第四章
信長編・本編 4-1 金ヶ崎の戦い
光秀編・本編 4-1 金ヶ崎の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。「朝倉家は攻めない」という浅井家との約束を無視し、言うことを聞かない朝倉家を攻撃しにいって浅井家に寝返られ、ピンチに陥った本作の主人公。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。秀吉と共に、信長が撤退する時間を稼ぐため、しんがりとして奮戦した。この頃は足利将軍家・織田家・朝倉家で三股状態だったが、この戦いで朝倉義景と決別した模様。
★羽柴秀吉
のちの天下人。おなじみ豊臣秀吉。この「金ヶ崎の退き口」で自らしんがりに立候補し、信長が逃げる時間を稼ぐため決死の活躍をしたと言われていて、秀吉の伝記の大きな見せ場となっているのだが、本作では脇役。
★松永久秀
主君と将軍を殺し、大仏を焼いた戦国最大の梟雄。金ヶ崎の戦いでは逃げる信長の道案内を務め、道中にいた有力者を説得して味方に付けるなど、大きな活躍を見せた。
★濃姫
斎藤道三の娘、帰蝶。信長の正妻。光秀のいとこ。伝記が少なく、脚色しても歴史に相反しないため、物語ごとに様々な描かれ方をされている。
★前田利家
信長の幼なじみな槍使い。この戦いでは逃げる信長の警護をしていた。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。戦国無双にくノ一が一人いるのはお約束。
★斎藤利三
明智光秀の側近。のちの明智家の筆頭家老。前半生は不明だが、この頃から光秀と行動を共にしていたと思われる。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。細身で物静かな人物と伝わる。いつでも乗り捨てられるよう、名馬には乗らなかったらしい。信長編ではここには出て来ないが、光秀編だとプレイヤー候補。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。勝家と並ぶ織田家の双璧。この頃は京都の政務を担当。
●佐々成政
織田家の武将。この頃は織田家のエリート部隊・黒母衣衆の一員。
●佐久間信盛
織田家の跡継ぎを巡る争いで信長を支持したが、のちにクビになる織田家の重臣。退き佐久間。この頃は京都周辺の雑務を担当。
◆蒲生氏郷
戦国後期の名将。六角家の配下だった蒲生賢秀の子で、信長の元に人質として送られ、気に入られた。この頃が初陣で、当初は柴田勝家の配下として戦った。
◆滝川一益
退くも滝川、進むも滝川と言われた甲賀出身の織田家の重臣。このゲームではひたすら地味。
◆河尻秀隆
織田家の古参の家臣で黒母衣衆筆頭。武人らしい武人。この頃は京都や大阪方面を転戦している。
○朝倉景恒
朝倉家の家臣で、金ヶ崎城の城主。味方を救援しようとして出陣するが間に合わず、城にも戻れなくなって降伏し、浅井家の寝返りで助かったが、その失態で中傷されまくって死んだ。光秀編だと最初から金ヶ崎城が落ちているため登場しない。
○朝倉景健
この頃の朝倉家の主力。この後に起こる織田家との戦い「姉川の戦い」で総大将を務める。
○朝倉景忠
朝倉一門の上位の重臣。朝倉家の滅亡後も一向一揆に荷担して織田家に抵抗。その後も足利義昭や毛利家に働きかけ、朝倉の再興を目指したが、毛利と秀吉の講和によって頓挫した。
○山崎吉家
この頃の朝倉軍の主力。朝倉景健と共に織田家と戦い、少なからぬ被害を与えている。
○富田長繁
朝倉家の家臣。朝倉家の滅亡後、一揆を煽動し、同僚を殺害、味方を襲撃して大争乱を引き起こした越前の狂犬。
○前波景当
前波義継の兄。朝倉家の奉行の一人で、朝倉家を訪れた足利義昭の接待と警護を務めた一人。
○魚住景固
朝倉家の重臣で一乗谷四奉行の一人。同僚や民衆に慕われていたが、のちに富田長繁に謀殺される。
○前波吉継
朝倉家の家臣だが、兄を差し置いて跡継ぎにしてくれと言ったり、朝倉義景の前を馬で走ったり、内通していると息子にチクられたりして怒られ、不満を持つ。
○河合吉統
朝倉家の重臣で一乗谷四奉行の一人。朝倉義景の奏者(取次役)で救援軍の指揮も行っている。
○山崎吉延
山崎吉家の弟、山崎長徳の父で、風流人であったという。
○栂野景仍
読みづらい人。たぶん「つがのかげよる」。朝倉領と浅井領の間にあった城の守将を務めた。
□朝倉義景
朝倉家の大名。風流大名として有名で、足利義昭を保護していたが、義昭はやる気のない朝倉義景の元を離れ、信長の元に向かい、その庇護で将軍に復帰した。それが気に入らなかったのか義昭や信長の要請を無視し続けたため、ついに信長の怒りを買う。
□朝倉景嘉
朝倉一門の上位の重臣。朝倉家の滅亡後、越後へと落ち延びて、上杉謙信に朝倉再興の支援を求めた。
□朝倉景鏡
朝倉家の筆頭家老。この戦いで金ヶ崎城の救援に向かっていたが、城主の朝倉景恒との仲が悪かったため、わざと行軍を遅らせたという。
□山崎長徳
山崎吉延の子。朝倉家の滅亡後、織田家に降り、明智光秀の配下となっている。
□真柄直隆
太郎太刀という巨大な太刀を振るった朝倉家の怪力無双の豪傑。この後に起こる織田家との戦い「姉川の戦い」で奮戦する。
□高橋景業
最後まで朝倉義景に付き従った側近A。のちに朝倉義景の介錯を務める。
□鳥居景近
最後まで朝倉義景に付き従った側近B。のちに義景の死を見届けると単身で敵中に突撃した。
△浅井長政
浅井家の大名。信長の妹であるお市と結婚し、織田家と同盟を結んだが、親交のある朝倉家が信長に攻められて板挟みに遭う。どちらに付くか悩んだ末に朝倉家を選び、織田信長と敵対した。ゲームでは直前まで仲良しだったのに、急に変心したように見える。
△浅井政元
浅井長政の弟。経理や参謀を務め、兄を補佐したという。
△赤尾清綱
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。浅井家の重鎮で、朝倉家寄りの立場を取っていた。
△海北綱親
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。子は有名な画家(海北友松)となる。
△宮部継潤
秀吉配下の破戒僧として有名。比叡山にいたが合戦で戦いたいがために下山し、最初は浅井家、のちに秀吉に仕えた。
△磯野員昌
浅井家随一の猛将。浅井の四翼の一人。浅井長政の祖父の代から主力として活躍していた。
△新庄直頼
近江の国人衆の一人。文武に優れ、人倫をわきまえた人物だったという。
△朽木元綱
琵琶湖の西、朽木谷の有力者。松永久秀の説得を受け、この戦いで撤退する織田信長の朽木谷通過を許し、これを護衛する。
△遠藤直経
浅井家にその人ありと言われた知勇兼備の将。織田と朝倉のどちらに付くかについて「もはや信長は近畿を支配する大将であり、逆らうことはできません」と進言したが、聞き入れられなかった。
□お市
信長の妹、浅井長政の妻。長政が寝返った際、兄の織田信長に両端を結んだ小豆の袋を届け、織田軍は前も後ろも塞がれているということを暗に伝えたという伝承がある。一方で、彼女の存在により浅井長政は「女にたぶらかされた」と朝倉派の家臣に陰口を叩かれることがあったようで、朝倉に付かざるを得なかった一因とも言われる。
□柴田勝家
織田家の猛将にして筆頭家老だが、ゲームではお市の護衛を務めているため、お市が敵に回るステージでは柴田勝家も敵となる。
◇浅見道西
浅井家の家臣。浅見家は京極家を追放し、一時は北近江の代表にもなっていたが、浅井家に敗れて従属した。
◇三田村国定
浅井家の武将で、浅井の四翼の一人。ただし記録ごとに名前が違っていて、はっきりしない人物。
◇野村直隆
鉄砲の生産地であった国友鍛冶を守った浅井家の武将。浅井の四翼の一人。国友鍛冶で作られた国友筒は、のちに織田家の主力武器となる。
◇樋口直房
浅井家の家臣。稲葉山城乗っ取り事件を起こし、近江で隠棲した竹中半兵衛は彼のお世話になっていた。兵法に優れた民政家あったという。
◇堀秀村
浅井家の家臣。樋口直房の主君。竹中半兵衛と面識があったため、その説得を受け樋口直房と共に織田家に降る。しかし大きな領地を持っていたのが災いしたか、のちに近江に所領を得た秀吉と不仲になり、樋口直房と共に追放されてしまう。
武器箱
・開始地点(左下)から上にあがったところにある門の前。なお、この門は開かない。
・開始地点の右、マップ中央下部にある砦の中。
信長編・本編 4-2 姉川の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。浅井家の寝返りで怒り心頭、すぐに合戦の準備を整え、徳川家にも援軍を要請し、浅井・朝倉への反撃を行う。この戦いでは13段の陣を敷いた。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。この合戦にも参加したようだが、一般に流布されている布陣図には名前がない。先陣に近い位置にいたようで、まだ正式な家臣ではなく、客将に近い状態だったためと思われる。
★豊臣秀吉
のちの天下人。おなじみ豊臣秀吉。この合戦で織田13段陣の4段目あたりを務めた。織田陣を7段とする説では、その3段目。
★徳川家康
のちの徳川幕府の将軍。織田信長の要請を受けて援軍としてこの戦いに参加。主に朝倉軍と戦った。
★松永久秀
主君と将軍を殺し、大仏を焼いた戦国最大の梟雄。この頃は信長に付き従っていたが、姉川の戦いに参加したかは不明。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。ボンテージファッション。
★前田利家
信長の幼なじみな槍使い。精鋭部隊である赤母衣衆の一員。この戦いでは浅井助七郎という敵将を討ち取る。
★斎藤利三
明智光秀の側近。明智家の筆頭家老を務めた。明智光秀が姉川の戦いに参戦していたのであれば、彼もいたはずである。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。この戦いでは秀吉に陣形を変えるよう献策し、浅井軍の本陣突入を防いだという。
★中村一氏
甲賀出身の秀吉の配下。鉄砲隊を率いた。この合戦の参加武将に名前が見られ、実際に仕官したのはこの頃。
★瀬名
徳川家康の正妻。築山殿。このゲームの徳川家の女性キャラ枠。ツンデレ系。
★本多忠勝
徳川の猛将。この戦いで朝倉軍1万に単騎で突っ込み、敵中で暴れまくったリアル戦国無双。家康は「忠勝を死なせてはならん!」と慌てて軍勢に突撃を命じ、結果として朝倉軍を圧倒する。
★服部半蔵
伊賀の上忍三家、服部家の末裔。この頃は槍を振るって武将として活動していたので、実は忍者じゃないんだ! とよく言われる。
★百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。この戦いには関わっていないが、近江は伊賀と甲賀に近いため、有力者が伊賀忍者を雇った記述が散見される。
●池田恒興
信長の幼なじみな織田家の武将。姉川の合戦では織田13段陣の2~3段目(7段陣とするなら2段目)を受け持つ。
●森可成
森可成・森長可・森蘭丸と、三代で信長に仕えた森家の武将。姉川の合戦では織田13段陣の後方(7段陣とするなら5段目)を担当する。しかしこのあとの戦いで、朝倉家の山崎吉家に敗れ、討ち取られた。
●坂井政尚
森可成や蜂屋頼隆と共に美濃衆を率いて活躍した織田軍の武将。この戦いで織田13段陣の先陣を受け持つ。
●竹中重矩
竹中半兵衛の弟。この戦いで浅井家の遠藤直経が信長暗殺を狙って、投降を装って信長に近付こうとしたとき、それを見破って直経と戦い、討ち取る武功を挙げる。
●榊原康政
徳川四天王の一人。「無」の旗を掲げて各地の戦場で先陣を務めた。この戦いでは朝倉軍の側面を突き、徳川軍を優勢に導く。
●酒井忠次
徳川四天王の一人。海老すくいという宴会芸を持っていたらしい。この戦いでは徳川軍の先陣を務める。
●石川数正
徳川家康の側近。合戦では西三河衆を率いて戦った。この戦いでは徳川軍の3段目を務める。
●小笠原長忠
遠江の有力者の一人。この戦いでは徳川軍の2段目を務める。のちに遠江の堅城「高天神城」を守る。
■稲葉一鉄
美濃三人衆の一人。この戦いの前に信長が家康に「うちから誰か貸そうか?」と言ったとき、家康が「じゃあ一鉄貸して」と言ったので、最初は徳川軍として戦った。そして織田の13段陣が突破されかけてピンチになったとき、浅井軍に横槍を入れて救援、これが織田軍勝利のきっかけとなる。
■丹羽長秀
物資調達などに手腕を発揮した柴田勝家と並ぶ織田家の双璧。この戦いでは近くの浅井家の城・横山城に睨みを利かせていた。
○浅井長政
浅井家の大名。信長の妹・お市を嫁にして織田家と同盟していたが、織田家が朝倉家を攻めたときに朝倉に味方して寝返り、怒って攻めてきた信長を朝倉義景と共に迎え撃つ。
○柴田勝家
織田家の猛将にして筆頭家老。史実では織田13段陣の中段(7段陣とするなら4段目)を務めていたのだが、このゲームではお市の護衛になっているので、お市が浅井側であるこのステージでは浅井軍の先陣になっている。
○お市
織田信長の妹。浅井長政の妻。このゲームでは敵に回ることが多い。なのでお付きの柴田勝家も敵。
○磯野員昌
浅井家の猛将。浅井の四翼の一人。この戦いでは織田軍に猛攻を加え、織田13段陣の11段目までを突き崩し、信長本陣に迫った。撤退時にも見事にしんがりを務めたという。
○宮部継潤
秀吉の配下として知られる破戒僧。比叡山にいたが合戦で戦いたいがために下山し、最初は浅井家、のちに秀吉に仕えた。
○今村氏直
浅井家の家臣。織田信長を暗殺しようと、投降を偽って織田陣に入り込んだ遠藤直経に付き従うも、見破られ戦死した。
○浅井政澄
浅井家の重臣。姉川の合戦における浅井軍の第2陣を務めるも、美濃三人衆の氏家卜全に敗れて戦死した。
○遠藤直経
浅井家にその人ありと言われた知勇兼備の将。この戦いの敗北が決定的になると、同僚の首を持って降伏するふりをして織田本陣に入り込み、信長を暗殺しようとした。しかし竹中重矩に見破られ、取っ組み合いの末に討ち取られた。
○新庄直頼
