青山忠成

青山忠成
青山 忠成 (あおやま ただなり) Lv50 薬師 敵中陣後詰
「ふう・・・。殿の医者嫌いには、ほとほと困ったものだ。 最近では、異国の薬用植物に興味を持たれ、ご自分で調合された薬ばかり飲む始末・・・。 殿あっての当家だ。 お体に、変調をきたさねばよいのだが・・・。」

「青山忠門」 の子で、信On には親子2代で登場。
徳川家康の子で徳川二代将軍の 「徳川秀忠」 の守役の一人となり、後に側近として 「関東総奉行」、および「江戸町奉行」を兼任、幕府の創世期の政治に大きな役割を果たした。
のちに家康を怒らせたために解任されてしまうが、「青山家」 は代々徳川幕府の重職を務め、明治時代まで大名として続いている。

東京の 「青山」 という地名は、この青山家の武家屋敷があったことから名付けられたものだ。

ドロップアイテム
町奉行の冠  =  頭巾。 侍・僧・神・陰・薬。 防御17、耐久37、Lv18。
 器用+6、知力+9。


長坂信政 長坂 信政 (ながさか のぶまさ) Lv45 侍 敵先陣後詰
「日々の鍛錬を怠るなよ。 いざというときに後れを取るようじゃ、話にならんからな!」

別名、「血槍 信政」。 家康の祖父、父の代から徳川家に仕えた猛将。
戦場に向かうたびに、その槍を血で濡らさぬ事はなかったことから、家康の祖父の薦めで苗字を 「血槍」 に変え、「皆朱の槍」を与えられた。
生涯で取った首は九十三。 これを称え、正月には鏡餅を93個並べて「首餅」と称して祝ったと言う。 通称、「血槍九郎」。
かなり長生きで、豊臣秀吉の小田原討伐にも参陣したという。
ドロップアイテム
長坂六十四間筋兜  =  兜。 侍・鍛。 防御26、耐久28、Lv18。 腕力+5。


高力清長

高力清長
高力 清長 (こうりき きよなが) Lv50 僧 敵中陣後詰
「どんなときでも神仏を敬い、心を磨くことを怠けてはならぬ。 ・・・それが、真の武士というものだ。」

「三河三奉行」 の一人で、「仏の高力」 の異名を持つ。
温和で、かつ正直な人柄であり、家康や秀吉に高く評価されていた。
徳川家康が三河で独立する際に戦った宗教勢力 「一向一揆」 との戦いで、「本宗寺」の一揆勢力を討伐した際、散乱した経典を集めて持ち主に送り届けたという。
また、軍船を建造する際に余った資金を家康に返上しようとして、その正直さを称えられてそれを褒美として与えられたりした。
秀吉からも気に入られ、京都に建築した秀吉の邸宅 「聚楽第」 の建設指揮も依頼されている。

ドロップアイテム
仏の衣  =  法衣。 僧・薬。 防御39、耐久48、Lv19。 魅力+12。
高力の仏  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久28、Lv18。 知力+3、魅力+6。


伊奈忠次

伊奈忠次
伊奈 忠次 (いな ただつぐ) Lv50 神官 敵中陣後詰
「・・・よいか、○○。 合戦では何でも首を取ればいいというわけではない。
名もない雑兵や足軽よりも、大将や重臣格の方が、首取りの意味は、はるかに大きいのだ。 早々に手柄を立てたくば、大者を狙うがよかろう。」

元々徳川家の家臣の家柄だったが、父が一向宗門徒に加担したことから幼少時代は各地を流浪していたと言う。
「本能寺の変」 で徳川家康が大阪で孤立し、三河まで決死の脱出を行った際、それに随行して徳川家の家臣に復帰した。

彼には傑出した政治的才能があったようで、豊臣秀吉 の命令で 徳川家康 が関東に移されると、その土地の検地(土地を調べて税金を決めること)や治水作業、土木作業などで非凡な才能を発揮、家康はこうした行政作業を彼に一任した。
経済や統治政策などにも優れており、その手腕が江戸時代における関東一帯の生産力の基礎になったと言われ、その土木技術は 「伊奈流」 として後世に伝わっていった。
その後、彼は水戸の 「伊奈神社」 に祭られ、その功績は長く称えられている。

ドロップアイテム

行政官の冠  =  頭装備。 侍・僧・神・陰・薬。 防御18、耐久29、Lv19。
 知力+7、魅力+7。


内藤正成

内藤正成
内藤 正成 (ないとう まさなり) Lv45 侍 与力 先陣左翼
「弓は、いいぞ。 比較的作るのも簡単な上に、戦では強力な飛び道具となる。 戦においては、主流の武器が、必ずしも強いとは限らんぞ。」

名前の読みは 「まさしげ」 かもしれない。
家康の父の代から徳川家に仕えていた古参で、戦国時代きっての弓の達人。
その弓の腕を買われて徳川家に仕官し、「三河一向一揆」との戦いではその名を聞いただけで逃げ出す敵兵もいたという。

織田・徳川軍 が 朝倉家 を攻めた 「金ヶ崎の戦い」 ではしんがりを務め、なんと3本の矢で、敵兵6人を射倒している。(どうやったんだそれって・・・)
その弓の腕前を試すべく、楯を持って出てきた敵兵を、四十軒(約70メートル)離れた場所から楯ごと射抜いたという逸話もある。
部隊アイテム
丹塗藤弦弓 = 弓。 攻撃18、耐久34。 腕力+3、器用さ+3。


大久保忠世

大久保忠世
大久保 忠世 (おおくぼ ただよ) Lv55 侍 目付 後陣中翼大将
「合戦では、地を読むことも重要だ。 伏兵は、思いがけないところから現れるもの。 ・・・一瞬の油断は、死につながると思え。」

