武田家 武将名鑑

「信長の野望 Online」の「武田家」に登場する武将達のプロフィールを紹介しています。


(名前をクリックすることで、武将の紹介に移動します)

土屋昌次 三枝守友 仁科盛信 小山田信茂 穴山梅雪 原昌胤 原虎胤 秋山信友 保科正俊 武田勝頼 長坂長閑斎 武田信繁 山本勘助 武田義信 飯富虎昌 跡部勝資 武田信玄 真田幸隆 高坂昌信 内藤昌豊 馬場信春 山県昌景
・未所属
阿部 勝宝
甘利 昌忠
小幡 虎盛
多田 満頼

その他の武将・人物
湖衣姫三条の方千重
楽厳寺 雅方犬甘 政徳
溝口 貞泰諏訪 頼忠
小笠原 貞慶
片山宗哲
諸角 昌清 武田 信廉 一条 信龍 小宮山 昌友 曽根 昌世 木曽 義昌 初鹿野 昌次 浅利 信種 栗原 詮冬

・徒党員として登場する武将
望月 千代女 永田 徳本 真田 源太郎 武藤 喜兵衛 真田 昌輝
矢沢 頼綱 春日 源五郎 高坂 昌澄 内藤 昌月 山県 昌満
駒井 昌直 望月 信雅 武田 信豊 武田 信勝 土屋 昌恒
保科 正直 小山田 昌行 小山田 行村 木曽 義康 真理姫
山村 良利

武田家 当主=

武田信玄

武田信玄
武田 信玄 (たけだ しんげん) Lv70 大名 総大将
「わしはのう、皆の意見には真剣に耳を傾けているつもりじゃ。 お主も意見したくば、寄合所で申すなりするがよい。
人は石垣じゃ。たとえ己の身分が低かろうと卑下するものではない。 どのような者の意見であろうと、国のためとなるなら、喜んで耳を傾けるであろう。 そのことを肝に銘じて、励むがよい。」

武田家の大名。
「風林火山」の旗を掲げ、戦国最強の騎馬軍団を率いた「甲斐の虎」。
巧みな人身掌握術と民政で甲斐の山国に富国強兵を成し遂げ、越後の上杉謙信と川中島で死闘を繰り広げた。
武田 信玄、および武田家についての詳細は こちら をご覧下さい。
徒党員武将
望月千代女 永田徳本
部隊アイテム
風林火山旗差 = 特殊装備。 防御7、耐久30。 攻撃+7、全属性+4。
ドロップアイテム
風林火山  =  特殊装備。 全職業。 防御16、耐久32、Lv26。
 生命+80、気合+80、全属性+3。

武田家 武将詰所 (小屋敷)=

初鹿野昌次

初鹿野昌次
初鹿野 昌次 (はじかの まさつぐ) Lv45 神官 敵先陣後詰
「負けたくなければ、戦には出るな。 やる限りは絶対に勝て!」

武田家の重臣 「原虎胤」 の孫。
北条攻めの際に、香車の描かれた金裏地のハデな陣羽織を着て話題になった「かぶき者」。
武田家の伝令役 「百足(ムカデ)隊」 に配属された時も、百足の軍旗を真っ白でハデな軍旗に勝手に変えて、信玄に怒られたという。
(実際には、隅っこに小さくムカデも書いてたらしい。 そんなの、余計に怒られそうだが)

信玄の子、「武田勝頼」の時代には侍大将となり、織田軍の三段構えの鉄砲隊によって武田騎馬隊が壊滅した「長篠の戦い」に参加。
多くの将兵が戦死する中で、勝頼の側にいながら生き残った、わずかな兵の一人となった。
のち、徳川家康に仕え、各地を転戦する。
苗字が読みにくい。
ドロップアイテム
成金陣羽織  =  特殊装備。 全職業。 防御6、耐久26、Lv15。 魅力+3。


浅利信種 浅利 信種 (あさり のぶたね) Lv45 侍 敵先陣後詰
「日々の鍛錬を怠るなよ。 いざというときに後れを取るようじゃ、話にならんからな!」


信玄の父、武田信虎 の時代から武田家に使えていた家老の一人。
北条家を攻めた「三増峠の戦い」という合戦において、小荷駄隊を率いていたが、敵の銃弾を受けて戦死した。
その後、彼は信玄によって手厚く葬られ、その場所には社が建てられた。
それは「浅利明神」として、今でも祭られている。
ドロップアイテム
突撃槍 = 槍。 侍・僧・忍・鍛・薬。 攻撃32、耐久52、Lv14。 腕力+5、耐久-5。


阿部勝宝

阿部勝宝
阿部 勝宝 (あべ かつよし) Lv35 薬師
「戦において、人は、羅刹にも鬼にもならねばならぬ。 ・・・お主にその覚悟、できておるか?」

武田信玄の子、「武田勝頼」の守役。
「むかで隊」 と呼ばれた伝令役 「使番十二人衆」 の一人だった。
長年勝頼の側近であり続け、武田家が勝頼の代になってからは重臣となる。
武田家滅亡の際、勝頼と運命を共にした。
名前が読みにくい。

ドロップアイテム
守役の直垂  =  僧衣。 僧・薬。 防御21、耐久30、Lv15。
 気合+20、知力+5、魅力+5。


栗原詮冬 栗原 詮冬 (くりはら ?) Lv45 侍 敵先陣後詰
「今は一致団結の時。 身内での争いが、最大の敵であると思え。」


甲斐の国人であり、武田家の侍大将。
武田信玄の父「信虎」の代から、子の「勝頼」の代まで仕えていた古参の家臣。
「詮冬」は、あきふゆ だか のりふゆ だかよく解らない。
やはり名前が読みにくい。

* hato さんから、「あきふゆ」 ですと報告を頂きました。
  どうもありがとうございます。<(__)>


甘利昌忠 甘利 昌忠 (あまり まさただ) Lv38 侍
「男として、武士として生まれた以上、より高みをめざすのは当然のことだ。 俺は・・・やるぜ。 絶対に、この世に名を残すような武人になってやる!」


武田家の侍大将。
瀕死の家来が、薬である馬糞汁(その名の通り、馬糞の汁)を「糞まで食べて生き延びたのでは武士の恥だ!」と言った際、「命を大事にするのが本当の武士だ」と言い、自らそれを飲み、家来にも飲ませて勇気付けたと言われている。

その後は、病死したとも、徳川家との戦いに参加したとも言われているが、はっきりしていない。

武田家 武将詰所 (小屋敷)=

曽根昌世

曽根昌世
曽根 昌世 (そね まさただ) Lv50 陰陽師 敵中陣後詰
「短気を起こしてはいけません。 困難を乗り越えてこそ、人は成長するものですよ。」

武田家と北条家が戦った「三増峠の戦い」にて、小荷駄隊を率いていた 浅利信種 が戦死した際、代わって部隊を指揮し、撤退に成功した。
駿河の 今川家 を攻めた際には、同僚の 三枝守友 や 真田昌幸 と共に活躍し、武田信玄から 「我が目の如し」 と称えられている。
その後は斥候(偵察役)や軍監(軍の監視役)として活躍し、武田家滅亡後は徳川家に仕えた。
信玄から直々に軍学や築城術を学んだという。

ドロップアイテム
殿軍の書  特殊装備。 全職業。 防御6、耐久9、Lv16。 器用+7。


小幡虎盛

小幡虎盛
小幡 虎盛 (おばた とらもり) Lv42 僧
「・・・よいか、○○。 力押しだけでは、この乱世生き残れぬ。 まずは信頼のできる仲間を見つけることだ。 されば共に競い合い、助け合い・・・自然、成長することができようぞ。」


「鬼虎」の異名で知られた猛将。 信玄の父 「信虎」 の代からの武田家重臣。
「虎」の字は、武田信虎 から一字を与えられたものである。
生涯三十六度の合戦で、三十六枚の感状(感謝状)を授かり、全身に四十一の傷を持つという歴戦の勇士。
信On では僧になっているが、これは彼が出家していたからだろう。
有名な 「(第四回)川中島の戦い」 が起こる3ヶ月前に病死した。
遺言として子に伝えた、「よく身の程を知れ」 の言葉が有名だ。
孫の 勘兵衛 は江戸時代に「甲州流軍学」の軍学者として有名になっている。


仁科盛信

仁科盛信
仁科 盛信 (にしな もりのぶ) Lv45 侍 侍大将 先陣右翼
「鬼美濃殿が嘆いておったが、最近、武士の義をわきまえぬ侍が多い。 私はお館様の血を受け継ぐ者として、武田家の誇りを示さねばならぬ。」

武田信玄の五男。 ちなみに四男は 武田勝頼 なので、その1つ下。
武田義信 や 武田勝頼 の弟である。
信濃に勢力を持っていた「仁科家」を、政略的な理由で継いでおり、織田家との国境沿いにあった重要拠点 「高遠城」 の城主となった。

武田信玄が病死し、武田勝頼が「長篠の戦い」で織田・徳川連合軍に敗れると、高遠城には織田軍5万の軍勢が押し寄せてきたが、降伏勧告を突っぱねて3千の兵で篭城し十倍以上の敵を相手に奮戦した。
しかし多勢に無勢、ついに城は陥落し、盛信も十字に腹を斬り自刃する。
部隊アイテム
善政の立物 = 立物。 頭装備に取り付ける飾り。
ドロップアイテム
仁政の証  =  首装備。 全職業。 防御14、耐久17、Lv17。 攻撃+5、魅力+7。