文武と人柄に優れた浅井家の家臣。姉川の戦いでは浅井軍の第4陣を務める。
○阿閉貞征
浅井家の重臣で、近江の北方の拠点を守った。姉川の戦いでは浅井軍の第3陣を務める。
○海北綱親
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。のちに秀吉から「我が軍法の師」と評された。
○赤尾清綱
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。浅井家の本拠地・小谷城に赤尾曲輪という個人居住区を築いていた。
○雨森清貞
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人だが記録が少ない。通称は弥兵衛。
○片桐且元
のちに大坂の陣で徳川家と豊臣家の板挟みになることで有名な武将。この頃はまだ幼く、父がこの戦いに参加していた。
○弓削家澄
遠藤直経と共に、降伏を偽って織田陣に入り込み、信長の暗殺を狙った浅井家の家臣。
○野村直隆
鉄砲の生産地であった国友鍛冶を守った浅井家の武将。おそらく浅井の四翼の一人。姉川の合戦のときは、近くにあった横山城の守備を務めていた。
○大野木秀俊
横山城の守備を務めていた浅井家の武将。おそらく浅井の四翼の一人。
○朝倉義景
朝倉家の風流大名。織田信長に反発していたら攻められて、浅井家と共に姉川の戦いで迎え撃つことになるが、実際にはこの戦いに朝倉義景は出陣しておらず、総大将は朝倉景健が務めていた。
○朝倉景紀
朝倉家の重臣。名将・朝倉宗滴の養子。朝倉景鏡と対立していた。姉川の合戦では朝倉軍の先陣を務める。
○真柄直澄
朝倉家の怪力無双の豪傑。兄の真柄直隆と共に、巨大な太刀を振るって一騎駆けしてきた本多忠勝と戦う。朝倉軍の撤退時には徳川軍の前に立ち塞がって奮闘、彼らの活躍で朝倉家は壊滅を免れたという。
○朝倉景健
朝倉家の重臣にして主力。史実のこの戦いで朝倉軍の総大将を務めていた人物。
○前波新八郎
朝倉家の家臣で、姉川の戦いでは朝倉軍の第2陣を務める。他国まで名の聞こえた武将だったという。
○溝江長逸
朝倉家の重臣。年寄衆の一人。しかし姉川の合戦での敗北を見て、織田家に内通し始める。
○富田長繁
朝倉家の家臣。朝倉家の滅亡後、一揆を煽動し、同僚を殺害し、味方を襲撃して大争乱を引き起こした越前の狂犬。
○高橋景業
最後まで朝倉義景に付き従った側近。のちに朝倉義景の介錯を務める。
○朝倉景鏡
のちに朝倉義景を裏切る筆頭家老。金ヶ崎の戦いで織田軍の追撃を行い、その後に比叡山方面に進軍した戦いでも総大将を務めていたが、この戦いは朝倉景健に大将を任せている。
○河合吉統
朝倉家の重臣で一乗谷四奉行の一人。朝倉義景の奏者(取次役)で救援軍の指揮も行っている。
○魚住景固
朝倉家の重臣で一乗谷四奉行の一人。同僚や民衆に慕われていたが、のちに富田長繁に朝食に誘われ、その席で暗殺される。
△雑賀孫市
紀伊の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の頭領と言われる人物。一向宗門徒(本願寺の信者)であったため、本願寺と信長が敵対すると本願寺に味方して、幾度も織田軍を撃破した。戦国無双には(1のときにクレームが入ったらしく)本願寺が登場しないため、依頼を受けて信長を狙ったスナイパーになっている。
武器箱
・朝倉軍の本陣内の左上
信長編・本編 4-3 比叡山焼き討ち
光秀編・本編 4-2 比叡山焼き討ち
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。浅井家と朝倉家は姉川の戦いの後、琵琶湖を北から迂回して京都に迫り、比叡山延暦寺に籠もった。信長は比叡山に敵対しないよう要請したが、比叡山は無視。浅井朝倉が退去した後、信長は焼き討ちを決行する。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。比叡山焼き討ちの功績で城主になり、史実ではここで正式に織田家の重臣に加わった。焼き討ちする一方で、こっそり経典や高僧を保護していたとも伝えられており、のちに復興に尽力する。
★羽柴秀吉
のちの天下人。おなじみ豊臣秀吉。秀吉も光秀と同じく、比叡山の焼き討ちに参加しつつ、高僧の脱出や経典の持ち出しをこっそり見逃していたと言われている。
★松永久秀
戦国のボンバーマン。この頃は勢力を盛り返していた三好三人衆と対峙しており、比叡山の焼き討ちには参加していなかったと思われるが、奈良の大仏殿を焼き、大仏の首を落としたと言われる人物で、焼き討ちステージには相応しい。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。放火と言えば忍者ではある。
★前田利家
信長の幼なじみの槍使い。エリート部隊である赤母衣衆の一人。史実の比叡山焼き討ちでの動向は不明。
★斎藤利三
明智光秀の側近。明智家の筆頭家老を務めた。おそらく光秀と共に比叡山焼き討ちに参加していたと思われる。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。比叡山での動向は不明。近江にいたときのコネを利用し、浅井家に調略(引き抜き工作)をかけていた頃。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。鉄砲隊を率いたが、伊賀や甲賀は鉄砲術を忍術として取り入れていた。
★百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。比叡山焼き討ちには無関係と思われるが、潜入しての放火と言えば伊賀忍者の得意技である。
●佐久間信盛
のちにクビになる織田家の重臣。退き佐久間。比叡山の焼き討ちには反対していたが、信長の命令に従った。
●池田恒興
信長の幼なじみの織田家の武将。比叡山の焼き討ちにも参加した。比叡山には多くの僧兵がいて、戦国初期、本願寺や法華宗の勢力と対立し、京都に攻め込んで火の海にしたこともある。一方的に焼かれたお寺さん、というわけでもない。
●武井夕庵
元斎藤家の家臣。信長の祐筆で、礼儀作法の講師も務めた。比叡山の焼き討ちは佐久間信盛と共に反対したが、命令には従った。
●中川重政
織田家の一門衆(親族)。比叡山焼き討ちの手柄で所領を得る。しかし弟が土地争いを発端とする殺傷事件を起こしてしまい、織田家をクビになった。
○佐武義昌
雑賀衆の武将。元の名は佐竹だが、織田家の軍勢と戦って活躍、それを知った足利義昭の勧めで名字を佐武に変えた。
○宮本兵部
雑賀衆の武将。本願寺の拠点・石山本願寺城に救援に向かった雑賀門徒(雑賀の一向宗門徒)の一人。雑賀の重臣(年寄衆)の一人である湊高秀と同一人物と思われる。
○狐島吉次
雑賀衆の武将。雑賀の狐島を拠点とした年寄衆の一人。雑賀の海賊衆の頭目とも言われる。石山本願寺城に救援に向かった雑賀門徒で、本願寺が登場しない戦国無双5では比叡山がその代わりとなっている。ただし本願寺は浄土真宗、比叡山は天台宗であり、実際には宗教的にはライバルである。
○土橋守重
雑賀と根来の有力者の一人。雑賀孫市のライバルでもある。石山本願寺城に救援に向かっているが、孫市とは別行動を取っていた。のちに内紛となり孫市と撃ち合う。
○岡吉正
雑賀衆の武将。年寄衆の一人。雑賀孫市と並ぶ鉄砲の名手で、石山本願寺城を攻める織田信長を狙撃して負傷させた。
○松田源三
雑賀衆の武将。雑賀の松江を拠点とした年寄衆の一人。海賊門徒でもあったという。
○土橋重治
土橋守重の子の一人。父と共に本願寺の救援に向かった。本作には大人の事情で本願寺がないので比叡山への援軍になっている。
○土橋重隆
土橋守重の父。雑賀衆の有力者にして根来衆の頭領(院主)の一人でもある。根来衆は真言宗のお寺である高野山の近くの勢力で、本願寺は宗教的にはライバル。よって雑賀と根来は協力する事もあれば、対立する事もあった。
□雑賀孫市
紀伊の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の頭領と言われる人物。一般には雑賀の鈴木重秀という人が孫市と言われている。本願寺の左右の将と呼ばれたが、今作には本願寺がないので単なる鉄砲傭兵。
◇栗村三郎
雑賀の粟村(あわむら)の地侍で、雑賀のリーダーの一人だった。雑賀が信長に送った書状には栗村(くりむら)と書かれており、別名か偽名と思われる。
◇坂井与四郎
雑賀の坂井谷(栄谷)の有力者。本名は島宗近。本能寺の変の直前、法主・本願寺顕如を追う織田軍と雑賀孫市の手勢が戦った時、孫市に付き従っていた一人。
△上杉謙信
上杉家の大名。自らを毘沙門天の化身と称した。信心深く、大名を辞めて高野山に出家しようとして、上杉家が大騒動になったこともある。ゲームでは距離を無視していきなり軍勢ごと現れる、神出鬼没にもほどがある軍神。
△柿崎景家
上杉四天王にして七手組大将の一人。越後七郡に並ぶものなしと言われた上杉軍前期の猛将。
△山浦国清
信濃の有力者で武田信玄の初期のライバルだった村上義清の子。信濃を追われ、父と共に上杉家の客将となった。
△新発田長敦
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。越後の有力者である揚北衆のひとつ佐々木党を率いた。交渉術にも長ける。
△色部顕長
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。色部勝長の子。戦場で大きな活躍を見せるも、病弱だったため早期に引退した。
△新津勝資
上杉家の重臣だった山吉豊守の兄弟。第四回・川中島の戦いで遊軍として活躍し、その後も上杉家の多くの合戦に参陣した。
△山本寺定長
直太刀の衆と呼ばれた上杉家の一門衆(親族)。川中島の戦いで武田本陣を突く活躍を見せる。
△斎藤朝信
富楼那の斎藤と呼ばれた上杉家の重臣。武勇だけでなく政略にも優れ、新たに占領した土地の統治を任された。
△竹俣慶綱
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。揚北衆。川中島の戦いで、武具を失っても奮戦したという。
□甘粕景持
上杉四天王の一角。謙信秘蔵の侍大将。その部隊の活躍を見た武田軍は「上杉謙信がいるのか?」とさえ思ったという。
□加地春綱
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。揚北衆の佐々木党の一員。上杉謙信の姉を嫁にしたため重用された。
□本庄繁長
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。上杉軍後期の猛将だが反逆を繰り返した。上杉景勝の代になってからは忠実に仕え、最上家や伊達家を相手に勇戦した。
◇須田満親
元は信濃の一向一揆のリーダー。武田家に追われて上杉家の厄介になる。上杉家の本願寺・一向一揆対策を担当。
◇色部長実
上杉家の家臣。色部顕長の弟。兄が病弱だったので跡を継ぐ。のちに秀吉から「北国路、稀に見る武将」と評された。
武器箱
・マップ中央のやや左下にある十字路(根本中堂)の左
信長編・外伝 4-S1/4-S2 三方ヶ原の戦い
★徳川家康
徳川家の大名。のちの徳川幕府の将軍。織田家と敵対した武田信玄が西への進軍を開始、徳川領に進攻してくる。信玄は徳川を無視して西に向かう素振りを見せたが、捨て置けないと三方ヶ原で武田軍を攻撃、しかし手痛い反撃を受けることになる。
★瀬名
今川家から嫁いだ徳川家康の正妻。築山殿。家康編での女性キャラ枠。ツンデレ系。
★本多忠勝
無双の活躍を見せた徳川家の猛将。史実では鶴翼の陣の左翼を担当し、武田家の山県昌景隊を攻撃して優勢になるが、武田勝頼隊の救援で盛り返された。戦後、信玄に「若輩だが、ただ者ではない」と評される。
●酒井忠次
徳川四天王の一人。史実では鶴翼の陣の右翼を担当、小山田信茂隊を打ち破り、敗走する徳川軍を鼓舞するべく陣太鼓を打ち鳴らし続けた。
●榊原康政
徳川四天王の一人。「無」の旗を掲げて戦った。この戦いでは敗残兵を集めて夜を待ち、敵に夜襲をかけて混乱させたうえで城に退却したという。
●大久保忠世
「よき膏薬(塗り薬)の如し」と呼ばれた大久保兄弟の兄。この戦いでは武田軍に夜襲をかけ、信玄に「負けて意気消沈しているかと思ったが、夜襲をかけてくるとは天晴れ」と評された。
●大久保忠佐
「まさに飛車角行」と呼ばれた大久保兄弟の弟。兄と共に武田軍に夜襲をかけて賞賛された。本多忠勝と同じく、生涯無傷だったと言われている。
●石川数正
徳川家康の側近で、西三河の旗頭と呼ばれた。外交官としても活躍しているが、のちに秀吉に鞍替えすることになる。
●渡辺守綱
槍の半蔵と呼ばれた徳川軍の槍使い。浅井・朝倉家と戦った姉川の戦いでは一番槍となる。三方ヶ原でも先陣を務めた。
●松平家忠
徳川家の武将、酒井忠次の配下。城の修繕や土木作業に優れていたという。
●板倉勝重
元僧侶の徳川家の奉行。名奉行として知られ、その裁きは判例集として後世に伝えられた。
●本多忠真
本多忠勝の叔父で槍の名手。父を失った本多忠勝とその母を保護、養育した。この戦いでしんがりを務め、旗を左右に突き刺し、ここからは一歩も退かぬと言って奮戦後、戦死。
●鳥居忠広
徳川家の重臣である鳥居元忠の兄。三方ヶ原で武田軍に挑もうとする徳川家康に反対、成瀬正義に腰抜け呼ばわりされてケンカになった。合戦中、土屋昌次と一騎打ちして戦死。
●成瀬正義
徳川家の家臣。三方ヶ原で敗れた徳川家康が武田軍の馬場信春の追撃を受けそうになった時、家康の身代わりとなって戦死した。
●中根正照
徳川家の城主。この戦いの前に武田軍に攻められて開城したうえに、それを知らずに救援にきた家康が敗走した出来事があり、その雪辱を晴らそうと三方ヶ原で奮戦するも、討ち死にした。
●青木貞治
徳川家の家臣。三方ヶ原の少し前、中根正照と共に城を守るも武田軍に降伏、三方ヶ原でその恥辱を晴らそうと奮戦し、戦死する。
●夏目吉信
徳川家の家臣。城の守備をしていたが、徳川軍の敗走を知って家康の元に向かい、家康を無理やり馬に乗せて逃げさせると、身代わりとなって武田軍に突撃し、戦死した。