「大久保忠佐」 の兄で、弟と共に独立後の徳川家を支え続けた武将。
「三河一向一揆」 との戦いでは、多くの三河武士が一揆側についた中で、大久保家は一族で徳川家康を支援、家康の独立に大きな功績を果たした。
徳川軍が武田信玄に敗れた 「三方ヶ原の戦い」 では、敗戦後に武田軍に夜襲をかけ、「惨敗で意気消沈しているかと思ったが、夜襲をかけてくるとは天晴れ」と 武田信玄 に評された。
武田勝頼 と戦った 「長篠の戦い」 では鉄砲隊を指揮して活躍、その武勇は信長も賞賛し 「よき膏薬(薬)の如し」 と称えている。
北条家が滅亡し、秀吉によって徳川家が関東に移された後、元北条家の居城 「小田原城」 の城主となっている。
徒党員武将
大久保忠隣
部隊アイテム
唐胴飛龍型百目筒 = 鉄砲。 攻撃65、耐久42。
ドロップアイテム
六股  =  刀。 侍のみ。 攻撃49、耐久67、Lv18。 生命+20。
三河侍具足  =  鎧。 侍・鍛。 防御52、耐久89、Lv19。 腕力+5、耐久+7。


松平重吉

松平重吉
松平 重吉 (まつだいら しげよし) Lv50 神官 敵後陣後詰
「戦は勝たねば意味がない! 違うか、○○?」

「松平家」 は三河の豪族(地方権力者)であり、同じ「松平」姓を持ついくつかの家柄が三河には存在していた。
その1つの頭首が 「松平元康」 であり、後の「徳川家康」である。
「松平重吉」 は家康の松平家とは別の家柄であるが、もちろん親類であり、近い血筋の人物だった。

松平重吉 は元は 家康 と同じく 今川家 に従属していて、合戦での功績もあったが、家康が独立した後は徳川家の傘下となった。
後に、家康の長男 「徳川信康」 の具足親(鎧とかの装備の使い方などを説明する係)となっている。

ドロップアイテム
備前景光  =  懐剣。 全職装備。 攻撃31、耐久52、Lv19。 気合+40、魅力+5。
金の唐人笠兜  =  兜。 侍・鍛。 防御30、耐久78、Lv19。 知力+3、魅力+3。

=徳川家 中庭=

天野康景

天野康景
天野 康景 (あまの やすかげ) Lv45 侍 侍大将 中陣中翼副将
「・・・焦ることはない。 お主は、お主なりに日々成長しているはずだ。 応援しているからな。がんばるのだぞ。」

「三河三奉行」 の一人。
徳川家の本国だった三河には3人の奉行がいて、それぞれその性格から 「仏の高力」、「鬼の作左」、「どちへんなしの天野」 と呼ばれていた。
「どちへんなし」とは「どちらでもない」という意味のくだいた言葉で、彼は3人の奉行の中でも中庸的な性格であり、また公正な人物であったようだ。

徳川家康が関東に移された後、駿河の「興国寺城」の城主となる。
しかし徳川幕府が創設された後、幕府領の農民が建築材料の 「竹」 を制止も聞かずに無理やり盗み出そうとし、警備をしていた彼の城の足軽に斬られるという事件が起きる。
幕府側はその足軽を引き渡せと 天野康景 に要求するが、康景は 「足軽は任務を果たしただけであり、罪はない」 と言い足軽をかばい続け、結果として城主の地位を追われて出奔した。
後に彼は 「足軽のために城を捨てた殿様」 として伝えられる事になる。

信On では、話した後に優しく微笑む。 この辺りで性格を現しているのだろう。
部隊アイテム
日光眠り猫 = 腰装備。 防御12、耐久24。 魅力+8、罰当たり・壱(90回)。

高木清秀 高木 清秀 (たかぎ きよひで) Lv45 侍 侍大将 先陣中翼
「人の一生は短い・・・。 だが、限られた命であるからこそ、人は一瞬一瞬を輝かせて生きることができるのだ。 太く、短く生きようぞ! ○○。」

最初は織田家、後に徳川家に仕えた武将。
織田家では 佐久間信盛 の配下となり、伊賀の「六角家」との戦いや、「浅井・朝倉家」との戦い、「比叡山の焼き討ち」 などに参加。
しかし 佐久間信盛 は 本願寺家 との戦いで戦線を硬直させた罪で追放されてしまい、織田信長 もその後に「本能寺の変」で死去してしまう。
そのためその後、徳川家康に誘われて徳川家の家臣となった。

徳川家に仕えてからは重用され、徳川家康と豊臣秀吉が戦った 「小牧・長久手の戦い」 で活躍。
徳川家康が秀吉の命令で関東に移されてからは武蔵の地に5千石の領地を与えられ、そのまま高木家は徳川幕府の終わりまで存続した。
セリフでは 「人の一生は短い」 とか言っているが・・・ 実はそうとう長生きだ。
部隊アイテム
三河火術奥義書 = 特殊装備。 防御3、耐久8。 攻撃+4、火+8。
ドロップアイテム
血痕刀  =  薙刀。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃60、耐久68、Lv18。
 腕力+5、耐久+5、器用+5。

=徳川家 城内=

板倉勝重

板倉勝重
板倉 勝重 (いたくら かつしげ) Lv55 侍 奉行 後陣右翼大将
「武士にとって、地所はわが五体の肉と同じもの。 ・・・他国に地奪われれば、それすなわち、死を意味すると思え!」

信On では侍だが・・・ 実際には「奉行」や「代官」などを歴任したお役人。
元は 「香誉 宗哲」 と名乗る僧侶であり、若くして寺の住職をしていたのだが、「板倉家」を継いでいた弟が戦死してしまったため、徳川家康の命令で還俗して家を継ぐことになった。

その後、駿河の駿府の町の奉行となり、高い政治手腕を発揮。
家康が江戸に移ると、江戸や小田原の奉行、代官などを兼任した。
天下分け目の 「関ヶ原の戦い」 で家康が勝利すると、京都の町の内務・支配を行う「京都所司代」に就任。
京都の治安や政務を行う一方で、朝廷(天皇家)や公家(貴族)の監視・交渉なども行った。
奉行として裁判の 「さばき(判決)」 を行うことも多かったが、彼の公平で巧みな さばき には定評があり、「名奉行」として知られていたと言う。
部隊アイテム
藤巻長柄軍配図扇 = 特殊装備。 防御3、耐久27。 気合+60、知力+6。
ドロップアイテム
二重輪前立兜  =  兜。 侍・鍛。 防御30、耐久39、Lv20。 生命+40、気合+20。
日の丸図金箔押胴  =  鎧。 侍・鍛。 防御61、耐久97、Lv20。
 腕力+5、耐久+5、器用-5、知力+5。


服部半蔵

服部半蔵
服部 半蔵 (はっとり はんぞう) Lv50 忍者 目付 中陣中翼大将
「・・・○○、か。 人の噂に流されるな。 事の真実は、己の目で見たものだけだと思え。」