三枝守友

三枝守友
三枝 守友 (さえぐさ もりとも) Lv45 侍 与力 先陣中翼
「戦働きだけが奉公ではない。 お主の得意とするやり方で、お家のために尽くすがよいぞ。」


武田信玄の父、「信虎」によって復興された名家 「三枝家」 の跡取り。
今川攻めの際には一番槍の勲功を上げ、徳川家と戦った「三方ヶ原の戦い」でも部隊長の 山県昌景 からその戦いぶりを称えられるほどに奮戦し、名刀 「吉光」 を与えられた。
織田・徳川連合軍の鉄砲隊と戦った「長篠の戦い」にて、徳川家の 酒井忠次 軍の奇襲に合い、戦死。
ちなみに、「三枝」は「さえぐさ」と読む。
部隊アイテム
勘解由陣羽織 = 特殊装備。 防御8、耐久22。 腕力+4、耐久+2。 
ドロップアイテム
三枝六十間筋兜  =  筋兜。 侍・鍛。 防御24、耐久57、Lv17。
 生命+30、気合+30。
三枝二枚胴具足  =  当世具足。 侍・鍛。 防御46、耐久85、Lv16。 腕力+4。


木曽義昌

木曽義昌
木曽 義昌 (きそ よしまさ) Lv50 薬師 敵中陣後詰
「この乱世、殿にお仕えできることこそ、誇りに思うがよい。 お主の活躍、楽しみにしておるからな。」


信濃に勢力を持っていた豪族(地元の権力者)、「木曽家」の頭首。
「木曽家」は平家物語の「木曽義仲」の末裔という。
信玄の娘を与えられて嫁とするなど、政略的な理由で破格の待遇を得ていた。

しかし 武田信玄 が病死し、武田勝頼 の代となって、武田家が 「長篠の戦い」 で 織田家 に大敗して急速に衰退し始めると、勝頼を見限って織田家に寝返った。
この時、家中の誰もが彼が寝返った事が信じられなかったと言われており、これが武田家滅亡の最初のきっかけとなる。
その後、武田勝頼に2度に渡って攻め込まれるが、織田家の援軍もあってこれを撃退した。

しかし武田家の滅亡後、織田信長は「本能寺の変」で急死。
そのため徳川家に鞍替えするが、秀吉 と 徳川家康 が対立すると今度は秀吉側に付いた。
だが秀吉から嫌われてしまい、領地を没収され、秀吉と家康が講和すると再び徳川家に戻ったが、木曽家はさらに縮小され、以後は細々と余生を過ごしたという。
徒党員武将
木曽義康 真理姫 山村良利
ドロップアイテム
木曽冠者の衣  =  僧衣。 僧・薬。 防御24、耐久31、Lv17。
 器用+6、知力+4、土+4。


山本勘助

山本勘助
山本 勘助 (やまもと かんすけ) Lv50 忍者 侍大将 後陣中翼副将
「わしは若い頃、諸国を流浪して様々な技術を会得した。 だが、今川をはじめ諸国の大名は、わしの風采を見て、召し抱えてはくれなかった。 お館様だけがわしの力を見抜き、重用してくだされた。 そのご恩に報いるためにも、わしの持っているものを伝えて、武田家の力になるつもりだ。」

武田家の伝説的な軍師。 一時は実在したかどうか疑問視されていた。
足と目が不自由な色黒の醜い小男だったと言われているが、抜群の才覚を持っていたという。
若い頃は武者修行と称して諸国を回り、様々な技術を会得しつつ、毛利家や北条家、今川家にも出入りしていたと言われているが、詳細は不明である。

武田家に仕えてからは信玄の片腕として活躍、合戦での陣構えはもちろん、政務や築城など、様々な面で信玄をサポートしたという。
武田軍が信濃に侵攻した際には、太陽を背にして布陣する「日取りの陣」を進言し、劣勢だった戦況を挽回させている。
しかし第四回の「川中島の合戦」で、挟み撃ちである「啄木鳥の戦法」を進言するが上杉謙信に見破られ、責任を感じて上杉陣に切り込み、戦死した。

2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」の主人公だ。
部隊アイテム
信玄堤設計図 = 特殊装備。 防御4、耐久8。 知力+4、水+4。
ドロップアイテム (未確認?)
勘介之軍略書  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久9、Lv19。
 攻撃+6、気合+40、耐久力+4、火+3、風+3。


一条信龍 一条 信龍 (いちじょう のぶたつ) Lv50 侍 敵後陣後詰
「攻撃は、最大の防御だ。○○。 斬って、斬って、斬りまくれ!」

信玄の父 「武田信虎」 の子で、信玄とは異母兄弟にあたる。
派手好きの伊達男であったと言われているが、信On でも兜がハデだ。
武田家が織田鉄砲隊に敗れた「長篠の戦い」において、本隊が退却するまでの間しんがり役を務め、敵の追撃部隊を逆に撃退し、部隊が壊滅するまで戦ったという。
その後、武田家滅亡の際、徳川家の侵攻軍と戦い戦死した。
ドロップアイテム
三色糸威鎧  =  鎧。 侍・僧・神・鍛・薬。 防御41、耐久64、Lv17。


多田満頼

多田満頼
多田 満頼 (ただ みつより) Lv38 侍
「合戦は、戦略が重要だ。 やみくもに突入すれば・・・すぐに敵に囲まれるぞ。」

美濃の出身で、信玄の父 「信虎」 の代から武田家に使えた古参の将。
「多田三八」 と呼ばれている事の方が多い。
夜討ちの名人で、夜襲をさせたら右に出るものはないと言われていた。

上杉家との「川中島の戦い」の頃にはすでに引退していたようだが、初期の武田家で活躍した 「甲陽の五名臣」 の一人に数えられており、この五名臣には 小幡虎盛、原虎胤、山本勘助 なども含まれている。

信濃の妖怪婆 「火車鬼」 を退治した伝説が有名なのだが・・・
信On のβテスト時代には、その 火車鬼 の退治をプレイヤーに頼んでいた。
天狗や鬼を退治した伝説も残されている。


秋山信友

秋山信友
秋山 信友 (あきやま のぶとも) Lv50 神官 与力 中陣右翼大将
「織田信長の叔母に、たいそうな美人がいるとか・・・。 いつか、そのような美女を妻に迎えてみたい・・・などというのは過ぎたる夢だろうか。」

武田信玄の腹心として活躍した知勇兼備の名将。
戦場での活躍もさることながら、外交に関する才能も発揮した。
かつて 織田信長 の叔母であり、信濃や尾張の国境沿いにある美濃の 「岩村城」 の女城主でもあった 「おつやの方」 と結婚し、岩村城を無血開城させる。
(岩村城の元の城主は病死して、婦人の「おつやの方」に後を頼んでいた)

しかしその後、武田信玄が病死し、「長篠の戦い」で武田勝頼が敗れると、岩村城は 織田信忠 の率いる2万の織田軍に攻められる。
信友は5ヶ月近く防戦を続けるが、最後は城兵の命を助けるという条件と引き換えに降伏、開城した。
しかし 信長 は 秋山信友、おつやの方 の双方を「はりつけの刑」にして処刑し、城兵も全て皆殺しにしてしまう。
この信長の所業については、信友が岩村城にいた信長の五男を約束を破り人質にしたからとか、武田勝頼がこの少し前に織田の家臣をはりつけにして処刑したからなどと言われているが・・・
信長は怒らせたら怖い、ということなのだろうか。
部隊アイテム
簡易外交手引き書 = 特殊装備。 防御2、耐久8。 知力+3、魅力+3。
ドロップアイテム
外交手引き書    特殊装備。 全職業。 攻撃3、防御4、耐久9、Lv18。
 知力+7。
秋山水牛兜    兜。 侍。 防御23、耐久38、Lv18。


穴山梅雪

穴山梅雪
穴山 梅雪 (あなやま ばいせつ) Lv45 僧 侍大将 中陣左翼副将
「穴山家と武田家は深い血縁関係にあり、わしは武田姓を名乗ることを許されている。 わしの名前である信君の「信」こそ武田一族の証なのだ。
どうもお館様は、旧敵だった諏訪の姫に生ませた勝頼様を溺愛しすぎておるようじゃ。 しかし、勝頼様は「信」の字をもらい忘れた・・・いわば諏訪の恨みを背負った御子よ。
その一方で、近頃のお館様の、嫡男義信様への接しよう・・・。 武田家の行く末に、不安を感じずにはおれんのじゃが・・・。」


本名は 「穴山信君」。 「梅雪」は後に出家した際の名前だが、どちらかというと梅雪の方が有名だ。
武田家の親族衆の筆頭であり、娘婿でもある。
彼はコスプレ好き(?)だったようで、七福神の恵比寿様や大黒様のような姿で町を歩いていたりしており、信On でもそれっぽい格好で登場している。

合戦での武勲は特にないのだが、信玄の側を守る近衛兵を率いており、勝頼の代になってからは武田家臣団の実質上のトップとなった。
しかし、武田勝頼 との仲は悪かったようだ。
「長篠の戦い」に破れ武田家が多くの将兵を失うと、織田・徳川家に内通し、武田家の滅亡間際に徳川家に降伏。
武田家滅亡のトドメを刺すことになってしまった。
ただ、徳川家に降伏したのは、彼が武田家の親族であり、武田の「家名」を後の世に残すためでもあったと言う。

しかし 徳川家康 と共に京都に滞在している時に「本能寺の変」が発生し、家康と共に京都に孤立する。
脱出において家康と別行動を取ったのが運の尽き。
逃亡中に土民に襲われ、あえない最後を遂げた。
部隊アイテム
出家角頭巾 = 頭巾。 防御13、耐久14。 知力+4、魅力+4。