●鈴木久三郎
徳川家の武士。禁猟地で鳥を捕った兵士が処罰されたのを聞き、わざと鯉を捕って食べ、怒った家康に「魚や鳥と人を引き替えにする奴に天下が取れるか」と言い放った。三方ヶ原では家康の身代わりとなって武田軍と戦った。
■服部半蔵
徳川家に仕えた伊賀の上忍の末裔。この戦いでは家康の護衛を務め、追い付いてきた敵と格闘して活躍した。その功績で伊賀者150人を預かっているため、この時に忍軍の頭領になったとも言われている。
◆松井忠次
徳川家の親族である松平家に仕えた武将。三方ヶ原で家康を守って戦い、一族の者が多く戦死した。のちに他の松平家を継ぎ、松平康親となった。
◆本多正信
家康の友人だったが、三河の一向一揆に荷担して家康と戦ったため諸国を放浪する。三方ヶ原の頃に徳川家に戻り、徳川の汚れ役として謀略を巡らし、家康より厳しく他の家臣を叱責したという。
◆鳥居元忠
真の三河武士と賞賛された家康の忠臣。武勇に優れたが、この戦いで負傷して足が不自由になってしまう。
◆天野康景
三河三奉行の一人で、仏の高力(高力清長)、鬼の作左(本多重次)に対し、中庸的で「どちへんなしの天野」と呼ばれた。三方ヶ原では大久保忠世と共に武田軍に夜襲をかけた。
☆武田信玄
武田家の大名。おなじみ甲斐の虎。足利義昭からの要請を受け、織田信長と戦うために西進を開始する。途中、徳川領に入り、家康を無視する素振りを見せるが、三方ヶ原で徳川軍が挑みかかって来るとこれを迎撃し、一蹴した。
☆武田勝頼
武田信玄の子。ゲームでは爽やかだが特徴なさそうな若武者。三方ヶ原の戦いの後、武田信玄が病死したため、武田家の後を継ぐ。
☆岡部元信
元今川家の重臣。今川家の滅亡後は武田家に仕え、重用されている。
○馬場信房
武田四名臣の一人。合戦で傷を負ったことがない不死身の鬼美濃。三方ヶ原の戦いでは武田勝頼と共に後詰めを担当。
○武田信廉
武田信玄の弟。信玄と容姿が似ており、影武者を務めたことで知られる。イラストレーターの武田逍遥軒。逍遥とはお散歩のこと。
○武田信豊
武田信玄の弟で副将と呼ばれた武田信繁の子。武田勝頼の副将と呼ばれ、同世代であったため仲も良かった。しかし軍才はだいぶ劣っていた模様。
○小山田信茂
武田家の重臣。一時は武田軍最強と評されていた。信玄の西上作戦でも先陣を任されている。
○穴山信君
武田家の重臣。穴山梅雪とも。武田の一門衆(親族)であり、信玄の近衛兵を務め、武田勝頼の代では家臣団の筆頭となった。趣味はコスプレ。
○甘利信忠
武田家の家臣。武田二十四将に含まれるのだが、詳細はあまり伝わっていない。三方ヶ原の戦いに参加したらしい。
○真田信綱
あの真田昌幸の兄。武田家の軍師とも言われる真田幸隆の長男で、大太刀の使い手。川中島の戦いで、土屋昌次と彼だけが武田本陣を最後まで守り通したという。三方ヶ原では先鋒を務める。
○高坂昌信
武田四名臣の一人。軍略と兵法に優れた逃げ弾正。逃げ弾正と呼ばれたのは、慎重派で、三方ヶ原でも撤退を勧めたからだという。
□内藤昌豊
武田四名臣の一人。信玄から「活躍して当たり前」と評された。三方ヶ原では徳川軍左翼の小笠原長忠隊、本多忠勝隊を打ち破り、家康の本隊もフルボッコにして、勝利を決定付けたという。
◇天野景貫
元今川家の武闘派家臣。今川義元の死後は徳川家や武田家に通じ、武田信玄が西進を開始すると武田軍の道案内を務めた。
◇芦田信守
武田家の家臣。武田家の西上作戦では秋山信友の配下として、東美濃の岩村城を攻めていた。よって実際には三方ヶ原にはいなかったと思われる。
◇依田信蕃
武田家の家臣。武田家の今川家進攻から名が見え、遠江方面での戦いに参加、三方ヶ原の戦いにも参戦している。
◇小幡信貞
武田家の家臣。重臣の小幡虎盛とは別の家系。武田家の主要な合戦に参加し、のちに織田家や北条家に仕える。
◇秋山信友
武田家の知勇兼備の将。武田の猛牛。武田信玄の西進作戦で東美濃の進攻軍を指揮し、岩村城の女城主にプロポーズ攻撃をかけた。実際には三方ヶ原方面には向かっていない。
◇仁科盛信
武田信玄の五男で、四男である武田勝頼の弟。のちに武田家の意地を見せる籠城戦を繰り広げるが、三方ヶ原の頃はまだ若武者。
◇跡部勝資
武田勝頼の側近。跡部家の兵力動員数は武田軍トップクラス。武田信玄も目をかけていたようだが、のちに織田の鉄砲隊に突撃する武田勝頼の作戦を支持し、武田軍崩壊の一因となってしまう。
◇三枝昌貞
武田家の家臣。三枝守友とも呼ばれる。三方ヶ原の戦いには山県昌景の配下として参加、昌景にその戦いぶりを賞賛され、吉光の名刀を与えられた。
◇河窪信実
武田の一門衆(親族)であり、信玄の異母弟。のちに長篠の戦いで砦を守備するが、酒井忠次の攻撃を受けて戦死する。
◇高坂昌澄
武田家の家臣。高坂昌信の長男。この頃はまだ若武者。
◇土屋昌次
武田家の勇将。川中島で武田家の本陣が上杉軍に脅かされたとき、土屋昌次と真田信綱だけが最後まで信玄の側で奮戦したという。
◇山県昌景
武田四名臣の一人。赤備えを率い、武田の政治部門「職」を統括した。徳川家康を追撃して城まで迫るが、城の門が開け放たれているのを見て警戒し、そのまま引き上げている。
◇米倉重継
武田家の家臣。鉄砲攻撃を防ぐ、竹を束ねて作った大楯「竹束」の考案者。車輪を付けた車竹束もあった。
◇真田信輝
真田幸隆の次男で真田昌幸の兄である真田昌輝のこと。武田家の伝令役「百足隊」を務め、兄と共に活躍した。
◇原昌胤
武田家の陣馬奉行。合戦時の陣の構築、部隊の配置などを担っており、信玄から大変信頼されていた。
武器箱
・マップ中央のやや上にある陣所の中
信長編・本編 4-4 槇島城の戦い
光秀編・本編 4-3 槇島城の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。武田信玄が上洛を開始し、徳川家康を破ったのを知った足利義昭は、ついに織田信長に反旗を翻し、京都で挙兵する。これにより浅井・朝倉・武田・足利・三好・本願寺・雑賀が敵に回り、いわゆる「信長包囲網」が形成されてしまう。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。光秀は将軍家にも通じていたが、足利義昭の挙兵を見て決別を決意、信長に従うことを決めて京都に急行する。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。どのステージにも女性キャラを一人は入れておく方針ぽい。
★斎藤利三
明智光秀の側近。明智家の筆頭家老を務めた。親戚の娘が四国の戦国大名・長宗我部元親に嫁いでいる。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。この頃は秀吉と共に、浅井家の居城・小谷城の近くにあった横山城の守りに着いていて、浅井朝倉軍と攻防を繰り広げていた。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。同僚の手柄を奪ったり、配下の手柄を無視した逸話があり、ちょっといい加減なところもあった模様。
●羽柴秀吉。
のちの天下人。おなじみ豊臣秀吉。この頃に名を木下藤吉郎秀吉から羽柴秀吉に改めている。羽柴は丹羽長秀の「羽」と、柴田勝家の「柴」を組み合わせたもの。媚びまくりである。
●丹羽長秀
物資調達などに手腕を発揮した柴田勝家と並ぶ織田家の双璧。京都周辺の政務を担当しており、足利義昭が挙兵するとすぐに駆け付けている。
●蜂屋頼隆
織田家の精鋭部隊である黒母衣衆の一人。この頃は光秀・秀吉・丹羽長秀と共に京都周辺で活動していた。
●佐久間信盛
のちにクビになる織田家の重臣。退き佐久間。彼もこの頃は京都周辺の政務や守備を担当した。
■百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。この戦いには無関係だったと思われるが、伊賀や甲賀は将軍家の興亡に少なからず関わっている。足利義昭は甲賀に匿われていたし、戦国初期には六角家を攻めた幕府軍が、甲賀忍軍に返り討ちにされている。
○足利義昭
織田信長の支援で室町幕府の第15代将軍に就任するも、将軍としての権威を発揮しようとする度に信長に止められる。自分が飾りであることを知り、各地の大名に「信長を討て」という御内書(命令書)を密かに送り、武田信玄の上洛を聞いてついに挙兵するが、頼みの信玄は病に倒れ、怒った信長に追放されて室町幕府を滅亡させてしまう。
○三淵藤英
異母兄弟の細川藤孝と共に足利義昭の側近となるが、細川藤孝が信長派、三淵藤英が反信長派で、足利義昭の挙兵前に二人で激しい口論になったという。結局、細川藤孝は自分の城に帰り、足利義昭は槇島城で挙兵、三淵藤英は二条城で挙兵したが、信長にあえなく敗れる。
○真木島昭光
姓は槇島や槙島とも。足利義昭が挙兵した槇島城は彼の城であり、ここで急に歴史に名が出てくる。
○一色藤長
室町幕府の名家である一色家の親族で足利義昭の側近。義昭が京都から追放されるとき、外交役として留まるよう言われたのに、義昭を追いかけていったため怒られた。
○上野秀政
足利義昭の側近の一人。三淵藤英と同じく信長への徹底抗戦を訴え、細川藤孝と口論し、義昭の挙兵を促した。
○柳沢元政
代々の足利将軍に仕えた武将。足利義昭が三好三人衆に襲われたときは、七つの傷を負いながらも義昭を守りきった。
○伊丹親興
摂津の有力者。織田家の配下となって摂津三守護に任命され、三好三人衆の襲撃から足利義昭を守るが、義昭の挙兵に応じたため、織田家に寝返った摂津の実力者・荒木村重に襲撃されて戦死した。
○細川藤賢
細川藤孝(ふじたか)ではなく細川藤賢(ふじかた)という紛らわしい人。足利義昭の挙兵に反対したため、信長に許されて織田家の家臣となった。
○岩成友道
三好三人衆の一人。信長が本願寺に苦戦すると勢力を盛り返し、摂津で織田軍と戦うも、細川藤孝に攻められて敗死する。
□日野輝資
足利義昭の側近の一人。お公家様で、官位は正二位・権大納言。三淵藤英と共に二条城に籠もるが、織田軍が迫ってくると三淵藤英を残して降参した。
△土橋守重
雑賀と根来の有力者の一人。雑賀孫市のライバルでもある。石山本願寺城に救援に向かっているが、孫市とは別行動を取っていた。のちに内紛となり孫市と撃ち合う。
△粟村三郎大夫
雑賀の粟村(あわむら)を拠点とした武将で土橋家の一族。雑賀が織田家に送った書状に出てくる栗村(くりむら)三郎とおそらく同一人物だが、このゲームでは個別に登場している。
△雑賀孫六
雑賀孫市(鈴木重秀)の弟と言われている。本願寺の援軍に向かい大きな活躍を見せた。浅井家の救援に行った記録もある。
△雑賀孫市
紀伊の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の頭領と言われる人物。各地の反信長勢力に援軍に向かっており、信長と敵対したあとの足利将軍家も支援している。
武器箱
・マップ中央のやや左下、岩成友道がいる陣所(中央砦)の中
信長編・本編 4-5 刀根坂の戦い
光秀編・本編 4-4 刀根坂の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。信長包囲網を形成されるが武田信玄が病死し、足利義昭を追放、三好三人衆もほぼ瓦解したため、残る浅井家に進攻する。朝倉軍が出陣してきたため嵐に乗じてこれを強襲、他の武将が追い付けないほどのスピードで自ら朝倉本陣を攻め立てた。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。朝倉家滅亡後の後始末を担当しており、従軍はしていたと思われるが、光秀にとって朝倉義景は旧主であるためか、戦いの主力ではなかった模様。
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。この戦いで秀吉を含む織田軍の武将は事前に信長から「突っ込むから遅れんなよ!」と言われていたが、信長が速すぎて誰も追い付けず、戦後に「遅れるなって言っただろうが!」と怒られている。
★松永久秀
主君と将軍を殺し、大仏を焼いた乱世の梟雄。ゲームでは味方で、しかもプレイヤー武将となっているが、実際には武田や本願寺、三好三人衆に内通し、足利義昭の挙兵に合わせて信長に反逆していた。しかし武田信玄が病死して足利義昭も追放され、城を包囲されたため降伏し、再び信長の配下に戻る。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。ちなみに、朝倉家に忍者がいたかどうかは不明だが、江戸時代の福井藩には忍之衆と呼ばれた20人ほどの忍び組があったらしい。
★斎藤利三
文武に優れた明智光秀の側近。すでに光秀に仕えていたと思われるが、明確に名前が出て来るのはもう少しあと。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。この頃、浅井朝倉軍の進攻を受けた際、迎撃しようとする秀吉を「あれは陽動」と言って止め、千の鉄砲兵を借りて伏兵で追い払ったという。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。鉄砲隊を率いて活躍した。甲賀者は個人で活動していたので、彼のように里を出て、他家に仕官した者も多い。
★百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。このゲームではやたら出番が多い。伊賀は甲賀と違って組織的に活動しており、依頼を受けて忍者を派遣、任務遂行後に報酬を貰っていた。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。勝家と並ぶ織田家の双璧。刀根坂の戦いにも参戦していたが、信長が速攻でカタを付けてしまったため、戦後処理しかやることがなかった。
●滝川一益
退くも滝川、進むも滝川と言われた甲賀出身の織田家の重臣。この戦いでは他の武将と同じく「遅れるなよ!」と言われていたが、信長に追い付けず怒られた。