伊賀忍軍の上忍 「服部家」 の跡継ぎであり、徳川家の忍軍の頭領。
おなじみの 「忍者ハットリ君」 である・・・?
しかし実際には彼(服部半蔵正成)は、徳川家に忍者ではなく、「足軽」として仕官しており、その出世も戦場での槍働きによるものである。
これは彼の父 「保長(服部半蔵保長)」が、息子には立身出世をして欲しいと願っていたからだと言われている。
忍者はあくまで裏方なので、表立った出世は期待できないからだ。
一応、三河の服部忍軍を束ねる立場にはあったが、本人はやはり槍を持って武士として戦っており、その活躍で 「鬼の半蔵」 の異名で呼ばれていたという。

しかし 「本能寺の変」 で、その運命は急変する。
本能寺の変 によって京都に宿泊していた 織田信長 が配下の 明智光秀 に討たれ、同じく京都・大阪に滞在していた徳川家康にも追っ手が迫り、窮地に陥った。
その際、家康 は危険な伊賀の山地を越えて三河への脱出を行うのだが、この時に 服部半蔵 は伊賀の「上忍(忍者の最上位)」の立場を利用して周辺の忍者に救援を要請、これに応じて集まった伊賀・甲賀の忍者は 300 余人と言われ、その力を持って脱出ルートを確保、無事に 家康 を三河に送り届けたと言う。

この功績で、彼は徳川家における忍軍の頭領となったのだが・・・
彼が「忍者」となったため、以後、彼がどのような活躍をしたのかは不明である。
ただ、江戸幕府が開かれた後、江戸城の西門は彼の功績を称えるため 「半蔵門」と名付けられ、今でもその名で呼ばれている。
部隊アイテム
忍秘伝 = 特殊装備。 防御3、耐久8。 攻撃+4、器用さ+5、知力+5。
ドロップアイテム
半蔵の頭巾  =  頭装備。 忍者。 防御19、耐久27、Lv20。 全属性+5。
半蔵の忍者鎧  =  忍者鎧。 忍者。 防御49、耐久48、Lv19。
 腕力+6、耐久+7。


鳥居元忠

鳥居元忠
鳥居 元忠 (とりい もとただ) Lv50 鍛冶屋 奉行 後陣右翼副将
「殿は、誠心誠意をもって進言すれば、どんな話であろうと、必ず耳を傾けてくださるお方だ。 だからこそ、我々三河武士は、殿には絶対的な信頼を置くことができるのだ!」

家康が今川家の人質だった頃から仕えていた古参の将で、家康への忠誠が非常に高かったと言われる忠臣。
徳川家康 が独立する前から今川家の配下として数々の戦功を立ててきたが、「他家に仕える気はない」 と言い、今川家からの恩賞を貰わなかったと言う。
その後も多くの戦いで縦横無尽の活躍をし、徳川家の発展になくてはならない存在だったが、武田家との戦いで負傷して体が不自由になってしまう。
しかしその後も戦功を立て続け、秀吉も褒美を与えようとしたが、これも「秀吉の恩は受けない」と辞退している。

「関ヶ原の戦い」の前、家康 が軍勢を整える時間を稼ぐための「捨て駒」としての役目を受けて、京都の「伏見城」に籠城。
4万の関ヶ原・西軍の軍勢を前に 1800 の兵で立ち向かい奮戦、最後は壮絶な討ち死にをして果てたと言う。
死後、「真の三河武士」 として人々から称えられている。
部隊アイテム
鳥居隊お仕置棒 = 棍棒。 攻撃69、耐久?。 腕力+7、火+5。
ドロップアイテム
鉄錆地椎実形兜 = 兜。 侍・鍛。 防御25、耐久58。 耐久+7。


本多重次

本多重次
本多 重次 (ほんだ しげつぐ) Lv60 侍 奉行 小荷駄隊守将
「伝達は無駄なく、簡潔に。それが、私の信条だ。 時間の浪費は、罪と思え。」

「三河三奉行」の一人で、「鬼の作左」の異名を取った。
「鬼」と称されたのは短気で頑固な性格だったためだが、戦場での働きも鬼と呼ばれるに相応しい激しいものであったという。
信On の顔グラフィックでも、片目がなく、顔にキズがあるが、さらに手や足にも戦いで受けた無数の傷を持っていたという。
一方で、奉行を任されていただけあって、政務や兵糧の管理にも優れていた。
また、文章の作成能力に優れ、誰にでも解りやすい文を書くことを得意とした。
家康にも遠慮なしに苦言・意見を述べ、大変信頼されていたという。

しかし家康が秀吉の配下となった後、秀吉の母 「大政所」 が徳川家に人質としてやって来た時、大政所 の部屋の周囲に薪を積み、何かあった時は火を点けて燃やす用意をして冷遇したため、秀吉の怒りを買って、その後に追放された。

日本一短い手紙として有名な 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 の手紙は、彼が書いたものである。
信On のセリフもそれに合っていて、いい感じだ。
部隊アイテム
鬼作左一文字 = 刀。 攻撃43、耐久54。 気合+60、腕力+6。
ドロップアイテム
本多の薪割  =  斧。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃55、耐久59、Lv20。
 腕力+6、土+5。


石川数正

石川数正
石川 数正 (いしかわ かずまさ) Lv55 神官 奉行 後陣左翼大将
「確かに、殿は素晴らしいお方です。 ですが、四天王様方をはじめ、そこまで、皆様が心酔するほどのお方でしょうか・・・? 私には正直・・・疑問なのですよ。」

徳川家康が今川家の人質だった頃からお共をしていた古参の家臣で、徳川家の独立直後から 「西三河衆」 を率いて徳川家のために戦っている。
一方で、織田家との交渉を進め、「清洲同盟」 と呼ばれる織田・徳川家の同盟を成立させ、さらに今川家の人質となっていた家康の妻 「築山殿」 と 長男 「徳川信康」 を奪還するために単身 今川家 の居城 「駿府城」 に乗り込み交渉の末、取り戻す事に成功する。
これらの功績で、徳川家の中でも重要な家老となったのだが・・・