保科正俊

保科正俊
保科 正俊 (ほしな まさとし) Lv45 侍 与力 中陣右翼副将
「武田家中に猛者は多くとも、槍に関してなら拙者をおいて他におるまい。 拙者が槍弾正と異名をとる保科正俊だ。」

「槍弾正」の異名を持つ勇士。
真田幸隆 の「攻め弾正」、高坂昌信 の「逃げ弾正」と合わせ、武田家の「三弾正」の一人である。
川中島の合戦で大きな活躍をしたと言うが、詳しいエピソードは残っていない。
武田家滅亡後は徳川家に仕え、後に「保科家」は徳川幕府において重要な家柄となっている。
徒党員武将
保科正直
部隊アイテム
新弾正槍 = 槍。 攻撃44、耐久60。 腕力+6。
ドロップアイテム

弾正槍 = 槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃44、耐久70、Lv11。 腕力+4、器用さ+4。


諸角昌清 諸角 昌清 (もろずみ まさきよ) Lv50 侍 敵後陣後詰
「勝ったからといって、己の力を過信してはならんぞ。 敵は常に・・・自分自身の中にいると思え。」

信玄の父 「武田信虎」 の代からの老臣。
第四回 「川中島の戦い」 で、上杉軍の猛攻を受けて陣の右翼が壊滅した際、その中で討ち死にした。
信On では若そうだが、その時すでに 80才 を越えていたと言う。
とりあえず、80 才以上で戦場で現役だったところがすごい。
ドロップアイテム
川中島決戦槍    槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃64、耐久64、Lv18。
 気合+20、腕力+4。


跡部勝資

跡部勝資
跡部 勝資 (あとべ かつすけ) Lv60 薬師 侍大将 小荷駄隊守将
「絶対的な信頼、忠誠などというものが、本当にあるのだろうか。 ・・・お主は、どう思う?」


幼少の頃から信玄に目をかけられていたと言われており、武田勝頼 の代に勝頼の側近となった。
「長篠の戦い」において、勝頼 が織田軍の鉄砲隊に騎馬で突撃する作戦を提案した時、古参の重臣たちが反対している中で、勝頼の突撃作戦を支持。
結果として突撃案が採用されるが、武田騎馬隊は織田軍の鉄砲三段撃ちの前に蜂の巣にされてしまい、武田軍の敗北を招いた。

その後、武田家の滅亡時に信濃の諏訪地方で死んだと言われているが、戦死だったのか、脱走したのか、謀殺されたのか、定かではない。
勝頼の側近として、武田家の旧臣達と対立していた人物の一人である。
部隊アイテム
跡部の兵站書 = 特殊装備。 防御3、耐久8。 生命力+40、知力+4。


長坂長閑斎

長坂長閑斎
長坂 長閑斎 (ながさか ちょうかんさい) Lv50 陰陽師 目付 後陣左翼副将
「井の中の蛙にはなりたくなかろう? たまには自国を飛び出して、敵国に行ってみるのも一興だぞ。」

本名は「長坂光堅」。 信玄の代から武田家に使えており、武田勝頼 の代になってから勝頼の側近となる。
上杉家 と戦った 「川中島の戦い」 で、上杉謙信が乗り捨てた名馬を拾って乗り回していたため、「捨て馬拾いの長閑」 と呼ばれていたらしい。
武田家 が 本願寺家 に連絡を取ろうとした際には、その使者を務めた。

後に 跡部勝資 と共に、「長篠の戦い」において 武田勝頼 の騎馬突撃案を支持し、結果として 武田騎馬軍団 を 織田軍 の鉄砲三段撃ちによって壊滅させてしまう。
その後、武田家の滅亡時に自害し、勝頼と運命を共にしたという。

武田家の歴史が書かれた書物 「甲陽軍艦」 には、跡部勝資 と共に 「奸臣(国に害を成す家臣)」と書かれている。
部隊アイテム
甲州年代記 = 特殊装備。 防御5、耐久8。 知力+5、水+5。
ドロップアイテム
滅亡の書    詳細不明

=武田家 中庭=

小宮山昌友 小宮山 昌友 (こみやま まさとも) Lv50 侍 敵中陣後詰
「今は一致団結の時。 身内での争いが、最大の敵であると思え。」

元は信濃の豪族(地方権力者)だったという。
各地の城主を歴任したが、武田信玄の上洛(京都への進軍)の際、その途上で戦死した。
「武田二十四将」に含まれていることもある。

ドロップアイテム

剛勇の薙刀  =  薙刀。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃58、耐久45、Lv16。
 生命+30、気合+30、腕力+3。

武田家 城内=

原虎胤

原虎胤
原 虎胤 (はら とらたね) Lv45 僧 目付 中陣中翼副将
「最近の合戦には、美学が感じられなくなってきたわい。 お主もそうは思わんか? 昔は負傷した敵に肩を貸して、敵の陣まで送り届けたりしたもんだが、今は名乗りもせぬうちから弓や鉄砲を放ってくる。
もちろん、そんなことは覚悟の上で戦場にいるわけだが、どうも情けの通じない戦が多いのう。 わしも年をとったか。」


武田信虎の代から武田家に仕えた、「鬼美濃」 と呼ばれた猛将。
生涯38度の合戦で、全身に50以上の傷を受けたと言われている。
信仰上の理由で一時期 「北条家」 に身を寄せていた事もあり、そこでも軍功を立て続けたが、武田家と戦う事になった時にはすべて「みねうち」であしらったと言われている。
傷ついた敵の老将を敵陣に送り届け、「また元気な姿で会いまみえよう」と言った話が有名だ。
怪我のため「川中島の戦い(第四回)」には不参加、その後、病に倒れた。
初期の武田家を支えた 「甲陽の五名臣」 の一人。
部隊アイテム
鬼美濃大薙刀 = 薙刀。 攻撃56、耐久64。 気合+60、腕力+4。
ドロップアイテム
鬼美濃頭巾  =  頭装備。 僧・薬。 防御18、耐久27、Lv19。
 腕力+4、全属性+1。


小山田信茂

小山田信茂
小山田 信茂 (おやまだ のぶしげ) Lv50 侍 目付 中陣左翼大将
「武田と小山田の歴史は旧い。 昔は覇権を巡って相争った間柄だったが、祖父の越中守信有の代から武田家と盟友関係を結び、ともに甲斐を守ってきた。 わしは、お館様を敬っておるし、またお館様もわしを大事にしてくれる。 わしとお館様がいる限り、甲斐は安泰であろう。」


「小山田家」は平安時代に一時代を築いた「平氏」の末裔であり、武田信玄 の父「信虎」の代までは 武田家 と覇権を巡って争っていた。
信虎の時代に和睦して盟友関係となったが、あくまで「和睦」であって、そのため正確には 「小山田信茂」 は完全な 武田家 の家臣という訳ではない。
しかし彼は 武田家 の各地の戦いで大きな活躍をし、小山田軍は一時期「武田軍最強」とさえ言われたこともある。
また、学問にも優れ、文武両道の士として知られていたという。

しかし武田信玄が死に、勝頼の代になって、家中の不和や武田家の衰退を見るようになると、穴山梅雪 と共に武田家を裏切り、織田信長に内通した。
そして窮地に陥っていた 武田勝頼 を自分の城に迎え、その上で反旗をひるがえし、勝頼を襲撃して自害に追い込む。
だが、後にその裏切りを信長に責められ、斬首されてしまった。

彼が織田家に寝返った理由には、「小山田家」は武田家に従属してはいたが、あくまでも独自の勢力であり、武田家と命運を共にするのを良しとしなかったためでもあったようだ。
徒党員武将
小山田昌行 小山田行村
部隊アイテム
もっこ作成具 = 生産道具。 手裏剣 「もっこ」 の作成が可能。
ドロップアイテム
元近  =  刀。 侍・忍・鍛。 攻撃49、耐久47、Lv19。 生命+30。


原昌胤

原昌胤
原 昌胤 (はら まさたね) Lv50 陰陽師 目付 中陣中翼大将
「合戦で勝利を収めるために重要なことが三つある。 「人」「地」「天」。 これが揃ってはじめて勝利が約束される。
そして私は武田家の「地」を司っている。 それがどんな任務かわかるか? 私は陣馬奉行に就いている。 これは合戦で、布陣場所や陣形を決定するきわめて重要な任務だ。 土地カンのない場所でも瞬時に地形を把握して、有利な布陣を考えねばならんからな。
いくら兵が揃っていて作戦がよくても、布陣が悪ければ勝てない。 どうだ?重要な任務だろう?」


名前が似ているが、「原虎胤」とは別の家系である。
セリフで喋っている通り、武田家の「陣馬奉行」を勤めていて、合戦時の陣の構築や部隊の配置などを一手に引き受けていた。
信玄は 「陣取りの事は昌胤に任せよ」 と絶大な信頼を寄せていたと言う。

軍師的な役割なので合戦で自ら戦うことはなかったが、「長篠の戦い」では織田の鉄砲隊に騎馬突撃しようとする勝頼の突撃作戦に強固に反対し、それが受け入れられず敗北を悟ると、自ら騎馬隊を率いて突撃し、戦場に散った。
部隊アイテム
甲州陣馬奉行書 = 特殊装備。 防御6、耐久7。 攻撃+3、知力+2、全属性+2。
ドロップアイテム
信玄座備図  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久29、Lv19。 知力+2。