●佐久間信盛
のちにクビになる織田家の重臣。信長に「遅れるなって言っただろうが!」と怒られたとき「そうは言っても俺らみたいな優秀な家臣はそうそういないっすよ?」と言って、めちゃめちゃ怒られた。
●阿閉貞征
浅井家の重臣で近江の北の重要拠点「山本山城」を守っていたのだが、織田家に寝返る。これで浅井家は身動きが取れなくなり、織田軍は浅井家を包囲したまま、朝倉家の本拠地である越前への進攻が可能になった。
○朝倉義景
朝倉家の風流大名。織田家に攻められた浅井家の援護に向かうが、主力武将の多くが仮病でボイコット。しかも信長がわざと逃がした敗残兵の様子を見て撤退を始め、嵐に乗じて強襲してきた信長に追い付かれてフルボッコにされる。単身で城に逃げ戻るも、家臣に騙され……
○朝倉景鏡
朝倉家の筆頭家老。しかし連戦の疲労を理由にこの戦いには参加しなかった。そして信長に負けて戻ってきた朝倉義景に落ち延びて再起を計るよう進言し、義景が郊外の寺に宿泊しているところを襲撃、主君を討ち取って、その首を手土産に信長に降伏した。
○朝倉景健
朝倉家の重臣で、姉川の戦いでは総大将。比叡山方面に進軍し、織田軍に大きな被害を与えた。刀根坂の戦いでは負けて切腹しようとする朝倉義景を説得し、共に一乗谷城に撤退するが、義景は朝倉景鏡に裏切られて非業の死を遂げる。
○朝倉道景
若くして討ち取られた朝倉一族の一人。信長はその首を見て「死に顔が立派で哀れだ」と言い、生け捕るべきだったとして討ち取った者を出禁とし、僧侶に葬儀を頼んだ。
○斎藤龍興
斎藤道三の孫、斎藤義龍の子。ダメ君主ぶりで斎藤家を滅亡させてしまった元斎藤家の当主だが、各地の反信長勢力に荷担して転戦を続け、苦労を重ねたからか後年は立派な武者になっていたという。この刀根坂の戦いで、遂に復讐を遂げることなく戦死する。
○鳥居景近
朝倉義景の最期に付き従った一人。刀根坂の敗戦後、朝倉義景が朝倉景鏡に騙されて城を出て、寺に宿泊中に襲撃されたとき、義景の自刃を見届けると、寺を包囲する敵に単身で斬り込んで奮戦の末に自刃した。
○長井道利
斎藤家の家臣。斎藤道三の弟や若い頃の子という説もある。斎藤龍興と共に各地の反織田勢力の客将となって信長と戦い続けたが、刀根坂で斎藤龍興と共に討ち死にした。
○河合吉統
朝倉家の重臣で一乗谷四奉行の一人だったが、刀根坂の戦いで戦死する。
○前波吉継
織田家に寝返った朝倉家の重臣。姉川の戦いで白昼堂々と織田陣に駆け込んだと言われる。刀根坂の戦いのときにはすでに織田家に寝返っていて、織田軍の道案内を務めていた。
○山崎長徳
朝倉家の重臣である山崎家の一人で槍術に長けた。朝倉家の滅亡後は明智光秀の配下となっている。
○山崎吉家
朝倉軍の主力の一人。朝倉景健と共に比叡山方面に進軍し、織田軍の森長可などを討ち取る。刀根坂(刀禰坂)の戦いでは朝倉義景を撤退させ、追撃を防ぐべく織田軍の前に立ち塞がり、壮絶な戦死を遂げた。
○山崎吉健
朝倉家の家臣で、山崎吉家の子。父と共に刀根坂の戦いで戦死した。
○溝江長逸
朝倉家の重臣だったが、この頃には織田家に内通しており、刀根坂の戦いへの参加を拒否、戦後は織田家に従った。
○印牧能信
朝倉家の重臣であり剣術家。この戦いで奮戦するも捕虜となり、信長は助けようとしたが、それを拒んで自害した。
○三段崎為之
朝倉家の強弓の使い手。織田家の山内一豊と直接戦い、重傷を負わすも討ち取られた。
□朝倉景行
朝倉一族の一人。信長が朝倉義景に挨拶に来るよう要請したとき、それに反対した。刀根坂の戦いで戦死。
□高橋景業
朝倉義景の最期に付き従った一人。刀根坂の敗戦後、朝倉義景が朝倉景鏡に騙されて城を出て、寺に宿泊中に襲撃されたとき、朝倉義景の自刃の介錯を務め、殉死した。
△上杉謙信
上杉家の大名。越後の龍。このゲームでは神出鬼没にも程がある。一応、朝倉家の親族である朝倉景嘉という人が、上杉謙信に朝倉への助力を頼みに行っているが、それは朝倉家滅亡後の話。
△柿崎景家
上杉四天王にして七手組大将の一人。越後七郡に並ぶものなしと言われた上杉軍の猛将。しかし信長から「良い馬をありがとう!」という手紙を送られて内通を疑われてしまう。
△北条景広
「ほうじょう」ではなく「きたじょう」。裏切りの猛将・北条高広の子。謙信の死後、跡継ぎ争いで敗死した。
△本庄繁長
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。上杉軍後期の猛将だが反逆を繰り返した。上杉景勝の代になってからは忠実に仕え、最上家や伊達家を相手に勇戦した。
△色部長実
上杉家の重臣である色部家の一人。秀吉から「北国路、稀に見る武将」と評された。このゲームに出て来る上杉家の武将は登場ごとに更新されていて、色部家は勝長→顕長→長実と代替わりしている。
△山浦国清
信濃の有力者で武田信玄の初期のライバルだった村上義清の子。信濃を追われ、父と共に上杉家の客将となった。
△千坂景親
上杉家の重臣。上杉謙信の親衛隊のような立場であったため、戦場での戦功は少ない。
△加地晴綱
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。揚北衆の佐々木党の一員。上杉謙信の姉を嫁にしたため重用された。
△島津忠直
元は信濃の有力者。武田信玄に抵抗していたが、敗れて上杉家の客将となった。九州の島津家の親戚らしい。
△栗林政頼
上杉家の重臣、長尾政景の配下。上杉謙信の死後、跡継ぎとなった上杉景勝の重臣となる。
△吉江景資
上杉家の家臣。越中(富山)を転戦し、のちに魚津城の守りに就くが、織田家の柴田勝家の猛攻で落城する。
△上条政繁
能登半島の大名・畠山家の一族で、上杉家に養子に出されたが、謙信は彼を一門衆(上杉家の親族)として厚遇した。
□斎藤朝信
越後の鍾馗の異名を持つ上杉家の重臣。鍾馗とは皇帝の病魔を討ち払い、国を守ると誓った中国の伝説の人物。
□山浦国清
信濃の有力者で武田信玄の初期のライバルだった村上義清の子。信濃を追われ、父と共に上杉家の客将になる。
□安田長秀
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。上杉家の古参で、川中島の戦いで活躍、謙信から血染めの感状をもらった一人。
□甘粕景継
上杉家の家臣。上杉四天王である甘粕景持の遠い親戚。
□河田長親
元は近江の人。上杉謙信が京都に行った際に出会い、越後に連れて帰った。美貌と才能を認められたという。
□新発田長敦
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。越後の有力者である揚北衆のひとつ佐々木党を率いた。交渉術にも長ける。
◇竹俣慶綱
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。川中島の戦いでは武具を失ってもなお奮戦したという。
◇水原親憲
上杉景勝の代に主力を担った武将。声が大きく、大声量で味方を鼓舞して回り、謙信に賞賛された。兜に「火雷風神」と書かれた目立つうちわを付けていた。
◇鬼小島弥太郎
上杉謙信のボディーガード。信玄がけしかけた猛犬に噛まれても顔色一つ変えず、用事を済ませた後に絞め殺した伝承がある。
武器箱
・一乗谷城(朝倉本陣)の中の左上
信長編・本編 4-6 小谷城の戦い
光秀編・本編 4-5 小谷城の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。先に朝倉家を滅ぼした信長は、いよいよ裏切った浅井長政の本拠・小谷城に総攻撃をかける。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。この頃は琵琶湖の南西に坂本城を築いて城主となっており、織田家のトップクラスの重臣に加わっていた。
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。この戦いでは浅井長政の父・浅井久政が籠もる京極丸を攻略した。久政は強硬な反織田派であったため、彼を倒して長政に最後の説得をしようとしたようで、長政が降伏することはなかったが、お市と三人の娘は織田軍に引き渡された。この功績で戦後、小谷城の近くに長浜城を築いて城主となる。
★松永久秀
主君と将軍を殺し、大仏を焼いた乱世の梟雄。このステージではプレイヤー候補の一人だが、実際には信長に反逆していた頃で、信長包囲網に加わっていた。この戦いの後、城を包囲されて信長に降る。信長は割とあっさり許している。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。そろそろストーリーに関わってくる。特に光秀編で。
★斎藤利三
文武に優れた明智光秀の側近。城主になった光秀の家老として、その活動を支えていたと思われる。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。近江にいた頃のコネを使って浅井家に調略(引き抜き工作)をかけており、何人かの敵将を城ごと織田家に寝返らせている。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。鉄砲隊を率いた。のちに雑賀衆と戦っているとき、幾千ものタコを操る法師が助っ人として現れたというクトゥルフ的逸話を持つ。
★百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。浅井家の記録には伊賀忍者を雇って敵の城に火を付けた話がいくつか出てくる。近江は彼等の仕事場であった模様。
●安藤守就
織田家に従った、元斎藤家の家臣。美濃三人衆の一人。小谷城の戦いの際、竹中半兵衛が彼の部隊に加わっていた記録がある。
●蒲生氏郷
戦国後期の名将。六角家の配下だった蒲生賢秀の子で、信長の元に人質として送られるが、尋常ではない目をしていると信長に気に入られ、信長の娘婿になって蒲生家に戻された。
●滝川一益
退くも滝川、進むも滝川と言われた甲賀出身の織田家の重臣。この頃は遊軍として各地を転戦していた模様。
■丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。柴田勝家と並ぶ織田家の双璧。ゲームでは援軍として登場することが多い。
■佐久間信盛
のちにクビになる織田家の重臣。退き佐久間。京都周辺を転戦しており、この少し前に三好三人衆にトドメを刺した。
○浅井長政
浅井家の大名。織田家と朝倉家の板挟みに遭い、朝倉家を選んだために織田信長の怒りの進攻を受ける。実は「降伏したら別の領地を与えて大名として存続させるよ!」といった申し出を信長から受けていたのだが、全部断った。そこまで抵抗した理由は不明だが家中の朝倉派のことを考えると仕方ないのかもしれない。
○お市
織田信長の妹で、浅井長政の妻。ゲームでは萌えキャラだが、扱いは史実通りに悲劇的である。史実では浅井長政との間に出来た三人娘、茶々・初・江と共に、織田家に引き渡された。
○柴田勝家
鬼柴田の異名を持つ織田家の猛将だが、ゲームではお市の護衛になっているので、お市が敵になるステージでは彼も敵である。実際には織田軍の一員として戦っている。
○三田村国定
浅井家の武将。浅井の四翼の一人。小谷城の戦いで戦死した。
○安養寺氏種
浅井家の重臣。浅井長政とお市の婚姻の仲介を務めており、その際に信長と顔見知りとなった。そのためか姉川の戦いで捕まったとき、信長は彼に浅井家の様子を聞くと、そのまま解放した。浅井家の滅亡後は京極家に仕える。
○脇坂秀勝
浅井長政の父の代から浅井家の奏者(取次役)を務めた重臣。浅井家が滅亡すると殉死した。
○寺村小八郎
末期の浅井家の家臣。浅井長政が与えた書状で、その忠節が賞賛されている。
○浅井惟安
浅井長政の父・浅井久政の側近。浅井久政と共に小谷城の拠点・京極丸を守り、秀吉の攻撃で落城すると、久政と共に自刃した。
○浅井久政
浅井長政の父。弱腰外交により浅井長政に当主の座を追われるが、その後も浅井家の重鎮として、そして朝倉派として、浅井長政に助言を行った。浅井長政が朝倉家に付いた要因のひとつと言われる。
○海北綱親
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。この戦いで京極丸の陥落時に戦死。
○浅井政元
浅井長政の弟。経理や参謀を務め、兄を補佐したという。小谷城で最後まで戦い抜き、自刃。
○赤尾清綱
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。小谷城に赤尾曲輪と呼ばれる居住区を持っていて、織田軍に引き渡されるまでお市と娘たちを保護し、浅井長政もここで自刃した。赤尾清綱は生け捕りにされるが、信長の前で自害したという。
○中島直頼
浅井家の重臣。信長の接待役を務めていた。姉川の戦いでは城の留守を守っている。
○中島直親
浅井家の家臣で、中島直頼の子。浅井長政が浅井久政を党首の座から追い落としたとき、それに協力した一人。小谷城の支城である中島城を守っていたが、織田の大軍に包囲され投降した。
○片桐且元
のちに大坂の陣で徳川家と豊臣家の板挟みになることで有名な武将。この頃に元服し、浅井軍として戦っている。
○大野木秀俊
浅井家の武将。浅井の四翼の一人。小谷城が落ちると投降するが、中村一氏に処断された。
□磯野員昌
浅井家の猛将。浅井の四翼の一人。姉川の戦いで織田13段陣の11段目までを突き崩した。しかし重要拠点の佐和山城を守るも、後方の横山城が落ちて孤立してしまい、小谷城の戦いが起こる前に織田家に降っている。
□新庄直頼
近江の国人衆の一人。文武と人柄に優れた。最前線の城を守っていたが、横山城が落ちて佐和山城が降伏し、佐和山城の降伏で彼の城も孤立するという連鎖により、小谷城の戦いの前に織田家に降った。
□阿閉貞征
浅井家の重臣で近江の北の重要拠点「山本山城」を守っていたのだが、織田家に寝返った。ゲームでは前のステージで織田軍に加わっていて、すでに寝返っているのだが、このステージではまた浅井軍に戻っていて、扱いがおかしい。
□雨森清貞