しかし羽柴秀吉(豊臣秀吉)と家康が戦った 「小牧・長久手の戦い」 の後、突然一族を率いて秀吉側に寝返った。
なぜ 家康 の側近とも言える彼が、突如裏切ったのか・・・
家中で孤立していたためという説や、彼が救出した 家康 の妻と子が織田信長の命令で自害・殺害されたためという説の他に、徳川家の家中をまとめるため、豊臣家と徳川家の関係を改善させるため、という説もある。
諸説あるが、詳細は不明である・・・
徒党員武将
石川康長
部隊アイテム
曜変天目茶碗 = 特殊装備。 防御3、耐久17。 知力+6、魅力+6。
ドロップアイテム
数正の宝珠  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久30。 知力+8、全属性+5。


酒井忠次

酒井忠次
酒井 忠次 (さかい ただつぐ) Lv60 薬師 中老 本陣四天王
「殿は一食一飲もおろそかにせず、あらゆる摂生、節約を自らに課しておられる。 武士にとって、体は資本。 そなたも殿に倣い、日々健康を心掛け、戦には万全を期して臨むがよい。」

「徳川四天王」 の筆頭。
徳川家康が今川家の人質だった頃に養育係を務めていた古参の家臣で、徳川家の独立直後から 「東三河衆」 を率いて徳川家のために戦っている。
徳川家における実質的な軍事面のトップの立場であり、武田家と戦った 「三方ヶ原の戦い」 では、敗戦した兵士達の士気を鼓舞するため太鼓を打ち鳴らし続け、織田家と共に 武田勝頼 と戦った「長篠の戦い」では武田家の砦を急襲、守備部隊を蹴散らして砦を制圧した。
織田信長からは 「後ろにも目があるようだな」 と評されたと言う。
秀吉と戦った「小牧・長久手の戦い」でも、秀吉側の 森長可 の陣を急襲して制圧し、その後の戦いを優位に進めている。

ただ、徳川家康の妻と子が武田家に内通しているという疑いがかけられ、織田信長がその真偽を彼に尋ねた時、彼がそれを否定しなかったために、家康の妻と子が信長から処刑を命じられてしまう事件が起こる。
そのためか、彼の晩年は不遇なものだったようだ。
徳川家康と豊臣秀吉が和睦した後に隠居し、京都で死去している。
徒党員武将
大久保忠教
部隊アイテム
闘魂陣太鼓 = 鼓、価値9。 防御5、耐久?。 生命+40、知力+5、魅力+5。
ドロップアイテム
酒井の陣太鼓  =  鼓、価値10。 神職。 防御4、耐久20、Lv21。 攻撃+7。
 妖力:神速の術・壱(30回)
瓶通し槍  =  槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃73、耐久70、Lv?。
 生命30、器用+3、知力+3、魅力+3。


井伊直政

井伊直政
井伊 直政 (いい なおまさ) Lv60 侍 中老 本陣四天王
「己の肉を滅ぼす覚悟なくば、戦で人は斬れぬ。 お主に、その覚悟はできておるか?」

「徳川四天王」 の一人。
だが徳川家の家臣になったのは実際には遅く、武田信玄 が病死した後である。
部隊の軍装を全て赤一色に染め、「井伊の赤備え」として怖れられた。
「小牧・長久手の戦い」では「赤鬼」と呼ばれるほどの活躍を見せ、秀吉からも賞賛されている。
自分に厳しく、他人にも厳しい性格で、怠けている部下を容赦なく切り捨てたりしたため、兵士や武将達は彼の配下になるのを嫌がったと言うが、合戦時には自ら先頭に立って敵に突っ込んで行き、その心構えを示したと言う。

政治的な任務や交渉にも優れていたが、「関ヶ原の戦い」の後、受けた傷が癒えないうちから戦後処理に奔走。
結果、過労と傷の悪化でついに倒れ、42歳で病死した。
「新参者」であったが故に、常に功を焦っていたとも言われている。
徒党員武将
井伊直孝
部隊アイテム
井伊赤備え羽織 = 胴装備。 防御35、耐久38。 気合+70、火+7。
ドロップアイテム
井伊の赤鬼  =  槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃78、耐久60。 気合+80、火+4。 火炎・壱(35回)
井伊の赤備え鎧  =  鎧。 侍・鍛。 防御59、耐久85、Lv?。 気合+50、火+5。


本多忠勝

本多忠勝
本多 忠勝 (ほんだ ただかつ) Lv60 侍 中老 本陣四天王
「国のため、殿のため、武芸に励んでおるか。○○。 他の誰にも負けぬ、自分だけの戦いの術なるものを、身につけよ。 さすれば、何も怖いものなどない!」

「徳川四天王」の一人。 戦国時代における最強武将の一人だろう。
生涯で57度の合戦に挑み、あげた戦功は数知れず、しかし自身が傷を負ったことは一度もなかったと言う。
トレードマークの「鹿角の兜」と、刃先にとまろうとしたトンボがそのまま真っ二つになったという逸話を持つ名槍「蜻蛉切(とんぼぎり)」を持ち、戦場を駆け巡った。
蜻蛉切は重さも凄かったらしいが、彼はそれを軽々と扱ったという。

合戦でのエピソードをあげるとキリがないぐらいで、野戦・攻城戦を問わず活躍し、その猛攻で多くの城を一晩で落城させたりもしている。
織田・徳川軍 と 浅井・朝倉軍 が戦った 「姉川の合戦」 では、約1万の朝倉軍に単騎で突撃して敵中で暴れまくったという、まさに戦国無双な人。
「家康に過ぎたるもの」と称され、信長からも「花実兼備の武士」と言われ、秀吉からは「日本第一、古今独歩の勇士」と褒め称えられた。
中国の三国時代の英雄「張飛」に例えられる事もあったが、武勇だけでなく機略にも富んでいたという。

「関ヶ原の戦い」の後、伊勢に10万石の領地を与えられ、その地で没している。
彼の遺言には、サムライとしての彼の心意気がよく表れている。
「事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して、侍と言う」
徒党員武将
本多忠政 本多忠朝
部隊アイテム
三河鍾馗の旗 = 胴装備。 防御6、耐久?。 攻撃+5、腕力+7、耐久+7。
ドロップアイテム
蜻蛉切り  =  槍。 攻撃78、耐久80。 侍・僧・鍛・薬。 器用+9、全属性+2、低速化・参(20回)。
鹿角脇立黒漆筋兜  =  兜。 防御30、耐久30。 侍・鍛。 腕力+5、耐久+5、器用+10。
黒糸威数珠二枚胴  =  鎧。 詳細不明。(現在は出現しない?)