真田幸隆

真田幸隆
真田 幸隆 (さなだ ゆきたか) Lv65 野武士 奉行 本陣軍師
「戦とは工夫じゃ。 いや、万事工夫よ。 独自の工夫をすることによって、初めて相手に勝ることができる。 いや、勝らずとも相手と異なることはできる。
人から習うことは数多くあろうが、他の者もすでに知っている、やっている方法と思った方がよい。 そこから己の工夫によっていかに洗練できるかだな。」


戦国時代、小勢力ながらも多くの戦国大名に恐れられ、様々な伝承・伝説を残した「真田家」を興した人物。
元は信濃の豪族だったと言われているが、信濃に勢力を持っていた「村上家」に攻められて領地を追われ、武田家の家臣となった。
以後、「買収」 「奇襲」 「だまし討ち」 などの謀略によって武田家の勢力拡大に貢献、仇敵の 村上家 の城も謀略によって乗っ取り、武田軍による信濃制圧を成し遂げさせる。
上杉謙信 とも様々な駆け引きを繰り広げたと言われており、謙信に 「真田いる限り信濃を取ること安からぬ」 と言わしめたという。

しかし、武田信玄が上洛(京都への進軍)の途中で病死すると落胆し、そのまま後を追うように病死してしまった。
真田家は子の「真田昌幸」が継ぐが、彼は信玄に「我が両目の如し」と言われたほどの人物で、後に徳川の大軍を少数の軍勢で破り一躍有名になる。
そして孫は、「日本一の兵」と呼ばれたあの「真田幸村」である。
徒党員武将
真田源太郎 武藤喜兵衛 真田昌輝 矢沢頼綱
部隊アイテム
真田流軍学書 = 特殊装備。 攻撃+6、防御+9、耐久?。 耐久力+4、知力+8。
ドロップアイテム
登り梯子の鎧  =  鎧。 侍・鍛。 防御65、耐久100、Lv20。
 妖力:神の加護・壱(30)


土屋昌次

土屋昌次
土屋 昌次 (つちや まさつぐ) Lv45 侍 与力 先陣左翼
「自分で申すのも歯映ゆいが、私は武田家中でも勇将として称えられ、多少は武勇に自負がある。 お主と私とどっちが強いであろうか?
ははは、殊勝な。 だが、私などおよびもつかない猛者を知っている。
あやつは刀を握ったら最後、おそらく動く者のいなくなるまで、敵をなぎ倒し続けるであろう。 それほど勇猛で腕がたち、死を怖れぬ勇者なのだ。
いや、もったいつけて悪かった。 その者の名は昌恒、私の実弟だ。 奴のような者こそ豪傑というのかもしれぬ。」


「川中島の戦い(第四回)」が初陣であり、上杉軍の攻撃が本陣にまで到達した際に信玄の側で奮戦したという。
武田家の家臣達の取りまとめ役を担っており、信玄や他の家臣たちから信頼されていた。
信玄が死んだ時に殉死しようとしたが、高坂昌信 に説得されて思い止まる。
「長篠の戦い」において、織田軍が武田軍の突撃を防ぐために作った「柵」を無理やり引き倒そうとし、鉄砲の集中砲火を浴びて戦死した。

セリフに出てくる彼の弟 「昌恒」 は、武田家滅亡の際に 「片手千人斬」 と呼ばれる奮戦を見せた勇将だ。
土屋昌次 の武将アイテムが 「百人斬り刀」 なのは、弟が千人斬りだからだろう。
徒党員武将
土屋昌恒
部隊アイテム
百人斬り刀 = 刀。 攻撃33、耐久45。 生命力+30、耐久+3。
ドロップアイテム
影法師  =  刀。 侍・鍛・忍。 攻撃46、耐久64、Lv16。 腕力+4。


飯富虎昌

飯富虎昌
飯富 虎昌 (おぶ とらまさ) Lv50 侍 奉行 後陣右翼副将
「お館様はわしを信頼してくださり、嫡子義信様を預けてくださった。 その責務の重さたるや相当のものだ。 お主にわかるか?
義信様は、正義感と仁愛にあふれたまっすぐな青年に育たれておる。 わしとしても嬉しい限りじゃ。 だが・・・お館様はあまり義信様を可愛がっておられぬ様子・・・。何故じゃ・・・。」


武田信玄の父 「信虎」 の代からの旧臣であり、武田軍随一の猛将。
「甲山の猛虎」の異名を取り、部隊の装備や馬具を赤に染め、合戦では真っ先に敵に突っ込んで行ったため、「火の玉」や「赤い稲妻」とも称された。
後の武田家や徳川家の「赤備え」も、彼の部隊が元だったと言われている。
上杉軍 8000 の軍勢に城を攻められた時、800 の兵で撃退したりもしている。

「武田晴信(後の信玄)」が父の 信虎 に対してクーデターを起こした時、その中心人物の一人となっており、信玄からの信頼を得て、長男の「武田義信」の守役となった。
しかし、その 義信 は 信玄 と不仲となり、信玄に対してクーデターを計画する。
それは未然に防がれたが、飯富虎昌 はその責任を一身に受ける形で自害した。
歴史は繰り返すのか・・・ 皮肉な最後である。
部隊アイテム
飯富赤備陣羽織 = 特殊装備。 防御10、耐久?。 気合+40、火+8。
ドロップアイテム
武田赤備え  =  鎧。 侍・鍛。 防御57、耐久83、Lv22。
 生命+70、気合+40、火+5。


武田義信

武田義信
武田 義信 (たけだ よしのぶ) Lv55 侍 奉行 後陣右翼大将
「最近、父上の私に対する態度に不安を感じずにはおれぬ・・・。 父上は、四郎を跡継ぎに考え始めておるのではないだろうか?
うむ。公平に考えても、嫡子が跡を継ぐべきだと思う。 父上は、母上より湖衣姫が恋しいと見える。 だから、湖衣姫の子である四郎をひいきにするのだ。 ・・・何か悪い予感がする。 ○○殿は、何かあったときに私の味方になってくれるか?」


戦国の大事件の一つ、「義信事件」の張本人。
武田信玄の長男として生まれ、母が将軍家に近い間柄だったことから、幕府の将軍 「足利義輝」 から一字を受けて 「義信」 と名付けられた。
そして 今川義元 の娘と結婚し、初陣後も信玄の子に相応しい活躍を見せ、誰もが武田家の跡継ぎだと考えていた。
しかし、今川義元 が 織田信長 の奇襲によって桶狭間で死んでから、今川家への進攻を考える 信玄 と、今川家から嫁を貰っている 義信 の間で意見の対立が見え始め、関係が悪化していく。

そして守役である 飯富虎昌 と共に、ついに 信玄 を追放するクーデターを計画するが、計画は露見して 飯富虎昌 はその責任を取って自害。
義信 は寺に幽閉され、二年後に自刃した。
その後、武田家の跡継ぎは 「武田(四郎)勝頼」 となる。
部隊アイテム
武田冠 = 頭装備。 防御19、耐久?。 魅力+6、全属性+2。
ドロップアイテム
八幡太郎義家  =  刀。 侍・忍・鍛。 攻撃55、耐久80、Lv22。
 魅力+5、全属性+3。


武田信廉

武田信廉
武田 信廉 (たけだ のぶかど) Lv50 (影武者?) 敵後陣後詰
「わしは絵が好きだ。 お主は芸術に興味があるか? 今は戦国の世。 文化にかまけていては、敵は倒せん。 求められるのは軍事だの、内政だの硬いことばかりだからな。
だが、武将としての才覚には自信のないわしでも武田家で役に立つことが一つだけある。 兄の信玄にそっくりだろう? わしは兄の影武者を務めておる。 お館様と思うて話しかけている相手がわしということもあるぞ、ふふふ。」

武田信玄の弟。 信玄と容姿が似ていたため、信玄の影武者を務めていたことで有名だ。
病気がちだったためあまり武将としての活躍はしていないが、芸術方面の才能があり、書画が巧みで、武田家の武将の絵画を多く残している。
そのいくつかは今でも現存しており、多くが重要文化財に指定されている。
画家としての名は「逍遙軒(しょうようけん)」。
武田家滅亡後、織田家に捕らえられ、斬首された。
ドロップアイテム
渡唐天神画像  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久29、Lv20。
 気合+40、知力+3、魅力+5。
不動尊画像  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久29、Lv20。
 腕力+4、耐久+4、魅力+3。


内藤昌豊

内藤昌豊
内藤 昌豊 (ないとう まさとよ) Lv60 薬師 中老 本陣四天王
「以前、お館様に小荷駄隊を仰せつかってな。 男たるもの、戦場に出て槍働きをしてこそ名を上げられると思い、配置を変えてくれと頼んだところ、こう言い返されたわ。 「戦とは、大将の軍配によって勝利を導き得るもの。後方といえども補給は重要な役割で、自分がやりたいぐらいだ」・・・と。
わしはそれで目が覚めた。 勝利を得るためには小さな功など競うべきではないとな。」


「武田四名臣」の一人。
常に戦略的な、広い視野で物事を見ることが出来たと言う。
各地の戦いで多くの功績を挙げ、武田信繁 の死後は信玄の「副将」と呼ばれる存在となった。
多くの大将首や勲功を上げながら、信玄から一枚の感状(感謝状)も受け取っていないが、これは信玄によると 「昌豊ほどの名人なれば常人を抜く働きはあって当然」 とのことらしい。
つまり、それほどの名将ということである。