海赤雨三将と呼ばれた浅井家の重臣の一人。ただし記録が少なく、小谷城が落ちた際に逃走したと言われているが、定かではない。
□宮部継潤
秀吉の配下として知られる破戒僧。比叡山にいたが合戦で戦いたいがために下山した。実際には小谷城の戦いの前に秀吉の調略を受けて織田家に寝返っており、むしろ小谷攻めで大きな活躍をしている。
□樋口直房
浅井家の家臣。近江で隠棲した竹中半兵衛の世話をしていた。その縁もあって、小谷城の戦いの前に竹中半兵衛の誘いを受けて織田家に寝返っている。
□小川祐忠
元は六角家の家臣で、重要拠点の佐和山城を拠点としていたが、浅井長政が六角軍を破ると城ごと浅井家に寝返った。そして織田家の進攻を受けると、今度は織田家に寝返っている。その後も寝返りを繰り返す。
武器箱
・マップ最上部、弓兵長がいる高台の北の崖の側
第五章
信長編・本編 5-1 長篠の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。同盟国の徳川家が武田家の大規模な進攻を受けたため、大量の鉄砲を持って武田との決戦に挑む。この戦いは鉄砲隊を三列に並べ、交代しながら撃ち続ける戦法で武田騎馬隊を破った戦いとして非常に有名。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。長篠の戦いでは目立った活躍は見られず、参戦していないとも言われる。ゲームの織田信長と明智光秀はこのステージからスタイルが変わる。
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。この戦いで武田軍が迂回して側面を突く動きを見せたため、それを追いかけていったが、竹中半兵衛が「あれは陽動」と言って持ち場から動かず、結果として半兵衛の見立てが正しかったという逸話がある。
★徳川家康
徳川家の大名。のちの徳川幕府の将軍。武田信玄の死後も、武田勝頼に苦戦していた。長篠城が攻められたのを聞いて信長に救援を求め、現地で武田騎馬隊の突撃を防ぐ「馬防柵」の構築を行う。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。なお、武田家は忍者を乱波や透波と呼び、三ツ者と呼ばれた忍軍を組織していたと言われる。歩き巫女と呼ばれた女性を使って情報収集していた話はとても有名。山伏も諜報に使っていた。甲州流忍術が伊賀や甲賀の祖という説もある。
★前田利家
信長の幼なじみな槍使い。史実のこの戦いでは鉄砲隊の指揮官になっている。追撃で敵と斬り合い、勝利するも深手を負った。
★柴田勝家
織田家の猛将で筆頭家老だったが、ゲームでは織田信行やお市の付き人になっているので、ここまでほとんど敵。このステージでようやく織田家に復帰する。史実の長篠の戦いは、参加していることは確かだが、目立った活躍の記録はない。
★瀬名
今川家から嫁いだ徳川家康の正妻。築山殿。徳川家の女性キャラ枠。
★本多忠勝
徳川四天王の一人で戦国きっての無双の豪傑。実は鉄砲も得意。長篠に武田軍を誘き出すため「伊勢の北畠家が挙兵しようとしている」という偽情報を流したという逸話がある。
★服部半蔵
徳川家に仕えた伊賀の上忍の末裔。長篠の戦いにも参戦していた。彼の部隊には多数の伊賀者が含まれており、偵察や工作、銃撃などを行っていたという。当時の忍者は鉄砲も修行していた。
●奥平信昌
三河東の山岳部を支配した三家三方衆のひとりで、この戦いが終わるまでは貞昌。長篠城の城主を務めており、武田軍に包囲されても頑強に抵抗した。戦いの後、信長に賞賛されて信の字を与えられ、信昌となる。
●織田信忠
織田信長の子。織田家の跡継ぎ。のちに武田攻めの総大将になるためか、このステージでも織田本陣の総大将。
●滝川一益
退くも滝川、進むも滝川と言われた甲賀出身の織田家の重臣。鉄砲も得意で、長篠の戦いでは織田鉄砲隊の総指揮を務める。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。勝家と並ぶ織田家の双璧。長篠の戦いにも参加している。
●佐久間信盛
織田家の重臣。武田軍が出陣する2か月ほど前に戦場を偵察していたため、突発的な合戦ではなかったとする説がある。また、武田家に寝返る約束をしていた記録があるなど、興味深い情報が散見される。
●鳥居強右衛門
奥平信昌配下の武士。長篠城が包囲されたとき、武田陣を単身で突破して徳川家康に救援を求めた。その後、城に戻ろうとして捕まり、武田勝頼に「援軍は来ないと叫べ」と言われて承諾するが、城の前で「もうすぐ援軍が来るから頑張れ」と叫んで処刑される。城兵はそれを見て結束を強め、長篠の大勝に繋がったという。
●松平康忠
徳川家の家臣で酒井忠次の配下。酒井忠次と共に別働隊の一員となり、長篠周辺の武田家の砦に強襲をかけ、長篠城を包囲する武田軍も攻撃している。
●佐々成政
織田家の武将。この戦いでは織田軍の鉄砲隊の指揮官となっている。長篠の戦いの前から鉄砲の二段撃ち戦法を使っており、これが信長の三段撃ちの原型になったともいう。雑賀衆も鉄砲の二段撃ちを行っていた。
●酒井忠次
徳川四天王の一人。長篠にある武田軍の拠点・鳶ヶ巣砦への奇襲を提案するが、信長に却下される。しかしこっそり呼び戻され「さっきは情報漏洩を恐れて却下したが、良い案だ。すぐに実行せよ」と兵を貸し与えられた。すぐに別働隊として戦場を迂回し、鳶ヶ巣砦を始めとする武田軍の砦を次々と陥落させ、長篠城も救援する。
●金森長近
織田家の精鋭部隊・赤母衣衆の一員。酒井忠次の別働隊に参加し、鳶ヶ巣砦などを次々と陥落させ、長篠城も救援する。この功績で信長から「長」の字を与えられ、可近から長近に改名した。
■松平景忠
徳川家の家臣で長篠の戦いに参加した一人。戦後、長篠城の守備を務めた。
○武田信玄
武田家の大名。おなじみ甲斐の虎。実際にはこのとき、武田信玄は死んでいた。その死は隠されていたが噂は近隣に広まっていて、長篠城の城主を務めた奥平信昌が徳川家に寝返るきっかけとなる。
○武田勝頼
信玄のあとの武田家の大名。彼の代になっても武田軍は精強で、徳川家を追い詰めていた。しかし長篠の戦いでは古参の重臣の反対を無視し、織田の鉄砲隊に騎馬で突っ込む作戦を実行、蜂の巣にされて武田軍を壊滅させてしまう。
○岡部元信
元今川家の重臣。今川家の滅亡後は武田家に仕え、この頃に遠江の重要拠点・高天神城の城主となる。その後、徳川家と激戦を繰り広げた。長篠の戦いには兄の岡部正綱が参戦している。
○真田昌輝
真田幸隆の次男。真田昌幸の兄で、真田信輝とも。長篠の戦いで兄・信綱と共に戦死する。このため真田家は真田昌幸が継ぎ、のちに戦国に強烈な印象を残す真田家が誕生する。
○穴山信君
武田家の重臣。穴山梅雪とも。武田の一門衆(親族)で、趣味はコスプレ。武田勝頼の代に家臣団の筆頭となったが、勝頼は同世代の家臣を重用していたため、仲は良くなかった。
○三枝昌貞
武田家の家臣。三枝守友とも呼ばれる。長篠の戦いでは砦(姥ヶ懐砦)の守備をしていたが、酒井忠次の別働隊に奇襲され戦死。
○原昌胤
武田家の人馬奉行。陣の構築、部隊の配置などを一手に引き受けていた。長篠の戦いでは勝頼の騎馬突撃案に強硬に反対するも聞き入れられず、敗戦を悟って自ら突撃、戦場に散った。
○一条信龍
武田信玄の異母弟。ハデ好きの伊達男だったらしい。長篠の戦いではしんがりを務め、本隊の退却まで戦い続けた。
○高坂昌澄
武田四名臣である高坂昌信の長男。長篠城を包囲していたが、前線に移動したとも、酒井忠次に奇襲されたとも言う。いずれにせよ徳川軍に敗れて戦死した。
○武田信廉
武田信玄の弟。信玄と容姿が似ており、影武者を務めたことで知られる。絵師。長篠の戦いでは二番隊として突撃を敢行するも、織田の鉄砲隊によって大被害を被り、敗退した。
○甘利信康
甘利昌忠の子。長篠の戦いで山県昌景の部隊に属していたが、戦死した。
○小宮山信近
武田家の家臣。長篠の戦いで鳶ヶ巣砦を守備していたが、酒井忠次の別働隊の奇襲に遭って戦死した。
○三枝守光
三枝昌貞(三枝守友)の弟。兄と共に長篠の付近にある砦(姥ヶ懐砦)を守備していたが、酒井忠次の別働隊の奇襲に遭って戦死。
○五味高重
長篠の付近にある砦(中山砦)を守備していたが、酒井忠次が率いる別働隊の奇襲により戦死。
○和田業繁
長篠の付近にある砦(君ヶ臥床砦)を守備していたが、酒井忠次が率いる別働隊の奇襲によりやっぱり戦死。
○雨宮家次
武田信玄にクーデターを起こそうとして死んだ信玄の長男・武田義信の家臣。義信の死後は北条家にいたが、活躍したため武田家に戻る。長篠の戦いでは高坂昌澄の配下として戦うが、戦死した。
○名和無理之助
「名はムリの助」という嘘みたいな名前。縄で編んだ羽織を着て、無理を通したという。長篠の戦いでは河窪信実の配下として鳶ヶ巣砦を守るが、酒井忠次が率いる別働隊の奇襲で戦死。
○小幡信貞
武田家の家臣。重臣の小幡虎盛とは別の家系。長篠の戦いで父が戦死したが、自身は生き残った。
○河窪信実
武田の一門衆(親族)であり、信玄の異母弟。長篠の近くにあった鳶ヶ巣砦を守るが、酒井忠次が率いる別働隊の奇襲で戦死する。もはや忠次無双である。
○土屋昌恒
「片手千人斬り」という、いかにも無双っぽい異名で知られる武田家の終末期の勇将。信玄に武田の次代を支える逸材として期待されていたという。
○跡部勝資
武田勝頼の側近。織田の鉄砲隊に騎馬で突っ込む武田勝頼の突撃案を支持し、武田軍大敗の一因となる。高坂昌信が伝えた武田家の軍記「甲陽軍鑑」では、国を滅亡に導いた奸臣とされている。
○三枝守義
三枝昌貞(三枝守友)の弟。三枝守光の兄。兄弟で長篠の付近にある砦(姥ヶ懐砦)を守備していたが、酒井忠次の別働隊の奇襲に遭って戦死。
○武田信豊
武田勝頼の側近。長篠の戦いで武田勝頼の突撃案を支持し、大敗の一因となった一人。四番隊を率いて突っ込むが敗戦、しかも勝頼を置いて逃げたという。寝返った木曽義昌の討伐にも失敗し、甲陽軍鑑では奸臣のひとりとされている。
○長坂光堅
武田勝頼の側近。鉄砲隊に突っ込む武田勝頼の突撃案を支持して大敗の要因となった一人。武田家の軍記「甲陽軍鑑」では国に害をなした奸臣の筆頭とされている。
○土屋昌次
武田家の勇将。川中島の戦いで本陣が危機に陥ったとき、最後まで信玄の側で奮戦した。長篠の戦いで織田鉄砲隊の一斉射撃を受けて戦死。三段の馬防柵の二段目まで突破したという。
○小山田信茂
武田家の重臣。一時は武田軍最強と評されていた。長篠の戦いでは徳川軍と戦い、退却時には武田勝頼を護衛した。
□高坂昌信
武田四名臣の一人。長篠の戦いは留守役だったため参加していない。敗走した勝頼を着替えさせ、新しい兵を配備し、敗北の見苦しさを見せないよう配慮した。だが、のちに伝えた「甲陽軍鑑」で勝頼とその側近をボロクソに批判している。
光秀編・本編 5-1 丹波侵攻
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。この頃から信長の命令で丹波(京都市の北西)への侵攻を開始する。丹波の諸勢力は織田家に従属していたが、毛利家や本願寺、足利義昭からの調略(寝返り工作)を受けていたようで、京都にほど近かったため、制圧しておかないと不安というのがあったらしい。
●みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。余談だが、伊賀の上忍の百地三太夫は通称・丹波守。
●斎藤利三
明智光秀の側近。光秀が丹波を制圧すると、赤井直正の居城だった黒井城の城主となる。赤井なのに黒井。
●明智秀満
明智光秀の側近。カプコンのゲーム「鬼武者」では主人公。うさ耳を付けていたため、ドラマなどで登場すると妙に目立つ。
●藤田伝吾
明智光秀の側近。明智家の古参の武士。ゲームでもモブ武将ながら、ずっと光秀と一緒にいる。
■山中鹿介
尼子家の旧臣。山陰の麒麟児。二度目の尼子家の再興戦に失敗した後、織田信長と面会。「良き男」と評価されて名馬を送られ、明智光秀の配下としてこの丹波攻めに従軍、大きな活躍を見せたという。
○赤井直正
丹波の有力者。通称、丹波の赤鬼。その武勇は当時、広く世に知れ渡っていた。信長の野望では丹波の大名である波多野家の家臣だが、実際には波多野と同格の有力者であった模様。信長に従属していたはずだが、寝返りの懸念があったためか明智光秀に討伐命令が出される。そして光秀軍は苦戦し、戦いは長期化するのだが、ゲームでは容赦なく粉砕される。
○波々伯部光吉
「波々伯部」が名字。ははかべ。丹波の有力者の一人で赤井家や波多野家と共に光秀に抵抗、波多野家の八上城に籠城する。
○志賀政綱
丹波の有力者。他の有力者と共に光秀に抵抗したが、敗れて配下となる。のちに秀吉と光秀が戦った山崎の戦いで戦死する。
○波多野秀治
丹波の有力者。信長の野望では丹波の戦国大名となっている。織田家に従属していたが、赤井直正の居城・黒井城が明智光秀に包囲されているとき、いきなり織田家から離反して光秀軍を襲撃、敗走させた。最初から赤井直正と作戦を練っていたと言われており、「赤井の呼び込み軍法」と称された。が、ゲームでは光秀に蹂躙される。
○足立光永
丹波の有力者の一人。赤井家と丹波を巡って争っていたこともある。明智光秀に抵抗したが、敗死した。
○荒木氏綱
波多野家の家臣。赤井直正&波多野秀治に敗れた明智光秀は、二度目の侵攻では拠点を一つずつ潰していく作戦に出る。この戦いの中で明智光秀・滝川一益・丹羽長秀の軍勢に城を包囲され、降伏した。
○酒井氏治
丹波の有力者である酒井一族の当主。波多野家・赤井家と共に明智光秀と戦い、最後は波多野家の八上城に集まって徹底抗戦した。
○籾井教業
波多野家の家臣。通称、丹波の青鬼。秀吉が大将を務めた織田家の中国方面軍の攻撃を受けて戦死した。
○赤井時家
赤井直正の父。足利将軍家や、その重臣の細川家を匿い、それらと敵対した三好家と戦った。丹波は京都に近い山岳地であるため、京都の有力者が落ち延びてくることが多かった。
○酒井氏盛
丹波の有力者である酒井一族の一人。波多野家の家臣で、侵攻してきた明智光秀と戦い、戦死した。
○赤井忠家