榊原康政

榊原康政
榊原 康政 (さかきばら やすまさ) Lv60 侍 中老 本陣四天王
「殿は、働きには必ず報いてくださるお方だ。 わしの「康」の字も、初陣の功を賞し、殿が下さったものなのだよ。」

「徳川四天王」 の一人。 家康が今川家の人質だった時代から仕えていた。
部隊の統率力に定評があり、「旗本先手役」という役割を与えられ 「無」 の旗を掲げて各地の戦場で先陣を務め、大きな功績をあげた。

また、文書を書く才能にも恵まれており、各種の書状の代筆も行っている。
徳川家が秀吉と戦った 「小牧・長久手の戦い」 では、「秀吉 は 信長 の恩を忘れ、織田家の領地を横領している」という内容の秀吉を非難する檄文を書き、戦場の各地に掲示した。
これを読んだ秀吉は激怒して彼に多額の賞金をかけて攻め込んだが、檄文で集まった援軍と共にこれを返り討ちにして名を上げている。

徳川家が関東に移されてからは上野に 10万石 の領地を与えられ、土木工事や街道整備に務める一方で、関東の総奉行も兼任した。
しかし徳川幕府の設立後、官僚組である 「本多正信」 らと対立したため、「老臣が権力を争うのは亡国の兆し」 と言い、隠居した。
部隊アイテム
無一文字槍 = 槍。 攻撃67、耐久?。 気合+60、腕力+8。
ドロップアイテム
笹穂の槍  =  槍。侍・僧・鍛・薬。攻撃76、耐久70、Lv22。 生命+50、腕力+4。
竜浪蒔絵黒糸威鎧  =  鎧。 侍・鍛。 防御60、耐久95、Lv22。 全属性+5。


土井利勝

土井利勝
土井 利勝 (どい としかつ) Lv50 神職 敵後陣後詰
「この戦国の世に家名を興し、栄えさせたいと願うはどこも同じ・・・。 それは、当家とて例外ではないぞ。」

徳川幕府における初の「大老」。
元は徳川家康の小姓(身の回りの世話をする子供)であり、二代将軍 「徳川秀忠」 に従ってその側近となる。
徳川秀忠が将軍になってから大きく出世し、政敵である 「本多正純(本多正信の子)」 を追い落として幕府の重臣のトップに上り詰め、三代将軍 「徳川家光」 の頃まで幕府の中枢にあった。
政敵を次々葬ったやり手であるが、「仁慈の人」だったとも言われている。

彼は実際には、徳川幕府が開かれてから活躍した人で、戦国時代の終わり、および終わってからの人である。
にも関わらず 信On に重臣として登場するのは・・・ 彼が家康の 「隠し子」 だったという説から来ているのかもしれない。
彼は異例の出世・境遇を得ていて、元々そういう噂があったのだが、年をとってから家康に瓜二つの見た目になり、幕府内で話題になった。
信On ではレベルが高いし、家康のすぐ側にいるし・・・ 本当に家康の子という設定なのかもしれない。

ちなみに、彼は徳川家康にソックリだと噂されたとき、それが自らに災いを招くと考え、家康に似ないように顔のヒゲを全て剃り落としてしまった。
すると家臣もそれに習ってみんなヒゲを剃ってしまい、それが日本の武士がヒゲを剃るようになった始まりだと言われている。
信On の彼の顔グラフィックがヒゲだらけなのは、あえてそれを強調しているのかもしれない。


本多正信

本多正信
本多 正信 (ほんだ まさのぶ) Lv65 陰陽師 中老 本陣軍師
「・・・私は、私のやり方で、殿にお仕えするのみ。 他の人間に何を思われようが、一向に構わぬ。」

「陰険な策謀家」と呼ばれ、他の家臣や諸大名から嫌われた家康のブレイン。
幼少の頃から家康に仕えており、仲も良かったのだが、熱烈な一向宗信者だったために 「三河一向一揆」 の際には一揆側に加担して家康と戦った。
そのため、一揆が鎮圧されてからも徳川家には戻らず、戦国の謀将 「松永久秀」 に仕えたり、一向宗の国 「加賀」 などにいたと言われているが・・・
この頃の彼の詳細は不明である。

それから数年から十数年後・・・ 大久保忠世 の取り成しで徳川家に復帰。
以後は家康に重用されて側近となり、主に政治的な活動で活躍。
その一方で人が嫌うような策謀を巡らし、不手際のあった同僚も容赦なく罰し、家康の側で家康よりも厳しく他の家臣を叱責した。
そのため、もちろん彼は恨まれることが多かったのだが、自ら進んで「徳川家の汚れ役」になっていたと言われている。
一方で、恩賞は貰わず、俸禄も少なく、常に質素な暮らしをしていたと言う。

彼のこうした性質は、幼少期の貧しさと、「一向宗」という宗教、そしてその一向宗を頼りに放浪して挫折した、一連の出来事の中で培われたというが・・・
彼が信仰を通して見たものは、一体何だったのだろうか?
徒党員武将
本多正純
部隊アイテム
四季花鳥図屏風 = 特殊装備。 防御3、耐久?。 魅力+10、全属性+1。
ドロップアイテム
本佐禄  =  特殊装備。 全職業。 防御4、耐久10、Lv23。 知力+8、全属性+2。

=三河のその他の人々=
築山殿
築山殿 徳川家康 の正室で、今川義元 の妹の娘。 家康の長男 「徳川信康」 の母。
しかし戦国の大事件の1つ 「信康事件」 によって、子の信康と共に殺害された。
「信康事件」 とは、織田信長 が 徳川家康 の長男 「徳川信康」 と、その母 「築山殿」 に切腹を命じた事件であり、その原因は 信康 の母である 築山殿 が 武田家 に内通していたからだと言われている。
信康 には 織田家 から来た側室の 「徳姫」 がいたのだが、この 徳姫 と 築山殿 が不仲であり、徳姫 が 築山殿 と 信康 を非難し、武田家に内通しているという内容の書状を 酒井忠次 に持たせて、織田信長の元に送ったのが事の始まりと言われているが・・・
ただ、この話には多くの疑問点があり、実際の所がどうだったのかは今でも謎に包まれている。