「長篠の戦い」において、山県昌景 と共に 勝頼 の突撃論を諌めるが聞き入れられず、自ら先頭にたって織田鉄砲隊に突撃、戦死した。
徒党員武将
内藤昌月
部隊アイテム
甲州流騎馬戦術書 = 特殊装備。 防御1、耐久10。
                攻撃+8、腕力+5、器用さ+5、風+4。
ドロップアイテム
修理亮大薙刀  =  薙刀。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃74、耐久65、Lv20。 知力+4。


高坂昌信

高坂昌信
高坂 昌信 (こうさか まさのぶ) Lv60 陰陽師 中老 本陣四天王
「兵法の真髄はさして難しいところにはありません。 徹底した合理性の追求にこそ、その本質があるのです。
人の行為には、様々な思惑や情がつきまといます。 ですが、それらに惑わされると、多大な犠牲を招いてしまうのです。 己に奢らず、他を侮らず、真実を偽らず・・・ これらを正しく実践することが、兵法の基本なのです。」

「武田四名臣」の一人。
元は信玄の小姓(身の回りの世話をする子供)で、美男子だったらしい。
「逃げ弾正」の異名を持つが、これは慎重派であったことを意味するという。
軍略・兵法に優れ、領地の経営にも手腕を発揮し、越後・上杉家との国境に近い「海津城」の城主となって北信濃を守った。
上杉謙信も、信濃に侵攻しても彼のいる城だけは避けて通ったという。

「長篠の戦い」には本国の守備役であったため、参加しなかった。
敗走してきた 武田勝頼 の服を着替えさせ、連れて来た兵を率いさせて、敗戦の見苦しさを見せないよう配慮したという。
その後、武田家が衰退していくのを憂いながら、病に倒れ、病死した。

晩年、武田家の歴史や事柄、軍学などを詳細に書いた書物 「甲陽軍鑑」 の原本を記したといわれている。
この本は江戸時代に軍学書として広く普及し、そして現在でも当時を知るための貴重な歴史資料となっている。
徒党員武将
春日源五郎 高坂昌澄
部隊アイテム
甲陽軍鑑写本 = 特殊装備。 防御5、耐久10。 攻撃+5、知力+9、魅力+5。
ドロップアイテム
甲陽軍鑑  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久10、Lv22。
 攻撃+10、知力+8、全属性+2。


山県昌景

山県昌景
山県 昌景 (やまがた まさかげ) Lv60 侍 中老 本陣四天王
「わしと兄の虎昌は、具足を朱一色に染めた赤備えを率いている。 こうすることによって、敵は恐怖を覚え、味方は気持ちが引き締まるのだ。
勝機は、敵が浮き足だったときにある。 その機を逃さぬよう、攻撃時は命を捨てとことんまで敵を叩く。 それが戦上手というものだ。
だが、それも多くの勇者がいてこそ。 武田家には猛者が多い。 古参の者は言うに及ばず、三枝や土屋など、勇猛な若者が成長している。 喜ばしい限りだ」


「武田四名臣」 の一人。 飯富虎昌 の弟。
戦場での活躍はもちろん、内政や外交などでも活躍した万能武将。
武田家の政治部門である 「職」 を統括し、領土の政務を行った。
合戦でも 飯富虎昌 から引き継いだ 「赤備え」 を率いて多くの勲功を上げ、城攻めも得意としていたと言う。
徳川家と戦った 「三方ヶ原の戦い」 では、赤備えの部隊と共に 徳川家康 の本陣に猛攻を加え、一時は家康に死の覚悟を決めさせた。
よほど印象に残ったのか、後に 家康 は 武田家 の滅亡後、山県昌景 の旧臣達を配下の 「井伊直政」 に仕えさせ、「井伊の赤備え」 として復活させている。

「長篠の戦い」では武田勝頼に「好機を待つように」と進言するが聞き入れられず、状況の打開のために鉄砲交代の隙を突いて織田軍に突撃するが、銃弾を浴びて壮絶な最後を遂げた。
徒党員武将
山県昌満
部隊アイテム
(侍・鍛冶屋)
山県赤備具足 = 鎧。 防御53、耐久90。 生命+70、火+7。
(僧・薬師)
山県赤備肩掛 = 法衣。 防御36、耐久43。 生命+70、火+7。
(陰陽師・神職)
山県赤備羽織 = 直衣。 防御34、耐久38。 生命+70、火+7。
(忍者)
山県赤備忍者鎧 = 忍者鎧。 防御50、耐久48。 生命+70、火+7。
ドロップアイテム
武田赤備え  =  鎧。 侍・鍛。 防御57、耐久83、Lv22。
 生命+70、気合+40、火+5。
山県烏帽子兜  =  兜。 侍・鍛。 防御33、耐久40、Lv22。
 生命+60、腕力+3、耐久力+3、器用+3、火+3。


馬場信春

馬場信春
馬場 信春 (ばば のぶはる) Lv60 神官 中老 本陣四天王
「信虎様の時代から、武田家には名将、良将が数多くいた。 わしは、大勢の仲間から様々なことを学び、実践を通して技能を身につけてきた。 持つべき者は友だ。 お主も学ぶべき、よき友を持つがよい。」

「武田四名臣」の一人。 生涯七十余の合戦で傷一つ負わなかったという。
一般には「馬場信房(ばば のぶふさ)」と呼ばれる事のほうが多いが、名前がいろいろ変わっていたらしい。
武田信玄の父 「信虎」 の時代から武田家に仕えていたが、「信虎追放」の際には重要な役割を果たしたと言われている。
小幡虎盛 より戦術や築城術を学び、「川中島の戦い」では 山本勘助 と共に「啄木鳥の戦法(挟み撃ち)」の別働隊を指揮、北条家や徳川家との戦いでも先陣を務め、目覚しい活躍をしている。

武田家 が 今川家 に侵攻して駿河を陥落させた時、武田信玄が 今川家 の城にあった財宝を運び出すよう命令した際、「そんな真似は後世に汚名を残す」 と言って逆に財宝を全て焼き払った話が有名だ。

「長篠の戦い」では、他の古参の家臣と共に勝頼の突撃案を諌めるが聞き入れられず、武田家は壊滅的な打撃を受ける。
彼はそんな中で しんがり役 を務め、勝頼の本隊が退却するまでの時間を稼ぎ、退却を見届けるとそこを死に場所と決め、単騎で敵中に突撃し戦場に散った。
その姿は敵味方に賞賛されたと言う。
徒党員武将
駒井昌直
部隊アイテム
馬場築城術の書 = 特殊装備。 防御8、耐久?。 知力+9、土+5。
ドロップアイテム
鬼美濃刀  =  剣。 侍・鍛・神。 攻撃49、耐久55、Lv21。
 腕力+2、耐久+2、器用+2、知力+2、魅力+2


武田信繁

武田信繁
武田 信繁 (たけだ のぶしげ) Lv55 侍 中老 後陣中翼大将
「・・・昔の話だが、親父殿は兄上よりこの私を可愛がった。 だが、私は兄上にとって代わろうなどと考えたことは一度とてないし、兄上も私を疑ったことなどないだろう。 私は、その信頼に応えるべく、いつでもこの命を投げ出す所存だ。
君臣としてのけじめを示すため、公の場では決して兄上と呼んではならないと肝に銘じている。
今はこのような立場にあり自由に動けぬ身だが、私も兄上も元気にやっている。 駿河に行く機会があったら、親父殿によろしく伝えてくれ。」


武田信玄の弟。 父 「武田信虎」 の次男。
セリフにもある通り、信虎 は 信玄 より 信繁 の方を可愛がっていたと言われており、これも信玄によるクーデターの一因だと言われている。
「信虎の追放」により信玄が国主となって以後は、「弟」としての立場をわきまえ、副将として信玄をサポートし続けた。
家臣達もそんな信繁の態度に感心し、その評価は非常に高かったと言う。
「川中島の戦い(第四回)」で上杉軍に本陣が奇襲された際、信玄を逃がすために奮戦するが、自らは戦死した。

信繁は子に武士としての心構えや生活などを記した 「九十九ヶ条の教訓」 を残しているが、これは後に「武田信繁家訓」として伝えられて広まり、江戸時代の武士教育に大きな影響を与えた。
徒党員武将
望月信雅 武田信豊
部隊アイテム
新九九ヶ条教訓 = 特殊装備。 防御3、耐久12。 気合+40、知力+5、魅力+5。
ドロップアイテム
九十九ヶ条教訓  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久21、Lv24。
 知力+6、魅力+9、全属性+2
紅糸威最上胴丸  =  鎧。 侍・僧・鍛。 防御55、耐久93、Lv23。
 生命+40、気合+30、全属性+2、器用-5。


武田勝頼

武田勝頼
武田 勝頼 (たけだ かつより) Lv55 侍 奉行 後陣左翼大将
「下がれ、下郎! 下賎の者が、この武田四郎勝頼に何の用だ!」

武田信玄 亡き後の武田家の国主。 そして甲斐武田家最後の頭首である。
当初は 「諏訪四郎勝頼」 と名乗っていた。
信玄の四男で、長男の 「義信」 は謀反の疑いで幽閉され自害、次男は盲目のため出家、三男は早くに病死したため、彼が後を継ぐ事になった。

勝頼の代になってからも 武田家 は精強であり、徳川家 との戦いも優位に進め、信玄 が落とせなかった遠江の堅城 「高天神城」 も落城させている。
しかし、親しい家臣の意見ばかりを重用し、古参の家臣達を軽んじていたと言われており、武田家 の家中に不和を生じさせてしまう。
そして 織田・徳川連合軍 の進攻によって起こった 「長篠の戦い」 にて、古参の家臣の反対を押し切って織田の鉄砲隊に正面から騎馬隊で突撃、織田の鉄砲三段撃ちによって武田軍は壊滅し、多くの将兵を失ってしまった。