赤井家の当主の子で、赤井直正は叔父。赤井直正の補佐を受けて明智光秀と戦うが、敗れて遠江に逃れる。のちに関ヶ原の戦いで、石田三成の勧誘を断って徳川家康が率いる東軍に参加した。
○赤井幸家
赤井直正の弟。赤井直正が病死した後、赤井家の指揮をとった。赤井直正は死の際、単身で降伏勧告に来た脇坂安治に自らの首と、家宝の「貂の皮の槍鞘」を与えたという。
○酒井信政
丹波の有力者である酒井一族の一人。侵攻してきた明智光秀と戦い、波多野家の八上城に籠城するが、病死した。
○木村駿河守
丹波の有力者の一人。明智光秀と戦って戦死した。
□波多野宗長
波多野一族の一人。丹羽長秀と羽柴秀長に居城を攻められ、善戦するも兵糧が尽きる。羽柴秀長は降伏を勧めるが、これを断って城に火を放ち、自害した。
□波多野秀尚
波多野秀治の弟。波多野三兄弟の次男。明智光秀が母を人質に出して波多野家に降伏を勧め、波多野もこれを了承、しかし織田信長が波多野三兄弟を殺してしまったため、明智光秀の母も殺害され、本能寺の変に繋がった、とする説がある。ただし昨今は否定説の方が有力。
□波多野秀香
波多野秀治の弟。波多野三兄弟の三男。波多野家の八上城が落城後、信長の居城・安土城に送られ、三人とも処刑された。
武器箱
・赤井軍の本陣(黒井城)の中
光秀編・外伝 5-S1 尾高城脱出
★山中鹿介
尼子家の旧臣。月に代わって毛利におしおきする山陰の麒麟児。尼子再興戦に敗れた後、この城に捕らえられ、毛利家に降るよう説得されるが、断固拒否してすきを見て脱出する。下痢のふりをして何度もトイレに行き、監視が緩くなった頃に逃げたらしい。
■米原綱寛
元は尼子家の家臣。毛利家に降っていたが、山中鹿介の尼子再興軍が挙兵すると寝返って再興軍に加わった。しかし一度目の尼子再興戦で敗れた後、引退する。
■秋上宗信
尼子十勇士のひとり。神魂神社の宮司。尼子のお家再興を目指して各地を転戦、敗北を重ねるが、その度に再起した。
■神西元通
尼子家の旧臣。毛利に降るが、鹿介の説得を受けて再興軍に加わり、尼子勝久と共に最後まで戦い続けた一人。
■森脇久仍
尼子家の旧臣。毛利家に降っていたが、尼子再興軍に加わって善戦する。敗戦後は再び毛利家に戻り、吉川元春の配下となった。
○毛利元就
毛利家の大名。中国地方に広大な国を築いた安芸の謀神。謀りごと多きは勝ち、少なきは負けるが信条。三本の矢の逸話で有名だが、最近はマンガやゲームでまとめてへし折られることが多い。このゲームでは三本のサテライトキャノンを放つ。
○小早川隆景
毛利家を支えた「両川」の一人。名字は違うが、毛利元就の三男。水軍を率いて各地の合戦で活躍、さらに広大な毛利領の政務と外交に奔走した。山中鹿介を「武士として信の置ける者ではない」と評し、処断を主張する。
○吉川元春
毛利家を支えた「両川」の一人。名字は違うが、毛利元就の次男。鬼吉川と呼ばれた猛将で76戦無敗だが、戦績はちょっとあやしい。山中鹿介を「天下無双」と評し、幾度も戦ったライバル。
○香川光景
元は安芸武田家の家臣だったが、熊谷信直と共に毛利家に寝返った。尼子再興軍との戦いでは、彼らと手を結んだ備前(岡山)の大名・宇喜多直家の迎撃に向かっている。
○乃美宗勝
武勇に優れた毛利家の重臣。北九州の大名・大友家との戦いで特に活躍し、小早川隆景の配下として水軍の主力も担った。
○口羽春良
毛利家の重臣・吉川元春の配下の一人で、主に山陰地方(中国地方の日本海側)で活躍、尼子再興軍とも戦いを繰り広げる。
○阿曽沼広秀
毛利家の家臣。尼子再興軍と毛利主力が戦った布部山の戦いでは、牛尾一族が籠城した牛尾城を攻めた。その後、備中を転戦する。
○己斐直之
元は安芸武田家の家臣だったが毛利家に寝返って、厳島の戦いで現地の城を守った。史実のこの頃にはすでに死去している。
○児玉就方
毛利水軍の大将の一人。武勇に優れ、尼子再興軍と日本海で戦った。なお、山中鹿介が日本海で海賊をしていた伝承があり、元々山中家は大陸と交易をしていたともいう。
○赤川元秀
毛利家の家臣。父は尼子家に送られた人質で、毛利と尼子が敵対した際に脱出するが追っ手に迫られ、唯一生き残ったという。
○桂元澄
毛利家の古参の家臣。厳島の戦いで陶晴賢に偽手紙を送り、敵を誘き寄せる。しかし毛利元就は「正直な性格しか取り柄がない」と評していた。
○磯兼景道
小早川隆景の家臣で毛利水軍の将。元は村上水軍の一員。
○志道元保
毛利家の家臣。志道家は毛利元就の家督相続に尽力したという重臣の家柄。陶晴賢や尼子家と戦った。
○熊谷高直
毛利家の家臣。熊谷信直の子。父と共に大内家や尼子家との戦いに参加するも、早くに病死した。
○口羽通良
毛利家の中枢である「御四人」の一人。重臣の宍戸隆家と共に山中鹿介を説得し、破格の待遇で毛利家に迎えようとするも、鹿介は頑として応じず、すきを見て逃げてしまう。
○福原貞俊
毛利家の中枢である「御四人」の一人にして筆頭家老。瀬戸内海周辺の政務を担当し、正直で裏表のない人物と評された。
□毛利輝元
毛利家の大名。毛利元就の孫、毛利隆元の子。父の急死で11才で毛利家を継ぎ、毛利元就がその後見役を務め、その後も毛利の「御四人」に補佐されながら、小早川隆景のスパルタ教育を受けて育った。結局、大きな行動を起こしそうで起こしていないため、優秀だったのか意見が分かれるところ。
□益田藤兼
毛利家の家臣で吉川元春の配下。元は大内家の家臣で武勇に優れた。配下の品川将員が山中鹿介と一騎討ちした逸話がある。
□平賀元相
毛利家の家臣。安芸(広島)に大きな所領を持った重臣の一人。のちに秀吉に気に入られて豊臣の姓を与えられる。
□新里宮内少輔
安芸(広島)にいた力もち。本名は坪井元政。巨大な石を鳥の羽のように持ち上げて敵に投げたとか、240kgの石を自宅に持ち帰ってトレーニングしていたとか、丸太を持って一騎打ちして相手をホームランしたといった、筋肉は裏切らない逸話を持つ。
武器箱
・マップ中央の中庭の右上あたり
・中庭の後、弓兵の廊下を抜けて、右上に行った秋上宗信のいる部屋の奥
信長編・本編 5-2 信貴山城の戦い
光秀編・本編/外伝 5-2/5-S2 信貴山城の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。上杉謙信の進軍などに触発された松永久秀がまたも寝返ったので包囲する。信長は「なんでこんなことしたの? 言えば許してあげるよ」とか「平蜘蛛(茶器)を渡せば無かったことにするよ」と再三説得したが、久秀は平蜘蛛と共に爆裂した。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。幕府衆との関係が深かったため、松永久秀とも交友があったと思われる。この戦いの主力の一人だった。
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。この頃は雑賀攻めや上杉攻めを命じられ、松永久秀の攻撃にも駆り出され、直後に中国地方に進軍するなど、大忙しだった。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。今作の女性キャラ枠。
★斎藤利三
明智光秀の側近。明智家の筆頭家老を務めた。娘はのちに、徳川幕府の三代将軍・徳川家光の乳母「春日局」となる。
★山中鹿介
中国地方の戦国大名だった尼子家の旧臣。二度のお家再興戦に失敗した後、信長の後援を得ようと上京、明智光秀の軍勢に加わり、信貴山城の戦いでは支城の片岡城攻めで一番乗り、信貴山城攻めでは二番乗りとなる。敵将も一騎打ちで討ち取った。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。秀吉の配下であるため、この頃は秀吉と共に忙しく畿内を転戦していたと思われる。
★黒田官兵衛
秀吉の軍師として有名。竹中半兵衛と合わせて「両兵衛」と呼ばれた。織田信長に謁見した際に気に入られ、名刀「へし切長谷部」を与えられている。
●織田信忠
織田信長の子。織田家の跡継ぎ。実際にはこの人が信貴山城を包囲した織田軍の総大将。
●百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。松永久秀が拠点とした大和(奈良)は伊賀・甲賀と近いため、伊賀忍・甲賀忍が活躍した逸話も散見される。松永久秀を幻術でビビらせた果心居士も有名。
●細川藤孝
将軍の足利義輝や足利義昭に仕え、義昭の将軍就任にも尽力した、文武に優れた有名な武将だが、このゲームではただのモブ。この戦いでは明智光秀と共に主力を務めた。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。勝家と並ぶ織田家の双璧。この頃は安土城の築城を担当していた。信貴山城の戦いにも駆け付けている。
◆佐久間信盛
退き佐久間と呼ばれた織田家の古参の重臣。この直前に大軍を率い、総大将として雑賀衆に侵攻したが、抵抗にあって苦戦し、その最中に松永久秀が反逆を起こしたため、雑賀から転進して織田信忠の信貴山城包囲に加わった。
◆蒲生氏郷
戦国後期の名将。信長に気に入られ、娘を与えられて蒲生家を継いだ。この頃は織田家の武将として各地を転戦している。
◆高山右近
織田家の武将で、熱烈なキリシタン。ジュスト右近。新興宗教の勧誘の如く、蒲生氏郷や黒田官兵衛などにキリスト教を布教する。キリスト教が禁止になると、信仰を選び、大名の地位を捨て、最後は国外退去となった。
◆太田牛一
超一級の歴史資料「信長公記」を記した人物。信長公記でも松永久秀の一件はかなり詳しく書かれていて、松永久秀が爆散した日が奈良の大仏殿を焼いたちょうど10年後だったため、「その因果であること歴然」と記している。
◆河尻秀隆
織田家の古参の家臣で黒母衣衆の筆頭だった武人。この頃は東美濃に赴任しており、武田家の抑え役となっていた。
◆中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。後年、雑賀衆に居城を攻められた時、無数のタコに助けられたお話がある。
◆佐々成政
織田家の黒母衣衆の一員。主に鉄砲隊を率いて活躍している。この頃は柴田勝家が率いる北陸方面軍の一員だった。
◆九鬼嘉隆
織田水軍の頭領として知られる人物。元は伊勢の有力者で、滝川一益と共に船上からの鉄砲射撃で織田家の伊勢侵攻を支援、そのまま織田水軍を率い、毛利家や雑賀衆の水軍と戦う。
◆織田信雄
織田信長の「うつけ」の部分「だけ」を受け継いだと評判の信長の次男。宣教師ルイス=フロイスの記録にバカ(知能が劣ってる)とストレートに書かれたバカ殿。何かやらかすたびに「あいつのやることだからしょうがない」とか言われていた。
◆稲葉一鉄
織田家の家臣。文武に優れた美濃三人衆の一人。この数年後に三人衆の一人である安藤守就がクビになって、その領地が一鉄に与えられたため、西美濃最大の所領を持つ重臣となった。
◆滝川一益
甲賀出身の織田家の重臣。退くも滝川、進むも滝川と呼ばれた。この頃は遊撃軍として、近畿周辺を忙しく転戦していた。
◆森長可
森可成の子、森蘭丸の兄。朝倉家との戦いで父が戦死したため跡を継ぐ。人間無骨と呼ばれた十文字槍を振り回す猛将で、門番を斬り捨てて通る乱暴者だったが、戦果を十分挙げていたため許されていた。
◆金森長近
織田家の精鋭部隊・赤母衣衆の一員。 のちに飛騨地方の大名になる。この頃は柴田勝家が率いる北陸方面軍の一員。
◆蜂屋頼隆
織田家の精鋭部隊である黒母衣衆の一人。この頃は京都周辺で活動。この数年前、超一級のお宝である香木「蘭奢待」を信長の命令で切り取った件で奉行を務めた。
◆兼松正吉
織田家の武士。刀根坂の戦いで裸足で駆け回り、足が真っ赤になっていたため、信長がぞうりをくれて、それを家宝にしたという。
◆毛利新介
織田家の武士。桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った兵士で、その活躍で黒母衣衆の一員となる。
◆坪内利定
織田家の家臣。美濃から尾張に続く木曽川流域の国人衆を束ねた人物で、秀吉の墨俣一夜城の築城に協力した。信長の前で殺傷沙汰を起こしてクビになっていた頃の前田利家を世話していたともいう。
◆村井貞成
織田家の重臣で京都所司代を務めていた村井貞勝の子。本能寺の変で父と共に織田信忠の城に駆け込み、光秀軍と戦って戦死。
◆池田恒興
信長の幼なじみな織田家の武将。この頃は信長の子・織田信忠の配下となっていたようだ。
◆前田玄以
織田家の重臣。元は比叡山の僧侶。京都の政務を務め、のちに豊臣五奉行の一人となる。この頃は織田信忠の家臣。
◆荒木村重
裏切りの猛将茶人。主家の池田家を乗っ取り、同僚だった和田惟政などを襲撃、信長に反旗を翻すも出戻りし、なんだかんだで信長に気に入られて松永久秀を攻撃する。このあとまた裏切る。
◆筒井順慶
筒井家の大名。松永久秀の仇敵で、大和の覇権を争った。三好家と手を組んで信長&松永久秀と戦っていたが、久秀が信長に反逆すると織田家側に変わり、久秀を追い詰めていく。最後は明智光秀・細川藤孝らと共に、松永久秀を爆砕させる。
◆脇坂安治
秀吉の配下として知られる戦国後期の武将。のちの賤ヶ岳七本槍の一人となり、豊臣家の水軍を率いる。
◆松倉重信
筒井家の家臣。通称は松倉右近で、島左近と共に「筒井の右近左近」と称された。松永久秀の配下となっていた森好久は、本願寺に救援を呼びに行くふりをして、彼の陣所に飛び込んだ。そして筒井順慶と共に信貴山城を落とす計略を巡らす。
☆松永久秀
大仏を燃やして自身も爆殺した汚物を焼却する梟雄。信玄の上洛に合わせて信長に反逆して失敗したのに、謙信の上洛に合わせてまた反逆した懲りない人。信長のお気に入りで、手を尽くして説得されるも、全部断って火薬に火を放ち、秘蔵の茶釜「平蜘蛛」と共に自爆した。
○森秀光
松永久秀の家臣で、信貴山城の支城である片岡城を守ったが、山中鹿介を先陣とする織田軍の攻撃で落城した。
○奥田忠高
松永久秀の家臣。大和の地侍で、久秀の死後も筒井順慶や豊臣秀長といった大和の支配者に従った。
○結城忠正
松永久秀の家臣。キリシタン名はアンリケ。学問と降霊術に優れた偉大な剣術家だったという。降霊術?