いずれにせよ、徳川家存続のために 信長 には逆らえない 家康 は、泣く泣く我が子の信康に切腹を命じているが、家康はそれを生涯 後悔したという。
徳川信康は武勇に優れており、「関ヶ原の戦い」の際に家康は、「信康が生きていれば、自分がこの戦に出る必要はなかったのに・・・」 と語ったという。
築山殿 が 今川家 の血筋であったことも、この悲劇の一端だったと言われている。

なお 信On の彼女の顔は、今川義元の親族であるためか以前はふっくらポッチャリ系だったのだが・・・
いつの間にか、激やせダイエット美人に変貌している。

西郷の局
西郷の局 家康の側室で、徳川幕府の二代将軍 「徳川秀忠」 の母。
幼い頃から伊賀忍軍の上忍である「服部家」で育てられたため、「くノ一」であるとも言われている。
成長してから家康の侍女となり、秀忠 を生んで側室となったが、38歳の若さで病死した。

蜂屋 貞次
元は徳川家の家臣だったが、「三河一向一揆」の際に一揆側について家康と戦った。
一向一揆が鎮圧されると徳川家に戻ったが、今川家との戦いで戦死。
信On では三河の一向宗の屋敷に登場する。

吉良 義昭
吉良家は三河に勢力を持っていた豪族(地方権力者)であったと同時に、かなり名門の家柄で、「御所(将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良も絶えれば今川が継ぐ」 と言われていた。
だが、戦国時代に入ると 織田家 と 今川家 の進出によって圧迫されていき、その後は今川家の支配下に入った。
そして 今川義元 の死後、三河の覇権を巡って 松平家(後の徳川家) と争うが、敗北。
その後 「三河一向一揆」 の蜂起に乗じて再び挙兵し、再度 松平家(徳川家)と戦うが、逆に居城を攻められて敗れ、城も落城。
その後は摂津(大阪)へと落ち延びて行ったと言う。
徳川家康の最初のライバルと言える。
ドロップアイテム
吉良の鉄兜 = 兜。 侍。 防御16、耐久52、Lv12。 火+3。

勝曼寺 蓮修
三河には一向宗の寺院が多くあったが、その中でも特に大きく、そして「三河一向一揆」の際に一揆側の拠点となったのが 「勝曼寺」 「本宗寺」 といった寺院だった。
「勝曼寺蓮修」は・・・ よく解らないのだが・・・ たぶん当時の住職だった人だと思う・・・
ちなみにこれらの寺院は再建され、そして今も現存している。

木俣 守勝
徳川家の重臣 「井伊直政」 の配下として知られる人物。
元々「木俣家」 は代々 徳川家 に仕えていたのだが、彼は家庭のトラブルで家出して、一時期 織田家 の 明智光秀 に仕えていた。
だが 光秀 の配下として活躍したためか、のちに徳川家康によって三河に呼び戻されている。
その後は 「井伊直政」 の配下として 「赤備え」 を率いて活動。
井伊直政 は合戦で自ら槍を振り回して戦うことが多かったため、実質的に 木俣守勝 が部隊の指揮を取ったことも多かったようだ。
信On では海を見ながら青春している(?)が、徳川家と敵対している人が話しかけたなら、彼の赤備え猛撃をその身に受ける事になる・・・ かもしれない。

=徒党員として登場する武将=
●戦闘時、特定の武将の徒党員としてのみ登場する武将です。
●会話は出来ないので、
本来は顔の画像はありませんが、信On の顔の画像の元である 「信長の野望 天下創生」 のものを掲載しています。(「天下創生」 に顔グラフィックがなく、他の作品のものを使用している場合は、それを表記しています)
●合戦中の 「武将の弱体化」 により、その武将との戦闘になっても、徒党員にいない場合もあります。 特に六人目と七人目は弱体化した時に最初にいなくなるので、会う機会は少なくなります。

南光坊 天海 (なんこうぼう てんかい) Lv65 僧 徳川家康 徒党員、二人目 画像は「革新」より
天海 徳川家康 の参謀役として活動した2人の高僧 「黒衣の宰相」 の1人。
その正体は 明智光秀 である。

「天台宗」 という宗派を学んだ密教系の僧侶で、さらに天文学・風水学・陰陽方術・神道など、数多くの学問・術法に精通していたという。
徳川家 が関東に移されてから、徳川家康の参謀役として政務や外交などに関して様々なアドバイスを行った。
江戸幕府が開かれた後、徳川家 と 豊臣家 の対立がさらに深まると、豊臣家に各地の寺院の修繕を要請し、間接的に豊臣家の財政を圧迫させている。

徳川家康 の死後、その葬儀の方法や戒名などを巡り、もう1人の黒衣の宰相 「以心崇伝(金地院崇伝)」 と対立するが、天海が勝利。
そして家康の墓 「日光東照宮」 の建設を行い、さらに風水学と陰陽道を用いた 「江戸鎮護」 の都市計画を立て、江戸の町の建設にも携わった。
織田信長 によって焼き討ちされた 比叡山・延暦寺 の復興も行っている。

そんな天海には、「その正体は 明智光秀 だ」 という異説がある。
天海の前半生がはっきりしないこと、明智光秀と天海の戒名が全く同じ 「慈眼大師」 であること、日光東照宮に明智家の家紋が各所に配されていること、日光東照宮に 「明智平」 という場所があること・・・
他にも、三代将軍の生母で光秀の家臣の娘だった 「春日局」 が天海と会った時に 「お久しぶりです」 と言った事や、天海が復興させた比叡山に寄進された石灯籠の送り主がなぜか 「光秀」 になっていること、天海の書状に光秀の事が頻繁に出てくることなど、根拠とされるものを挙げていくとキリがない。
だが、「本能寺の変 の後も 明智光秀 が生きていて、しかも 徳川家康 の参謀になった」 という話は、あまりにも出来すぎている。

「明智光秀、天海説」は、日本史に残る大きな 「歴史の浪漫」 である事は間違いない。
果たして 天海 と 光秀 に、何かの関係はあるのだろうか・・・?