その後は 家臣達 の離反も相次ぎ、武田家は急速に衰退。
あとは滅亡にまっしぐらで、裏切った家臣に追い詰められて勝頼は自刃。
戦国大名としての武田家は潰えた。

あまりに偉大だった父の後を継ぐのは、やはり重荷だったのかもしれない。
徒党員武将
武田信勝
部隊アイテム
諏訪明神の加護 = 首装備。 防御17、耐久 ?。 気合+60、腕力+6。
ドロップアイテム
義弘の太刀  =  刀。 侍・忍・鍛。 攻撃52、耐久69、Lv22。
 生命+40、気合+30、全属性+3。

=甲斐・信濃のその他の人々=
由布姫 湖衣姫 (こいひめ)
武田信玄 の側室で、信濃の 「諏訪一族」 の姫。
「諏訪御料人」 や 「由布姫」 とも呼ばれており、信玄が非常に可愛がっていたという。
武田家の跡継ぎである 「武田勝頼」 を生んでいる。

「諏訪一族」は「諏訪大社」の神官の血筋であり、その地方の大名でもあった。
信玄は信濃の支配を得るためにこの諏訪家と婚姻関係となり、後に侵攻して降伏させ、頭首の 「諏訪頼重」 も謀殺している。
「湖衣姫」はその 諏訪頼重 の娘であるため、その子 「武田勝頼」 は甲斐の人々に「諏訪一族の復讐を成す呪いの子」 と言われていたこともある。
このような複雑な事情も、勝頼 が武田家を継いでからの家中に、微妙な影響を及ぼしていたと言われている。

三条の方 三条の方
京都の名門の家柄 「三条家」 から武田家に嫁入りした武田信玄の正室。
そのために 「三条の方」 と呼ばれていたが、本当の名は不明である。
(正確には、湖衣姫(由布姫)の名も後世になって付けられたものであり、正確な名は記録にないようだ)
謀反の疑いで幽閉され自害した、信玄の長男 「武田義信」 の母。
信玄は湖衣姫(由布姫)ばかり可愛がっていたので、三条の方は武田家内でも微妙な立場にあったと思われる・・・
小説などでは、嫉妬深く、意地悪に描かれている事が多い。

千重
ちょっと不明・・・
NHKの大河ドラマ「武田信玄」で、「やえ(八重)」という 三条の方 の付き人がいたので、それがモデルかも?
信On ではそれっぽいセリフを喋ってるし・・・

楽厳寺 雅方 Lv45 僧
信濃の豪族で、信濃の村上家の家臣。 名前の通り、「楽厳寺」の僧。
武田信玄 と戦うが破れ、村上家が滅亡して 上杉家 に逃れると 武田家 に降伏、以後は武田家の家臣となっている。
信On では信濃にある 小笠原一族の屋敷 に登場する。
ドロップアイテム
楽巌寺の大鎧  =  鎧。 侍・僧・神・鍛・薬。 防御43、耐久56、Lv19。 生命+40。

犬甘政徳 犬甘 政徳 Lv47 侍
信濃の守護職の地位にあった「小笠原家」の家老。
信濃に侵攻してきた武田家と戦うが、留守中に武田家の 馬場信春 によって居城を落とされてしまう。 その後の消息は不明。
ドロップアイテム
徳政の金棒  =  棍棒。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃86、耐久77、Lv20。
 腕力+2、耐久力+2、魅力+4。

溝口 貞泰 Lv46 侍
信濃の守護職の地位にあった「小笠原家」の重臣。
小笠原家に従って信濃に侵攻してきた 武田家 と戦い、その後も 小笠原家 と共に各地を流転、重臣として戦い続けた。
ドロップアイテム
溝口の王佐の書  =  特殊装備。 全職業。 防御3、耐久10、Lv20。 気合+30、知力+7、魅力+4。

諏訪頼忠 諏訪 頼忠 Lv49 神主
信濃の「諏訪一族」の跡継ぎで、諏訪家 が 武田家 に従属してからの当主。
本当は諏訪一族の「分家」だったのだが、「主家」が 武田信玄 によって滅ぼされてしまったので、彼が 「諏訪大社」 の大祝(神官の最上位)を継いで当主となった。
武田家 が滅亡し、さらに信濃を制圧していた 織田信長 も 「本能寺の変」 で急死すると、その隙に挙兵して城を奪還し、北条軍 と協力して信濃に進攻してきた 徳川軍 と戦う。
その後、徳川家 とは和睦して、諏訪家 をお家再興させた。
ドロップアイテム
諏訪神官烏帽子  =  頭装備。 神・陰。 防御18、耐久29、Lv19。 知力+4、魅力+4。
諏訪神官の鼓  =  鼓、価値9。 神。 防御3、耐久19、Lv17。 攻撃+2。
諏訪神官の琵琶  =  琵琶、価値9。 神。 防御3、耐久19、Lv18。

小笠原貞慶 小笠原 貞慶 Lv48 侍
信濃の守護職の地位にあった大名 「小笠原長時(信On では上杉家に所属)」 の子で、小笠原家の跡継ぎ。
同じく信濃の大名だった「村上家」と共に、信濃に侵攻してきた 武田家 をたびたび撃退するが最後には破れ、上杉家 を頼った後、父の 長時 と共に京都に落ち延びて親類だった 「三好家」 の家臣となる。
しかし 三好家 は 織田信長 に敗れ、京都から追い出されたため、その後は 織田家 の配下となった。
京都では小笠原家に伝わる 「小笠原流礼法」 を活用し、朝廷との交渉役を務めている。

「本能寺の変」 後は 徳川家 の支援を受けて信濃に帰還、信濃の 小笠原家 の再興のために活動と戦いを続け、秀吉 に従って 北条家 の小田原城攻めにも参加している。
のちに彼は、秀吉によって追放されていた人物をかくまった罪で改易されてしまうが、最終的に 小笠原家 は徳川幕府によって認められ、藩主として明治維新まで続いている。
「お家再興」に燃えた、波乱の生涯と言えるだろう。
ドロップアイテム
小笠原流馬上槍  =  槍。 侍・僧・鍛・薬。 攻撃77、耐久68、Lv20。 器用+5。
諏訪神官の琵琶  =  琵琶、価値9。 神。 防御3、耐久19、Lv18。

片山 宗哲
徳川家康の侍医。 家康が薬マニアになって自分で様々な薬を作り出すようになったため、「素人が薬を調合して飲んでいては危険」 と何度も注意するが聞き入れられず、ついには信州に遠流されてしまった。
信On では、まだ家康の身を心配しているようだ。 もしあなたが名のある徳川家の武将であるなら、一度尋ねてみるといいかも知れない。

=徒党員として登場する武将=
●戦闘時、特定の武将の徒党員としてのみ登場する武将です。
●会話は出来ないので、
本来は顔の画像はありませんが、信On の顔の画像の元である 「信長の野望 天下創生」 のものを掲載しています。(「天下創生」 に顔グラフィックがなく、他の作品のものを使用している場合は、それを表記しています)
●合戦中の 「武将の弱体化」 により、その武将との戦闘になっても、徒党員にいない場合もあります。 特に六人目と七人目は弱体化した時に最初にいなくなるので、会う機会は少なくなります。

望月 千代女 (もちづき ちよじょ) Lv65 巫女  武田信玄 徒党員、五人目
武田家 の情報収集に大きな役割を果たしていたという、「歩き巫女」 を養成していた女性。
甲賀忍者 を構成する 「甲賀五十三家」 の筆頭である上忍の家柄 「望月家」 の出身で、信濃の豪族(有力者)であり同じ苗字である 「望月盛時」 に嫁入りしていた。
しかし 望月盛時 は 武田家 と 上杉家 が激戦を繰り広げた 「第四回 川中島の戦い」 で戦死する。

武田信玄 はその後、彼女を 「巫女道修練道場」 の 巫女頭 に任命し、孤児や身寄りのない少女 200〜300 人を集め、巫女としての修行や忍術・諜報術の修行を行わせ、「歩き巫女」 として育成し、武田家の情報収集にあたらせた。
この事から、望月千代女 は甲賀の忍術を学んだ女忍者(くノ一)であったと言われている。
当時、巫女は口寄せ(いたこ)や祭事を行ったり、各地を回って舞や楽曲を披露したりしていたため、各地の関所を自由に通行することが出来た。
武田信玄 はこれを利用し、巫女に諜報術を学ばせて、各地の情報を集めさせていたという。

永田徳本 永田 徳本 (ながた とくほん) Lv65 薬師 武田信玄 徒党員、七人目
(画像は太閤立志伝Vより)
「医聖」 と呼ばれた日本屈指の医師の一人。 「医は仁術」 の実践者。
明(中国)人から方術を学び、中国で漢方学を学んだ 「田代三喜」 から医術を学んで、さらに独自の研究を加えて自己流の薬学を完成させたという。

武田信玄の父 「武田信虎」 のところに長く居たらしいが、信虎 と 武田晴信(信玄) が不仲になると武田家を出て、甲斐を中心に各地の村々を回りながら人々の病を治した。
牛に乗り、首に 「一服十八文」 の薬袋をかけ、「医術はまさに神の如し」 と言われており、相手がどんな身分の人でも薬代は十八文以上は受け取らなかったという。