○土岐頼次
美濃の元国主であった土岐家の末裔。斎藤道三によって土岐家が追放された後、再興のために戦ったのち、松永久秀に仕えた。
○楠木正虎
南北朝時代の名将・楠木正成の末裔。書道家。楠木正成は南朝だったため、北朝の家系だった当時の天皇家からは朝敵とされていたが、松永久秀の助けを借りて名誉回復の活動を行っていた。
○鷹山頼盛
奈良近辺を支配した名家・畠山尾州家の家臣で、大和の寺社勢力・興福寺の国民(一員)。松永久秀が大和をほぼ支配すると久秀に従った。
○鷹山頼貞
松永久秀の家臣。久秀の死後は信長に反逆した荒木村重に味方し、織田家と戦い続けた。
□飯田基次
松永久秀の家臣。信貴山城の戦いで城から討って出て、織田軍に少なからぬ被害を与えている。
□塩川国満
摂津の有力者。三好家に従っていたが、織田家に降り、荒木村重の配下に組み込まれた。松永久秀の反逆に応じた説もある。
□四手井家保
元は三好家の家臣。京都にあった四手井城の城主で、松永久秀に仕えた四手井一族の当主だが、足利義昭に仕えたともいう。
□山口秀勝
大和の有力者で信貴城衆を率い、松永久秀に従った。
□河合秀武
松永久秀配下の武士。猛将として知られていたが、明智光秀の客将となっていた山中鹿介に一騎打ちで討ち取られた。
□海老名友清
松永久秀の家臣で、信貴山城の支城である片岡城を守ったが、細川藤孝&明智光秀 with 山中鹿介の攻撃で落城した。
□柳生宗厳
剣術家、柳生石舟斎。柳生新陰流の祖。柳生家は大和の有力者で、筒井家と敵対していたため、筒井と戦っていた松永久秀に従って活躍した。ただ、松永久秀が織田信長に臣従した頃からの動向は不明。のちに子が徳川幕府の剣術指南役となる。
□瓦林秀重
松永久秀の家臣の一人。家老職を務め、奉行でもあった。
□岡国高
松永久秀の配下で、大和の寺社勢力である興福寺の国民(一員)。外交官として活躍し、足利将軍家や武田家と交渉した。
□本多正信
徳川家康の参謀。諸国を放浪しているとき、松永久秀の元にいたと言われている。ゲームでは三方ヶ原のステージですでに徳川軍として登場するため、ここで松永久秀の配下にいるのはおかしいのだが、家康の参謀が松永久秀の元にいたのは面白い話であり、それが反映されているのは良い。ただのモブだけど。
□松永久通
松永久秀の子で、ほぼ父の久秀と行動を共にしている。三好三人衆と共に行った将軍暗殺の実行犯。信貴山城の戦いで父と共に爆裂した。
◇森好久
元は筒井家の家臣。松永久秀に降っていて、織田軍に包囲されたときに久秀の命令で本願寺に救援を求めに行き、鉄砲隊200名を連れて戻った。しかしこれは筒井の計略で、織田軍の攻勢に合わせて鉄砲衆が反乱、信貴山城の陥落を決定的にしたという。
◇宮部与介
松永久秀の家臣。代官職を務めていたようだ。
◇四手井家武
元は京都の有力者で、松永久秀に仕えた四手井(しでい)一族の一人。
◇四手井家綱
松永久秀に仕えた四手井一族の武将。四手井家はのちに明智光秀に従い、秀吉と光秀が戦った山崎の合戦に参加したともいう。
武器箱
・マップ中央やや左下にある砦の中
信長編・外伝 5-S1 手取川の戦い
★柴田勝家
織田家の猛将にして筆頭家老。織田家の北陸方面軍の総大将に任命され、北上を続けていた。一方、能登半島の大名である畠山家が織田派と上杉派に分裂し、上杉派の支援のため上杉謙信が出陣、両者が対峙する。
★前田利家
織田家の槍使い。柴田勝家が総大将の北陸方面軍に配属された。以後、勝家の配下として活動する。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。鉄砲隊を率いて活躍したが、手取川の戦いは戦闘前に秀吉が戦線離脱したので、中村一氏もおそらく戦っていない。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。上杉家にも軒猿や伏齅(ふせかぎ)と呼ばれた忍者衆がいたとされるが、最近は信憑性がないとも言われている。
●羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。柴田勝家の援軍に派遣されるが、作戦を巡って勝家と大ゲンカ! 勝手に戦線離脱して帰ってしまった。この織田軍の不和が敗北の最大の要因と言われており、あとで信長にメチャ怒られる。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。この頃は安土城の建設を担当。手取川の戦いにも派遣されるが、上杉謙信の強襲により織田軍は全く良いところなく壊滅。あまりのボロ負けに信長はこの戦いの記録を禁止したという。
●滝川一益
退くも滝川、進むも滝川と言われた甲賀出身の織田家の重臣。手取川の戦いにも派遣されている。柴田勝家の配下ではないが、普段から仲が良かったという。
●竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。秀吉が柴田勝家とケンカして帰ってしまったので、半兵衛もおそらく戦っていない。
●金森長近
織田家の家臣。この頃は柴田勝家の北陸方面軍に配属されていた。
●堀秀政
織田家の家臣。名人久太郎と呼ばれていた戦上手。使者、伝令、外交や奉行など何でもこなした人物で、秀吉から「きゅうきゅう」と呼ばれていた。
■お市
織田信長の妹で、浅井長政の妻。史実では柴田勝家と再婚している。ゲームでは見た目は萌えキャラだが、物語はやはりヘビー。
■佐々成政
織田家の家臣で、柴田勝家の北陸方面軍に配属される。前田利家、佐々成政、不破光治の三人で「府中三人衆」と呼ばれた。
○上杉謙信
上杉家の大名。越後の龍。西上を開始したのは足利義昭の要請とも言われている。織田軍が謙信の強襲を受けたのは、上杉軍の位置を察知できなかったからと言われているが、上杉軍が離れた位置から強行軍で夜襲をかけたからとも言われる。「織田軍がこの程度なら上洛も楽勝」と語ったと言うが、この後、病に倒れた。
○北条景広
「ほうじょう」ではなく「きたじょう」。北条高広の子。謙信の死後、上杉家の跡継ぎ争いで敗死した。
○新発田重家
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。上杉家の家臣だったが、謙信の死後に大規模な反乱を起こし、7年もの長きに渡って独立勢力となった。
○色部長実
上杉家の重臣である色部家の一人。のちに秀吉から「北国路、稀に見る武将」と評される。
○斎藤朝信
越後の鍾馗や富楼那の斎藤の異名を持つ上杉家の重臣。富楼那とは弁舌に優れた釈迦の弟子のこと。
○本庄繁長
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。上杉軍後期の猛将だが反逆を繰り返した。上杉景勝の代になってからは忠実に仕え、最上家や伊達家を相手に勇戦した。
○新発田長敦
上杉家の精鋭である七手組大将の一人。越後の有力者である揚北衆のひとつ佐々木党を率いた。交渉にも長ける。
○北条高広
「ほうじょう」ではなく「きたじょう」。紛らわしいので(北条氏康の)北条家では「喜多条」と書かれていた。無双の勇士と評された猛将だが、粗忽者(おっちょこちょい)で、離反も繰り返している。
○安田長秀
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。上杉家の古参で、川中島の戦いで活躍、謙信から血染めの感状をもらった一人。
○本庄秀綱
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。上杉謙信が将軍・足利義輝に謁見した際、太刀持ち役を務めた。
○山本寺景長
山本寺孝長ともいう。上杉謙信の旗本。謙信の死後、兄が上杉家の跡継ぎ争いで行方を眩ましたため、彼が後を継ぐ。しかし柴田勝家の攻勢で落城する魚津城で戦死した。
○岩井信能
岩井家は信濃の有力者だったが、武田信玄に敗れて上杉家を頼り、謙信の小姓となった。のちに武勇と才知に優れると評され、上杉家の重臣となる。
○島津忠直
元は信濃の有力者。武田信玄に抵抗していたが、敗れて上杉家の客将となった。九州の島津家の親戚らしい。
○上条政繁
能登半島の大名・畠山家の一族で、上杉家に養子に出されたが、謙信は彼を一門衆(上杉家の親族)として厚遇した。しかし謙信の死後に上杉家の跡継ぎである上杉景勝と仲違いして出奔し、姓も畠山に戻している。
○吉江景資
上杉家の家臣。越中(富山)を転戦し、のちに魚津城の守りに就くが、柴田勝家の猛攻で落城、戦死した。
○千坂景親
上杉家の重臣。上杉謙信の親衛隊のような立場であったため、戦場での戦功は少ない。
○栗林政頼
上杉家の重臣、長尾政景の配下。上杉謙信の死後、跡継ぎとなった上杉景勝の重臣となる。
□山浦国清
信濃の有力者で武田信玄の初期のライバルだった村上義清の子。信濃を追われ、父と共に上杉家の客将になる。
□水原親憲
上杉景勝の代で主力を担い、最上家との戦いや大坂の陣で活躍した。彼の墓はマラリアに効くということで人々に削られていき、どんどん小さくなっていったという。
□竹俣慶綱
揚北衆と呼ばれる越後の有力者の一人。川中島の戦いで武具を失っても奮戦したという。謙信の死後に、柴田勝家の攻勢で落城した魚津城で戦死。
□下間頼純
本願寺の坊官。本願寺軍が大人の事情で登場しない戦国無双では、貴重な本願寺武将。一向宗の国であった加賀に派遣され、本願寺の名将・下間頼廉と共に手取川の戦いで上杉軍に味方している。ゲームでは一揆衆として登場する。
□鬼小島弥太郎
上杉謙信のボディーガード。乗っている馬ごと謙信を担いで川を渡ったなどの伝承を持つ。花も実もある勇士と評された。
□志駄義秀
上杉家の家臣。のちに最上家との戦いで活躍するが、この頃はまだ若武者。
□甘粕景持
上杉四天王の一角。謙信秘蔵の侍大将と呼ばれ、その部隊の活躍を見た武田軍は「上杉謙信がいるのか?」とさえ思ったという。
□河田長親
元は近江の人。上杉謙信が京都に行った際に出会い、越後に連れて帰った。美貌と才能を認められたという。謙信の死後に柴田勝家と佐々成政を相手に越中を守って善戦するも、病死した。
武器箱
・上杉本陣に登る階段の手前
光秀編・本編/外伝 5-3/5-S3 上月城の戦い
▲山中鹿介
尼子家の旧臣。織田軍の客将として活躍し、毛利家との最前線にあった上月城を与えられた。しかし後方の別所家が織田家に反逆して孤立、毛利の大軍に包囲される。撤退を勧める秀吉を無視して毛利と戦うも抗しきれず、遂に敗死した。死後「彼こそ虎狼の世界に現れた麒麟である」と評される。意外にもこのステージのプレイヤーキャラではない。
▲尼子勝久
尼子再興軍の総大将。山中鹿介と立原久綱に尼子家の新当主に擁立され、上月城で戦うも、再興を成すことなく降伏、自害した。
▲尼子氏久
尼子勝久の兄。尼子家の武闘派組織・新宮党の後継者だったが、危険視されて新宮党が滅ぼされた後、秀吉の片腕である蜂須賀小六の元に身を寄せていたという。尼子再興軍と共に上月城に入るも、弟と共に自刃した。
▲尼子通久
尼子勝久の弟。尼子氏久と共に蜂須賀小六の配下となり、鉄砲頭になっていたという。上月城で毛利に敗れ、兄と共に自刃。
▲神西元通
尼子家の旧臣。毛利に降るが、鹿介の説得を受けて再興軍に加わり、尼子勝久と共に最後まで戦い続け、上月城で自害した。
▲立原久綱
尼子家の旧臣。尼子三傑の一人。山中鹿介と共に尼子勝久を擁立し、お家再興を目指した。信長から「良き男にして、振る舞いも立派」と評される。上月城の落城後、毛利に捕まるが脱走、阿波(徳島)に逃れた。
◆亀井茲矩
元の名字は湯(ゆ)。尼子家の滅亡後は京都に潜伏したが、山中鹿介と共に織田家の客将となる。上月城には入らず、秀吉軍にいたため、その後も秀吉の配下として活躍、のちに尼子再興軍の残党を吸収して山陰地方の城主を務めた。
◆津森幸俊
尼子家の旧臣。尼子家滅亡後は山陰地方に潜伏、山中鹿介の再興軍結成の呼びかけにいち早く応えたという。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。この頃は雑賀攻めや、松永久秀の信貴山城攻撃に参加しつつ、丹波地方や播磨方面の攻略も行っており、忙しく各地を転戦していた。
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。織田家の中国方面軍の総大将となり、上月城の山中鹿介と協力して毛利家を攻める予定だったが、後方の別所家が反乱を起こし、孤立した上月城に毛利軍が迫る。すぐに上月城に援軍を送ろうとするが、先に別所を何とかしろと織田信長に言われ、再三の訴えも虚しく山中鹿介を見捨てるしかなくなった。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。織田信行の子としては、柴田勝家が引き取った津田信澄が有名である。みつきと津田信澄は全然違うが……
★斎藤利三
明智光秀の側近。一族の娘が四国の大名・長宗我部元親に嫁いでいる。長宗我部家は光秀&斎藤利三を通じて織田家と同盟したが、三好家の旧臣と親交を持った秀吉&信長から、三好に領土を割譲するよう迫られた。これが本能寺の変の要因とする説もある。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。元々病弱だったが、この頃からさらに体調が悪化し、寝込むようになる。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。この頃は秀吉の中国方面軍の一員として、別所家の三木城を包囲している。
●滝川一益
甲賀出身の織田家の重臣。この頃は鉄甲船の準備をしながら、遊軍として各地を転戦していた。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。この頃は安土城の建設を担当しながら、各地を転戦していた。
◆佐久間信盛
織田家の古参の重臣。毛利の大軍が迫っている報告を受け、中国地方に援軍に向かう。このあとも遊軍として各地を転戦していたのだが、ある日突然、信長からダメ出し19連発の折檻状を送られ、クビになった。他にも美濃三人衆の安藤守就など、何人かの家臣がクビになっており、織田家の家臣に動揺が走ったと言われる。
◆金森長近
織田家の家臣。この頃は柴田勝家の北陸方面軍に配属されていた。
◆坪内利定
墨俣一夜城の建設に木材の加工と運搬で協力した秀吉の配下。のちに秀吉と不仲になって家康の元に去ったという。
◆前野長康
墨俣一夜城の建設に協力したという秀吉の配下。織田家の記録「武功夜話」を残したとされる。
◆堀秀政
名人久太郎と呼ばれ、秀吉から「きゅうきゅう」と呼ばれていた織田家の家臣。合戦の指揮に優れ、伝令や外交、奉行など何でもこなした多才な人物。
◆松原内匠
墨俣一夜城の建設に大工の棟梁として協力した秀吉の配下。
◆佐々成政
織田家の家臣。柴田勝家が率いる北陸方面軍の一員となっており、前田利家、不破光治と共に「府中三人衆」と呼ばれている。
◆細川藤孝
将軍・足利義輝に仕え、足利義昭の将軍就任にも尽力した、文武と芸能に優れた名将。この頃は明智光秀と共に転戦していた。
◆荒木村重
裏切りの猛将茶人。この頃は秀吉の軍勢と共に、織田家から離反した別所家を包囲していたのだが、間もなく彼自身も……
◆蜂須賀小六
秀吉の側近。元は尾張の浪人衆の頭領。秀吉の片腕として合戦はもちろん、交渉や工作などに活躍していたが、このゲームでは役割を百地三太夫に取られている。
☆毛利元就
毛利家の大名。中国地方に広大な国を築いた安芸の謀神。実際にはこの頃には亡くなっている。文章が長く、くどく、小言が多く、戦国無双4でネタにされていた。
☆小早川隆景
毛利家を支えた「両川」にして「御四人」の一人。毛利元就の三男。毛利元就をして智恵者と言わしめた人物。尼子再興軍が籠もる上月城を大軍で包囲し、連日太鼓などを鳴らして威嚇、ついに戦意を喪失させて再興軍を崩壊させる。