金地院 崇伝 (こんちいん すうでん) Lv65 陰陽師  徳川家康 徒党員、四人目
以心崇伝 徳川家康 の参謀役として活動した2人の高僧 「黒衣の宰相」 の1人。
元の名は 「以心崇伝」 と言い、「金地院」 は後年の名前である。

「臨済宗」 という宗派を学んだ禅系の僧侶で、足利将軍家に使えた家臣の家柄 「一色家」 の末裔だという。
徳川家 が関東に移されてから、徳川家康の参謀役として政務や外交などに関して様々なアドバイスを行った。
江戸幕府が開かれた後、徳川家 と 豊臣家 の対立がさらに深まると、豊臣家が修繕した 「方広寺」 というお寺の鐘に 「国家安康 君臣豊楽」 と書かれているのを見て、「これは [家康] の文字を二分して呪い、さらに豊臣家が主君となり繁栄を楽しむという意味だ!」 という言いがかりをつけ、豊臣家 を攻撃するためのきっかけを作った。

他にも、「伴天連追放令」 という法令を作ってキリシタンの宣教師を国外に追い出し、「武家諸法度」 という法令で各地の大名家に規制を敷き、さらに 「寺院法度」 によって僧侶や天皇家の権利を制限、それに反対した 「沢庵和尚(たくあんを作った人。人望があった高僧)」 を追放するなど、強権的とも言える政策を次々と実施していった。
これにより、「悪国師」 「天魔外道」 などと呼ばれ、とにかく悪評が高かった人物だが、これらの政策が徳川幕府の政権安定に貢献したことも確かだろう。

しかしその後、徳川家康 の死後、その戒名と葬儀方法を巡って宗派の異なるもう1人の黒衣の宰相 「天海」 と対立し、この争いに敗れ、失脚する。
だが、その後も僧侶としては、最高クラスの権限を持ち続けていた。

榊原 忠政 (さかきばら ただまさ) Lv65 神職  徳川家康 徒党員、五人目
徳川家康 が今川家の人質だった頃に、すでに家康の小姓となっていた古参の家臣。
徳川家康 が独立して大名になると、その配下として家康と共に各地を転戦している。
徳川家の跡継ぎ 「徳川秀忠」 が成人すると、その与力(家臣)となった。

なお、「榊原忠政」 という名前の徳川家の武将はもう1人いる。
徳川四天王 「榊原康政」 の長男で、「大須賀康高」 の家に養子に入り、「大須賀忠政」 となって大須賀家を継ぎ、徳川幕府が開かれてからは城主にもなったが、27才の若さで病死した。

信On の 榊原忠政 は年代と家康の徒党員である事から考えて、前者の方だろう。

板垣 卜斎 (いたがき ぼくさい) Lv65 薬師  徳川家康 徒党員、七人目
徳川家康の侍医。
徳川家康の侍医としては 「片山 宗哲(信On では信濃に登場)」 が有名だが、板垣卜斎 も当時かなり著名な医師だった。
自らも薬学に興味を持っていた 徳川家康 は、取り寄せた海外の医学書を読んだ後、それを侍医にも読ませていたため、板垣卜斎 は舶来のものを含む高い医学知識を持っていたと思われる。
徳川家康の死後、駿河に大きな薬草園を作り、その管理を行った。
「板垣卜斎覚書」 という 家康 に随行した時の記録を残している。

本多 正純 (ほんだ まさずみ) Lv60 薬師  本多正信 徒党員、四人目
本多正純 本多正信 の長男。 父に劣らぬ 「謀略家」 だが、徳川幕府の初期の政争で失脚した官僚の一人。
幼い頃から家康に仕え、10代後半の頃にはすでに重臣として家康の側近となっていた。

「関ヶ原の戦い」 に徳川家が勝利し、江戸幕府が開かれた後は、さらに幕府内で大きな権力を持つ。
そして、徳川家と豊臣家の関係が再び不穏なものになってくると、彼は 「以心崇伝(金地院崇伝)」 と画策し、豊臣家 が修繕したお寺の鐘に 「国家安康」 と書かかれているのを指摘して、「これは [家康] の字を分けて呪っているものだ」 という難癖をつけ、豊臣家進攻の口実を作った。(方広寺鐘銘事件)
さらに豊臣家の内部分裂を進める策謀を巡らし、豊臣家と徳川家が戦った 「大阪・冬の陣」 の後、大阪城の 「外堀」 を埋める交渉を成立させると、大阪城の 「内堀」 も勝手に埋めて大阪城の防御力を無くし、豊臣家の滅亡を決定的にさせる。
その後、幕府内の政敵であった 「大久保忠隣」 を 「配下が財産隠しをしていた」 というスキャンダルを作って失脚させ、さらに父と共に次々と政敵を葬り、幕府トップクラスの権力を持つに至った。

しかし徳川家康が死去し、父の本多正信も後を追うように死去すると、二代将軍 「徳川秀忠」 の側近 「土井利勝」 などが幕府内で勢力を拡大し、徳川秀忠 との関係も悪化して、本多正純の権威に陰りが見え始める。
そして対立勢力の策謀によって 「彼の城 [宇都宮城] に [釣り天井] の罠があり、それを使って 徳川秀忠 を暗殺しようとしている」 という謀反の容疑をかけられ、これにより失脚。 罪人として処分されてしまった。(宇都宮城釣天井事件)

父の本多正信は、「妬みを買う元になるため、加増(領地の増加)を受けてはならない」 と本多正純に言い聞かせていた。
しかし正純は父の死後、次々と加増を受けて、大きな領地を持っている。
智謀は人一倍だったが、慎重さにおいては父に劣っていたのかもしれない。

本多 忠政 (ほんだ ただまさ) Lv55 僧  本多忠勝 徒党員、二人目
本多忠政 徳川四天王の一人 「本多忠勝」 の長男。 
豊臣家が北条家を攻めた 「小田原攻め」 が初陣で、父と共に各地で戦い軍功を上げていった。
徳川家と豊臣家が戦った 「関ヶ原の戦い」 では 二代将軍・徳川秀忠 に従って、真田家 の篭る 「上田城攻め」 に参加している。

父の死後、伊勢の領地を受け継ぎ、その後に転封(移転)となり 姫路城 の城主となった。
また、彼の長男は 豊臣家 最後の当主 「豊臣秀頼」 に嫁いだ徳川秀忠の娘 「千姫」 と結婚をしている。
色々と優遇されているが、これは 父・本多忠勝 の貢献に報いての事だろう。