その名は 「甲斐の徳本」 として有名になり、徳川幕府が開かれた後、二代将軍 徳川秀忠 が病に倒れて診察を求められた際も、幕府の侍医が治せなかった秀忠を治癒させると、十八文だけを受け取って、牛に乗って悠々と去っていったという。
戦国時代の京都にいた偉大な医師 「曲直瀬道三」 とも親交があったようだ。
118才と言う、当時としては驚異的な長生きをした人でもある。

真田信綱 真田 源太郎 (さなだ げんたろう) Lv60 侍  真田幸隆 徒党員、三人目
一般的には、「真田信綱」 として知られている武将。
真田幸隆 の長男で、体格がよく勇猛、3尺3寸(約1m)の大太刀の使い手でもあった。
「(第四回)川中島の戦い」 では本陣の守りを行っており、乱戦の中で 信玄 を最後まで守ったのは 土屋昌次 と 彼だけだったという。
父が隠居した後も 「信州先方衆」 として各地を転戦して活躍していたが、武田騎馬隊 が 織田軍 の鉄砲隊に敗れた 「長篠の戦い」 で、奮戦の末に戦死した。

真田昌幸 武藤 喜兵衛 (むとう きへえ) Lv60 陰陽師  真田幸隆 徒党員、四人目
真田幸隆 の三男。 何を隠そう、名将 「真田昌幸」 のことである。
「武藤」 というのは 武田家 の名門の家名であり、信玄より与えられた姓であるらしい。
武田信玄に 「我が両目の如し」 と言われた才覚の持ち主で、「川中島の戦い」 で初陣した後、常に信玄の側で働いていたという。
信玄の死後も 武田勝頼 の配下として活躍、計略によって 「沼田城」 という城を無血開城させるなど、父・幸隆 譲りの謀才を発揮した。

武田勝頼 と 織田・徳川連合軍 が戦った 「長篠の戦い」 で、兄の 真田信綱 と 真田昌輝 が戦死してしまったため、彼が 「真田昌幸」 となって 真田家 の後を継ぐことになる。
その後は甲斐から離れ、信濃で 「真田家」 を存続させるために奔走。
武田家 が急速に衰退していくと 武田勝頼 を城に迎えようとしたが、勝頼 は 小山田信茂 からの誘いに応じ、真田家には来なかった。
だが、そのおかげで真田家は、武田家の滅亡に巻き込まれずに済んだとも言える。

武田家の滅亡後は周辺の大名家との外交戦略を展開し争いを避けていたが、「沼田城」 の割譲を求めてきた 徳川家 と敵対、徳川軍7千の兵に攻め込まれる。
しかし 真田昌幸 は城に仕かけた罠と銃撃で 徳川軍 を迎撃すると、川をせき止めて作った水計の罠で敵軍を押し流し、さらに農民兵 3000 の奇襲攻撃を加え、数倍の徳川軍に圧勝、その名を世に知らしめた。
豊臣秀吉 からは 「表裏比興の者」 と評されている。

その後は 豊臣秀吉 の命令によって 徳川家 に従属したが、西軍・豊臣 と 東軍・徳川 が争った 「関ヶ原の戦い」 では西軍として参加。
そして攻め込んでくる 徳川家 の跡継ぎ 「徳川秀忠」 の3万8千の軍勢を 2500 の兵で足止めし、秀忠 の 関ヶ原参陣 を妨害した。
だが 関ヶ原の戦い の本戦は西軍が負けたため、真田昌幸 は高野山に追放されてしまうが、子の 「真田信幸」 を東軍に加えていたため 真田家 はその後も存続する事となる。

真田昌輝 真田 昌輝 (さなだ まさてる) Lv60 神主  真田幸隆 徒党員、五人目
(画像は太閤立志伝Vより)
真田幸隆 の次男。 だが、なぜか髪の色が父とは違っていたらしい。
兄の 真田信綱(源太郎) と共に 「信州先方衆」 として各地の合戦で活躍、優れた戦術眼を持っていたという。
北条家との戦いでは、北条家の猛将 「北条氏照」 の軍を破る軍功も挙げた。
しかし、織田軍 の鉄砲三段撃ちで 武田騎馬隊 が敗れた 「長篠の戦い」 で、兄の信綱と共に戦死した。

矢沢頼綱 矢沢 頼綱 (やざわ よりつな) Lv60 薬師  真田幸隆 徒党員、六人目
真田幸隆 の弟。 真田昌幸 の甥。
若い頃に出家して僧となったが、程なくして 武田家 に戻り、「信州先方衆」 として各地を転戦した。
真田昌幸 が 真田家 を継ぐとその家臣となって、北信濃周辺の各地の城を攻略、さらに 真田家 が 上杉家・北条家 との国境沿いの要所にある 「沼田城」 を攻略すると、その城主となった。
その翌年、北条家 が 沼田城 に進攻して来たのだが、上杉家の支援などを受けて北条軍を撃退、城を死守している。
「関ヶ原の戦い」 の前に 真田昌幸 の子 「真田信幸」 の配下となり、関ヶ原の戦いでは 東軍・徳川側 として戦っている。

内藤 昌月 (ないとう まさあき) Lv55 侍  内藤昌豊 徒党員、二人目
「槍弾正」 と呼ばれた 「保科正俊」 の次男。 武田家 の重臣 「内藤昌豊」 の養子となった。
内藤昌豊 の死後、その跡を継いで 北条家 との国境沿いにあった 「箕輪城」 の城主となる。
武田家 が滅亡した後は、この地方を支配した 織田家 の 「滝川一益」 の配下となり、侵攻してきた 北条家 との戦いで奮戦した。
だが、滝川一益 はその後の 北条家 との戦いに敗れて近畿地方に戻ってしまったため、彼は 北条家 に降伏してその家臣となっている。 その数年後、病死した。

春日 源五郎 (かすが げんごろう) Lv55 侍  高坂昌信 徒党員、二人目
武田四名臣の一人 「高坂昌信」 の次男。 「高坂信達」 という名もあるらしい。
「春日源五郎」 という名前は 高坂昌信 の旧名で、つまり 高坂昌信 は次男に自分の旧名を付けたことになる。

高坂昌信 の死後、父の後を継いで 上杉家 との国境沿いにある 「海津城」 の城主となり、川中島周辺を治めていたが、武田家が滅亡すると、進攻して来た織田家の 「森長可」 の配下となった。
しかし 織田信長 が 「本能寺の変」 で死んで 織田家 が 甲斐・信濃 から撤退したため、上杉景勝 を頼って 上杉家 の武将となる。
だが、今度は甲斐に 徳川家 や 北条家 が進攻を開始。
そこで彼は 上杉家 から離反することを決め、北条家 と 上杉家 を戦わせ、それに介入して 上杉家 の撃破を狙おうとするが、事前に発覚して捕らえられ、処刑されたという。

高坂 昌澄 (こうさか まさずみ) Lv55 僧  高坂昌信 徒党員、四人目
「高坂昌信」 の長男。
織田・徳川連合軍 の鉄砲隊により、武田騎馬軍団 が壊滅した 「長篠の戦い」 に参加した。
この戦いで彼は当初、その地にあった徳川家の城 「長篠城」 を包囲する役目にあったのだが、武田勝頼 の命令で前線に移動し、遊軍として配備された。
そして合戦が始まった後、彼は迂回して徳川本陣に斬り込んだのだが、そこで討死している。

山県 昌満 (やまがた まさみつ) Lv55 陰陽師  山県昌景 徒党員、四人目
「武田赤備え」 の勇将、山県昌景 の子。 幼くして父の後を継いでいる。
詳細は不明だが、武田勝頼 の代に遠江の 「諏訪原城」 という前線の城の城主となっていたようだ。
武田家の滅亡の際、武田勝頼 が 小山田信茂 に裏切られて襲撃された時に、戦死している。

駒井 昌直 (こまい まさなお) Lv55 薬師  馬場信春 徒党員、五人目
武田家の侍大将。 また、駿河にあった 「深沢城」 という城の城主。
この 「深沢城」 は戦略上の要所にあり、北条家 と 武田家 の間で争奪戦が繰り広げられていた。
そのため 駒井昌直 も 北条家 との戦いで一度は城を失っているが、武田軍 の反撃で城が取り戻された後、再び城主に戻っている。

武田家 が滅亡した後は、徳川家 の配下となった。
この時、徳川家に帰属した旧武田家の武士 895 名の代表となっており、彼らの起請文をまとめ、徳川家康 に提出している。
その後は 徳川家 の 榊原康政 の配下として活躍した。
武田家 の旧臣の多くが 徳川家 に仕えたのは、徳川家康 が 武田家 の軍法などを取り入れており、逆にその前に 甲斐・信濃 を支配していた 織田家 の 河尻秀隆 が、武田家の軍法や習慣を認めず、武田残党狩りなどもしていたからのようだ。

望月 信雅 (もちづき のぶまさ) Lv50 忍者  武田信繁 徒党員、三人目
武田信玄の弟 「武田信繁」 の子。
「望月家」 は信濃の豪族(有力者)の家柄だったのだが、望月家の当主であり 望月千代女 の夫でもあった 「望月盛時」 が 「川中島の戦い」 で戦死して跡継ぎがいなくなってしまったため、武田信繁 の子であった 信雅 が養子に入り、望月家 を継いだ。
しかし、彼も 織田軍 の鉄砲隊により 武田家 が大被害を被った 「長篠の戦い」 で戦死している。
その後、徳川家 の攻撃によって、結局 望月家 は滅亡してしまった。