本多 忠朝 (ほんだ ただとも) Lv55 鍛冶屋  本多忠勝 徒党員、六人目 画像は「革新」より
本多忠朝 徳川四天王の一人 「本多忠勝」 の次男。
「関ヶ原の戦い」 で刀が曲がって鞘に入らなくなるほど奮戦し、将来を期待された。
しかし徳川家が豊臣家の大阪城を攻めた 「大阪・冬の陣」 で、戦いが起きなさそうな場所に配置されたため、場所の変更を申し出るが却下され、さらに酒に酔ったまま 真田幸村 の軍勢と戦って敗北、徳川家康 に 「父に似ず役に立たぬ奴」 と言われてしまう。
その後、「大阪・夏の陣」 では雪辱を晴らそうと、先鋒大将として先陣を切って敵と戦い、豊臣側の毛利勝永と激戦となって、兵力差もあって奮戦の末に戦死した。
その戦いぶりは銃弾を受けながら、全身に二十以上の傷を受けて戦ったという壮絶なもので、その死を知った徳川家康は涙を流して惜しんだという。

父の 本多忠勝 は長男の 本多忠政 より彼に財産を残そうとしたが、彼は 「それでは義に反する」 と言い、兄の忠政の倉に金を預けたまま、生涯それを使う事はなかったという。
また、酒乱だったが、飲んだ後にいつも後悔していたので、死の際に 「自分の墓に詣でる者は酒嫌いにさせてやろう」 と言っていた。
そのため現在は 「酒封じの神様」 として祀られているらしい。

井伊 直孝 (いい なおたか) Lv55 神職  井伊直政 徒党員、五人目
井伊直孝 徳川四天王の一人 「井伊直政」 の次男。
井伊家は井伊直政の長男 「井伊直継」 が継いだのだが、彼は病弱だったため、改めて次男である 「井伊直孝」 が継ぐ事になった。
「大阪・冬の陣」 では 真田幸村 の守る 「真田丸」 の攻防戦で敗れたが、「大阪・夏の陣」 では豊臣側の重臣 「木村重成」 や 「長宗我部盛親」 を撃破、さらに豊臣家の総大将であった 「豊臣秀頼」 を追い詰めて自害に追い込み、「夜叉掃部」 「彦根の赤牛」 などと称され、後に30万石の大名に出世した。

三代将軍・徳川家光 の時代には幕府の重臣となり、主に軍事顧問として活動。
中国の 「明」 の国が 「清」 によって滅ぼされた際、明の家臣が日本に救援を要請した時には、多くの家臣が救援に賛成する中、「朝鮮出兵を再現するつもりか」 とこれに反対し、派兵を中止させている。

大久保 忠教 (おおくぼ ただたか) Lv50 神職 酒井忠次 徒党員、五人目 画像は「太閤立志伝V」より
大久保忠教 「大久保 忠世」 「大久保 忠佐」 の弟。
兄の大久保忠世と共に各地を転戦し、武田家に占領された遠江の 「高天神城」 の攻略戦では敵将 「岡部元信」 を討つ手柄を立てている。
「関ヶ原の戦い」 以降は、本陣で 「槍奉行」 「旗奉行」 などの役職を歴任した。

江戸幕府が開かれた後、大久保忠世の子が病死したため、その領地の相続を持ちかけられたのだが、「自分は所領に見合う働きをしていない」 と言い辞退している。
また、晩年に加増(領地の増加)を受けた時も 「余命のない自分には不要」 と言い辞退、無欲な武将として知られた。

晩年、徳川家の経緯と自分の体験を記録した 「三河物語」 を記した。
これは武功派の武士に大きく支持され、文学としても評価が高く、広く読まれる事になる。
そしてこの 「三河物語」 の大ヒットから、彼が 「天下のご意見番」 として活躍する歌舞伎が作られ、芝居や講談のヒーローとして脚色されていった。

石川 康長 (いしかわ やすなが) Lv50 陰陽師  石川数正 徒党員、四人目
石川康長 「石川数正」 の長男。 主に父と共に活動している。
豊臣家と徳川家が戦った 「小牧・長久手の戦い」 の際に、父が豊臣家に寝返った際、それに同行して豊臣家に仕えた。
しかし父の死後、豊臣家と徳川家の間で 「関ヶ原の戦い」 が起きると 東軍・徳川側 として参戦、これによって 徳川家 に復帰し 「信濃松本藩」 の藩主となった。

だが後年、大久保忠隣 が配下の 「資産隠し」 の罪で処罰される事件が起こった時、彼はその 大久保忠隣 の子を養子にしていたため、その事件に巻き込まれる形となり改易(クビ)になってしまった。
徳川家に復帰後、自分の立場を安定させるために 大久保忠鱗 との関係を深めたようだが、逆に 大久保派 の政敵である 本多正純 に目を付けられる事になってしまったようだ。
徳川幕府初期の政争の犠牲者と言える。

大久保 忠隣 (おおくぼ ただちか) Lv50 神職 大久保忠世 徒党員、五人目
大久保忠隣 「大久保 忠世」 の長男。 徳川幕府の初期の政争で失脚した人物の一人。
徳川家の各地の戦いに兄の 大久保忠世・忠佐 と共に参加して活躍した。
また、内政や交渉にも優れており、奉行に取り立てられ、徳川家 が関東に移転した後は 大久保忠世 の後を継いで相模の 「小田原城」 の城主となる。
さらに家康の跡継ぎである 徳川秀忠 の側近となった。

「関ヶ原の戦い」 では真田家の守る 「上田城」 に対して攻撃を主張、その際に 本多正信・正純 親子は慎重論を出し、これにより両者の対立が始まる。
その後、徳川家の家臣団は 「本多・官僚派」 と 「大久保・武断派」 の二大派閥に分裂。
それでも徳川政権はそのままの状態で続いていたが、幕府が出来て 10 年後、大久保忠隣 の配下であり、金山開発の責任者でもあった 「大久保長安」 が莫大な財産を隠し持っていた事が発覚し、その責任で 大久保忠隣 は失脚。
さらに追い打ちをかけるように、幕府に無断で婚姻を斡旋した罪で領地を没収され、改易(クビ)になってしまった。

だが、この 大久保長安 の資産隠し(大久保長安事件)は、政敵であった 本多正信・正純 による陰謀であったようだ。
つまり、本多派との政争に敗れた結果だと言われている。
そのため本多親子も多くの者から恨まれる結果となり、本多正信 と 徳川家康 の死後、本多正純 も政敵の 「土井利勝」 によって追い落とされる事となる。

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