武田信豊 武田 信豊 (たけだ のぶとよ) Lv50 薬師  武田信繁 徒党員、七人目
武田信玄の弟 「武田信繁」 の次男だが、長男とされていた。
武田信繁 が 「川中島の戦い」 で戦死した後、その後を継ぎ、信濃の要所 「小諸城」 という城を守った。
軍才に優れ、一時は 武田勝頼 に代わって総大将を務めたこともあり、そのため父の信繁が 武田信玄 の 「副将」 と呼ばれていたように、彼も 武田勝頼 の 「副将」 と呼ばれていたようだ。

しかし、武田騎馬隊 が 織田軍 の鉄砲隊に敗れた 「長篠の戦い」 で、武田勝頼 を置いて先に戦場から退却したため、勝頼 の怒りを買って切腹させられそうになっている。
その後、衰退する 武田家 を見限った 「木曽義昌」 が 織田家 に寝返ると、その討伐に向かうのだが、逆に 織田家 の援軍を得た 木曽義昌 に敗北して退却した。
そして 武田家 の滅亡時、自分の領地に戻った際、部下に裏切られて殺されている。

武田 信勝 (たけだ のぶかつ) Lv50 陰陽師  武田勝頼 徒党員、四人目
あまり知られていないのだが・・・ 武田信玄 の死後の 武田家 の正当な後継者は、勝頼ではなく、彼である。
彼の父は 武田勝頼 で、母は 織田信長 の姪(妹の娘)であり、彼は 武田家 と 織田家 の血を引く人物だった。
そのためか、武田信玄 は遺言で 武田信勝 を自分の後継者に指名したが、この時はまだ 信勝 は幼かったので、武田信勝 が 16才 になり元服(成人)するまでの間の代理として、武田勝頼 を指名した。
つまり 武田勝頼 は本当は、武田信勝 が成人するまでの期間限定の当主だった。

だが、「長篠の戦い」 の敗戦によって 武田家 は急速に衰退し、結局 信勝 が当主になる前に滅亡することとなる。

武田家 の最後の時、武田信勝 は武田家の家宝であり守り神とされてきた 「御旗楯無の鎧」 を着て、家督相続の儀式を行った後、自害したという。
それは彼が正当な後継者であったことを示すと同時に、甲斐武田家 が滅亡することを象徴する事柄でもあった。 享年 16才、まさに信玄が当主になることを遺言した年であったと言う。
ドロップアイテム
楯無鎧  =  鎧。 侍・僧・神・鍛・薬。 防御49、耐久70、Lv21。 全属性+3。

土屋 昌恒 (つちや まさつね) Lv40 鍛冶屋  土屋昌次 徒党員、三人目
土屋昌次 の弟。 「長篠の戦い」 で兄が戦死したため家督を継いだ。
幼少の頃より、武田家 の次代を支える人材として 武田信玄 から期待されていたという。

武田家の滅亡の際には最後まで 武田勝頼 に付き従い、絶壁に立ち塞がって下に落ちないよう片手で蔓をつかみ、もう片方の手で刀を振るって、勝頼を追いかけてくる織田の兵を次々と切り倒し続けた。
これが後に 「片手千人斬」 と呼ばれ、三日間血で染まった崖下の川は「三日血川」と名付けられた。
そして武田家終焉の地となった 「天目山」 にて、武田勝頼の子 「武田信勝」 の武田家継承の儀式と、自害の介錯を行った後、武田勝頼 と共に自刃している。
最後まで武田家に殉じた家臣だ。

保科 正直 (ほしな まさなお) Lv40 神主  保科正俊 徒党員、四人目
「槍弾正」 と呼ばれた 「保科正俊」 の長男。
父が病により隠居した後に 「保科家」 を継ぎ、信濃 と 美濃 の国境沿いにあった重要拠点 「高遠城」 の守将の一人となった。
城の守備にあたっていたため、武田家 が 織田家 の鉄砲隊により壊滅した 「長篠の戦い」 には不参加で、長篠 で戦死せずにすんだのだが、その後 高遠城 は 織田軍 5万の大軍に進攻され包囲される。
この戦いで城にいた武田の将兵は 武田家 の最後の意地を見せるべく奮戦を繰り広げ、その多くが討ち死にするのだが、保科正直 は戦いの後、城から脱出して行方を眩ましている。

その後、保科正直 は 北条家 に仕官、織田家 が 「本能寺の変」 の混乱により 甲斐・信濃 から撤収すると 北条軍 と共に信濃に進攻し、高遠城を奪還してこの城の城主となる。
そして 北条家 と 徳川家 が対立すると 徳川家 に付き、徳川家 と 豊臣家 が戦った 「小牧・長久手の戦い」 や、小田原征伐(北条家攻め)などに参加した。
そして 徳川家康 の妹を妻として、保科家 の安泰を計っている。

それから時が過ぎ・・・ 戦国時代の終わりに彼の子が二代将軍 「徳川秀忠」 の隠し子を自分の養子としたため、保科家 は徳川幕府における大名の家柄となった。

小山田 昌行 (おやまだ まさゆき) Lv40 僧  小山田信茂 徒党員、六人目
小山田信茂 の親類の武将。 小山田信茂 の少し遠い親戚である。
武田家 の武将として各地を転戦し、真田幸隆 と共に信濃の平定に功績をあげたという。

武田勝頼 が 織田・徳川連合軍 に敗退した 「長篠の戦い」 では、その地にあった 「長篠城」 の包囲を行っていたため、織田軍 の鉄砲三段撃ちに突撃せずに済んでいる。
そして、武田軍の惨敗兵をまとめ、敗走する 武田軍 を追撃してきた 徳川軍 の部隊を返り討ちにし、武田勝頼 の撤退を援護した。

その後は 織田家 との国境沿いにある 「高遠城」 を守っていた 仁科盛信 の副将となり、織田軍5万の大軍が攻めてくると、3千の兵で決死の抵抗をした末に戦死した。
武田家の滅亡時に、進攻して来る 織田軍 にまともに抵抗したのは、この 高遠城 を守っていた将兵だけだった。 武田家の最後の意地を見せたと言えるだろう。

小山田 行村 (おやまだ ゆきむら) Lv40 薬師  小山田信茂 徒党員、七人目
小山田信茂 のいとこ。 武田家の伝令役である 「使番十二人衆」 を務めた。
この 「使番十二人衆」 は百足(ムカデ)の軍旗を背負っていたため、「百足隊(百足衆)」 とも呼ばれている。

小山田信茂 と共に各地を転戦し、武田家 の滅亡時も 小山田信茂 と共にあった。
そして、小山田信茂 が 窮地に陥った 武田勝頼 を自分の城に誘い、その上で襲撃して追い詰めた際にも行動を共にしていたため、その後、織田信長 がその不忠行為を責めて 小山田信茂 を誅殺した際に、彼も同じ罪状で殺されている。

木曽義康 木曽 義康 (きそ よしやす) Lv45 侍  木曽義昌 徒党員、二人目
「木曽義昌」 の父。 「木曽家」 は 「平家物語」 の英雄 「木曽義仲」 の末裔を称する信濃の名族の家柄である。

武田信玄 が信濃に進攻を開始すると、信濃の豪族(有力者)である 村上義清 や、小笠原家、諏訪家 と同盟し、協力して 武田信玄 に抵抗。
「鳥居峠」 という戦場で 武田軍 の主力を撃破するなどの大きな活躍を見せ、「信濃の四大大将」 の一人と称された。
しかし、武田軍 の相次ぐ進攻によって 諏訪家 や 小笠原家 は降伏し、抵抗できなくなってくると、ついに 木曽義康 も降伏した。

武田信玄 は 木曽義康 の子 「木曽義昌」 に娘を嫁がせて武田一門に加えるなどして木曽家を優遇、その後は武田家の 「親族衆」 として活動し、飛騨地方(美濃の北方)に進軍してその地を支配していた 三木家 (後の姉小路家) を撃破するなどして活躍している。

真理姫 真理姫 (まりひめ) Lv45 陰陽師  木曽義昌 徒党員、四人目
「万里姫」 と書く場合もある。 武田信玄 の三女で、木曽義昌 の妻。
信濃の名家 「木曽家」 を 武田家 の親族とするために、6才で政略結婚により 木曽義昌 に嫁いだ。
その後、真理姫 は 三男三女 を儲け、木曽家で暮らしていたのだが・・・

武田信玄 が死に、武田勝頼 の代になって、さらにその 勝頼 が 「長篠の戦い」 で 織田軍 に大敗して 武田家 が衰退していくと、木曽義昌 は 織田家 に寝返ることを決意する。
だが、この裏切りに怒った 武田勝頼 は人質として預かっていた 木曽義昌 の母と、木曽義昌 と 真理姫 の娘を、はりつけにして処刑してしまう。
そのため 真理姫 は 木曽家 を出て、武田家 にも戻らず、山中に篭って隠遁した。

それから彼女は 65 年もの長きに渡って、隠棲生活を続けることとなる。
その間に 武田家 は滅亡し、木曽義昌 は 豊臣家 と 徳川家 の間で寝返りを繰り返した挙句、没落していった。
彼女はそれを、どのような思いで見ていたのだろうか・・・?

山村良利 (やまむら よしとし) Lv45 神主  木曽義昌 徒党員、五人目
信濃の豪族(有力者)、「木曽家」 の重臣。 木曽義昌 の娘を妻とした。
木曽家 の家臣として、最初は 武田家 と戦い、木曽家 が 武田家 に臣従した後は 木曽義康 や 義昌 と共に 武田家 の武将として各地を転戦している。
木曽義康 が 飛騨地方(美濃の北方)の 三木家 (後の姉小路家) と戦った際に彼も活躍し、武田家 から領地も与えられた。
木曽家 が没落した後は、彼の子がその領地を統治している。

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