☆吉川元春
毛利家を支えた「両川」にして「御四人」の一人。毛利元就の次男。捕らえられた山中鹿介は彼の手の者に護送されたが、その途上で殺害された。それが吉川元春の命令かどうかは不明。その後、山中鹿介の兜を吉川家の家宝とした。
○宇喜多直家
宇喜多家の大名。暗殺と下克上で大名にのし上がった山陽の梟雄。一時は山中鹿介の反毛利同盟(第二次 尼子再興戦)に協力していたが、その後に毛利と同盟したため、第三次の再興戦である上月城の戦いでは毛利に援軍を派遣した。この後、秀吉の勧誘に応じて毛利を裏切り、織田家に付く。
○宇喜多忠家
宇喜多直家の弟。身内も手駒に使って暗殺を繰り返す兄を恐れ、会うときは鎖帷子を着ていたという。実際の上月城の戦いには宇喜多直家は参加しておらず、彼が宇喜多軍を率いた。
○吉川広家
吉川元春の子。のちに関ヶ原の戦いで東軍・徳川側に内通、西軍であった毛利家の前面に布陣し、命令を受けても動かず、毛利軍の進軍を妨害した。このとき毛利の大将が「お弁当食べてるので!」と言い訳したため、宰相殿の空弁当と言われることになる。
○吉川元長
吉川元春の子、吉川広家の兄。父と共に尼子再興軍との戦いを繰り広げ、上月城の戦いにも参加。
○平賀元相
毛利家の家臣。安芸(広島)に大きな所領を持った重臣の一人。のちに秀吉に気に入られて豊臣の姓を与えられる。
○口羽通良
毛利家の中枢である「御四人」の一人。名奉行と讃えられた。上月城の戦いでは尼子一族の自害のあと、城兵の降伏を認める書状に小早川隆景や吉川元春と共に署名を行った。
○国司元相
毛利家の槍使い。尼子家との戦いで多数の討ち取りを挙げ、生涯で百三十余の首を挙げたと言う。
○三刀屋久扶
山陰の重要拠点・三刀屋城の城主だったが、毛利・大内・尼子の間で何度も寝返り、仕舞いには家康に取り入ろうとしたので、ついにクビになった。
○赤穴盛清
元は尼子家の家臣。尼子の最盛期を築いた尼子晴久が死んで毛利に寝返る。上月城の戦いでは吉川元春の配下として参戦。
○三沢為清
出雲の有力者。大内家・尼子家・毛利家の間で鞍替えを繰り返すが、最終的には毛利家の家臣となり、吉川元春の配下となって尼子再興軍と戦う。
○三吉隆亮
現在の広島県の北方、三次の有力者。位置的に対尼子の最前線で、大規模な山城で尼子家の南方進出を阻んだ。
○宍戸隆家
毛利家の家臣。毛利の一門衆。尾高城に捕まっていた山中鹿介を口羽通良と共に説得しようとして失敗した。上月城の城兵の降伏を認める書状に署名している。
○児玉元良
毛利家の家臣。娘が毛利輝元にストーカーされた挙げ句、強奪された。主に尼子再興軍との戦いに参加している。
○林就長
毛利家の家臣。主に外交官として活動しており、織田家や豊臣家と交渉、また彼らの動向の報告などを行っている。
○上山元忠
毛利家の家臣。備後(広島東部)の有力者で、備前(岡山)周辺を支配した宇喜多家と戦う。秀吉から何度も味方になるよう誘いを受けたが拒否し、徹底抗戦した。
○市川経好
毛利家の家臣。吉川家の長男だったが、毛利元就の次男を養子に迎えるのに尽力し、吉川元春が吉川家を継ぐと、自分の名字を市川に変えて忠誠を誓った。
○杉原盛重
毛利家の家臣。笑わなかったので能面とあだ名された。何人かの忍びを抱えており、夜討ちや火付けに長けたが、ならず者が多く、小早川隆景は嫌ったという。上月城を巡る戦いでは秀吉軍を撃退、さらに城に大砲を撃ち込むが、山中鹿介の兵士に忍び込まれ、大砲を谷底に落とされたという。
○福原貞俊
毛利家の中枢である「御四人」の一人にして筆頭家老。正直で裏表のない人物と評された。主に瀬戸内海方面を統括した。
○熊谷信直
毛利家の重鎮。娘が「世にまたとなき悪女」と書かれるほどのブスで困っていたが、吉川元春が「その方がいい」と嫁にしたため、以後は元春の忠臣になった。夫婦円満だったという。
○渡辺長
羅生門や酒呑童子などのお話で知られる平安時代の英雄・渡辺綱の末裔のひとり。ずっと毛利に仕え続けた。
○益田元祥
吉川元春の配下。毛利家後期の家臣で、上月城の戦いや備中高松城の戦いなどに従軍している。
○熊谷高直
熊谷信直の子だが、この戦いの頃に父より先に病死してしまい、キリシタンの息子に跡を譲る。
○安国寺恵瓊
毛利家の外交僧。毛利家が足利義昭を保護した後も織田家との同盟を主張していた。のちに秀吉と毛利の交渉窓口として重要な役割を担う。名前のせいでよく暗黒寺とか言われる。
武器箱
・マップ最下部の一方通行の右あたり
信長編・外伝 5-S2 木津川口の戦い
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。織田家の重臣として各地の戦いに参加していた。ただ、史実の木津川口の戦いに参加していたかは不明(たぶんしていない)
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。元々病弱な体質であり、この頃は寝込んでいた。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。鉄砲隊を率いて活躍したが、史実のこの戦いへの参加は不明。のちにこの戦いの戦場にほど近い、大坂・岸和田の地の城主となる。
●滝川一益
甲賀出身の織田家の重臣。鉄砲や海戦を得意としており、九鬼嘉隆と共に鉄甲船の建造に携わった。鉄甲船は燃えない鉄張りの装甲と、左右3門ずつ、計6門の大砲を備えた巨大軍艦で、美しく金で彩られており、計6隻建造されたという。
●筒井順慶
筒井家の大名。大和の支配を松永久秀と争っていたが、久秀が自爆したので正式に大和の守護となって、織田家に従属する。のちに本能寺の変を起こした明智光秀から協力を求められるも、光秀にも秀吉にも味方せず「洞ヶ峠」で静観した。
●長谷川秀一
織田家の家臣で奉行職を務めた。この頃から合戦の検分を行っている。
●蒲生氏郷
戦国後期の名将。六角家の配下だった蒲生賢秀の子。秀吉の家臣として有名だが、この頃は柴田勝家の配下となって転戦していた。
■九鬼嘉隆
織田水軍の頭領。実際には彼が木津川口の戦いの主役。最初の戦いは毛利家の「焙烙玉」によって船団を燃やされ大敗したが、燃えない鉄張りの船「鉄甲船」を信長に提案、滝川一益と共に建造を行い、二度目の戦いで毛利水軍に大勝した。
○小早川隆景
毛利家を支えた「両川」にして「御四人」の一人。毛利元就の三男で、毛利水軍の提督。のちの「豊臣五大老」の一人。大坂で籠城する本願寺に水軍を使って補給物資を運び入れていた。
○熊谷信直
毛利家の重鎮。娘がブスで困っていたが、吉川元春が貰ってくれたのでその忠臣となった。創生期の毛利を支えた武将だが、この頃はほぼ引退していたのか、参陣の記録は少ない。
○乃美宗勝
武勇に優れた毛利家の重臣。北九州の大名・大友家との戦いで特に活躍し、小早川隆景の配下として水軍の主力も担った。木津川口の戦いの戦いでも焙烙玉を使って織田水軍を炎上させる。
○井上春忠
毛利家の家臣で小早川隆景の配下。この戦いにおける毛利水軍の主力の一人。
○福原貞俊
毛利家の中枢である「御四人」の一人。瀬戸内海周辺の軍務や政務を担当した重臣。
○礒兼景道
小早川隆景の家臣で毛利水軍の将。元は村上水軍の一員。瀬戸内海の制海権確保に尽力していた一人。
○毛利元康
毛利元就の八男。小早川隆景や吉川元春の弟。末次元康とも名乗る。この頃が初陣。
○口羽通良
毛利家の中枢である「御四人」の一人。国政を担っていたが、水軍を使って大坂の石山本願寺城に武器や兵糧を届けていた当人でもある。妨害に来た織田水軍との戦いも繰り広げた。
○児玉就英
毛利水軍の大将の一人。児玉就方の子。木津川口の戦いでも毛利軍の主力の一角を担う。
○下間頼廉
本願寺の名将。石山本願寺城で籠城する本願寺軍の指揮を執り、織田軍を幾度も撃退、雑賀孫市と共に「本願寺左右の将」と讃えられた。のちに本願寺と講和した秀吉に従い、本願寺町の奉行を務める。
○下間頼純
本願寺軍が大人の事情で登場しない戦国無双では貴重な本願寺武将。大坂や加賀の戦いで織田軍を相手に活躍した。下間家は本願寺の執事や雑務を務めていた家柄。
○児玉就方
毛利水軍の大将の一人。武勇に優れ、厳島の戦いや大友家との戦いで活躍した。この戦いでも村上水軍、乃美水軍と共に、児玉水軍を率いて主力の一角となる。
○口羽春良
口羽通良の次男。吉川元春の配下の一人となり、主に山陰地方(日本海側)で活躍していた。
□雑賀孫市
紀伊の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の頭領と言われる人物。本願寺の下間頼廉と共に織田軍と戦い、本願寺左右の将と讃えられた。このステージのように本願寺と共闘しているのが本来の孫市の姿。
□毛利輝元
毛利家の大名。毛利元就の孫で、早世した毛利隆元の子。関ヶ原の戦いにおける(名前だけの)西軍の総大将。今作ではまさかの固有モデル武将。
□村上武吉
瀬戸内海の海賊・村上水軍の頭領。毛利家に味方してその躍進に貢献したが、あくまで海賊であり、毛利家に反抗したこともある。一度目の木津川口の戦いで織田水軍を「焙烙玉」で焼いて大勝するが、このときは息子が大将だった。二度目の木津川口の戦いは自分が出陣したが、鉄甲船というバケモノが出てきて敗退する。
□村上吉充
村上水軍は3つに分かれていて、その一つである因島の村上水軍の頭領。木津川口の戦いで主力の一角を担った。
□平賀元相
毛利家の家臣。安芸(広島)に大きな所領を持った重臣の一人。
武器箱
・毛利本陣の右上にある船
信長編・本編 5-3 播磨平定戦
光秀編・本編 5-4 播磨平定戦
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。秀吉の軍勢を中国地方に進軍させるが、播磨(兵庫)の別所長治がいきなり信長に反逆、中国方面軍は後方を脅かされてしまう。史実では秀吉が別所家の三木城を包囲し、2年に及ぶ兵糧攻めを行うが、ゲームでは殺る気まんまんの信長と光秀が圧倒的な暴力で別所を粉砕する。
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。別所家の寝返りによって窮地に陥った秀吉と山中鹿介の救援に向かうが、毛利の大軍と睨み合いとなる。ここで荒木村重まで反逆したため、救援軍は別所家の支城を攻略し、それぞれ撤収した。…のだが、ゲームでは信長と共に力攻めで別所を瞬殺する。
●織田信忠
織田信長の子。織田家の跡継ぎ。信長の後継者に相応しい武勲をたてさせるためか、各地の侵攻軍の総大将を務めさせられていた。親が偉すぎると子は大変。
●百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。そろそろストーリーに関わってくる頃……
●冷泉為純
お公家様。官位は従三位・参議。収入確保のため播磨にあった自分の所領に戻っていたら、別所家が挙兵。秀吉に協力していたら、別所に攻められて殺されてしまった。
●織田長益
有楽斎。年の離れた信長の弟。織田信忠の配下として活動しており、主に交渉などで活動していた。のちに江戸に茶室を建て、東京の有楽町の語源となる。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。安土城の建設を担当していたが、毛利軍が播磨に迫ってきたのを聞いて信長が自ら出陣しようとしたため、明智光秀や滝川一益と一緒にこれを押し止め、自分が援軍に向かった。ゲームでは止められなかったのか、信長が自ら暴れまくる。
●細川藤孝
将軍家に通じ、文武と芸術に優れた武将。光秀や丹羽長秀と同じく、秀吉の救援に向かうも、毛利家の大軍が目の前にいる状況では大きく動けず、敵に目立った動きもなかったため、播磨の支城を攻略後に撤収している。
●滝川一益
甲賀出身の織田家の重臣。毛利軍と直接対決すると言い出した信長を光秀や丹羽長秀と共に止めて、播磨に援軍に向かう。桶狭間のことが頭によぎったのかもしれない。
■羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。中国方面軍の総大将になって西進していたが、後方で別所家が離反、同時に毛利の大軍が山中鹿介のいる上月城に押し寄せる。まず鹿介を救援しようとしたが、信長に「先に別所を何とかしろ」と言われて転進、別所家の三木城を包囲し「三木の干殺し」と呼ばれる2年に及ぶ兵糧攻めを行う。が、ゲームでは兵糧攻めする間もなく信長が別所をフルボッコにする。
■黒田官兵衛
秀吉の軍師として有名。両兵衛の一角で播磨出身。三木城の兵糧攻めは竹中半兵衛&黒田官兵衛が指揮したと言われているが、あんなに酷いことになるとは思っていなかっただろう。
■中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。三木城の包囲に参加している。
○別所長治
別所家の大名。播磨を支配した赤松家の一族。信長との親交が厚く、黒田官兵衛の説得もあって秀吉の中国方面軍の先鋒となるが、急に信長に反逆し、秀吉の包囲を受けても抵抗、2年に及ぶ「三木の干殺し」と呼ばれた凄惨な兵糧攻めを受ける。毛利や足利義昭の調略を受けたためと言われるが、21才の長治の野望が爆発したのかもしれない。
○別所吉親
別所長治の叔父(父の弟)で、長治の後見役。毛利派であったためか、秀吉が播磨の有力者である別所・小寺・赤松などを集めて会議を行った「加古川評定」で、秀吉と衝突する。会議後、別所長治を反逆に誘った。
○別所治定
別所長治の弟。城から打って出て秀吉軍に奇襲をかけるが失敗、戦死した。
○三宅治忠
別所吉親と共に、秀吉と播磨の有力者が会議を行った加古川評定に出席。話し合いの決裂後、別所長治に反逆を勧めたという。
○衣笠範景
播磨の有力者である小寺家の家臣。小寺家の滅亡後は、同じく小寺家の家臣だった黒田官兵衛に仕えた。
○淡河定範
別所長治の義理の叔父。敵軍に牝馬を放って混乱させる奇襲で羽柴秀長を破ったという。
○梶原景行
播磨の有力者である赤松家の水軍の将。毛利側に付いて別所家と戦っていたが、別所家が毛利側に鞍替えしたので織田と戦う。水軍は重要だったので調略(引き抜き工作)を頻繁に受けたようだ。
○長井長重
別所家の本拠地・三木城の支城である野口城の城主。秀吉軍の攻勢により降伏した。
○神吉頼定
別所家の本拠地・三木城に近い神吉城の城主。赤松家の家臣で、赤松一族である別所家に味方し、初戦は秀吉を撃退した。しかしそのため織田軍3万の総力を上げた攻勢を受け、彼も暗殺された。
○志道元保
毛利家の家臣。志道家は毛利元就の家督相続に尽力したという重臣の家柄。陶晴賢や尼子家と戦った。
○三木通秋
播磨の有力者である三木家の当主。小寺家時代の黒田官兵衛と播磨の戦乱で、あるときは味方、あるときは敵となって争った。一向宗門徒であったため本願寺に味方し、よって反信長派となる。
○三木安明
播磨の三木家の家臣。三木道秋の子。織田家に敗北後、毛利家に逃れていったという。
○福原元俊
毛利家の家臣。父の福原貞俊は小早川隆景や吉川元春を含む、毛利家の中枢「御四人」の一人だった。
○上山元忠
毛利家の家臣で、備中(岡山西部)の城を守り、周辺の宇喜多家や浦上家、三村家などと戦っていた。
○益田藤兼
毛利家の家臣。元は大内家の家臣で武勇に優れた。毛利元就のライバルだった陶晴賢に味方したため、毛利家と激しく戦うも、降伏して吉川元春の配下となる。配下の品川将員が山中鹿介と一騎討ちした逸話がある。
□櫛橋政伊
播磨の有力者で、別所家の本拠地・三木城の近くにあった志方城の城主。別所家と共に織田軍に反逆するも敗北、降伏した。
□平賀元相
毛利家の家臣。安芸(広島)に大きな所領を持った重臣の一人。
□別所友之
別所長治の弟。勇猛で近隣に名が轟いていた。三木城で飢えながらも、最後まで籠城した一人。
□木原兵部
毛利家の家臣。安芸の有力者で、山中鹿介が籠もる上月城攻めにも参加した一人。
□魚住頼治
海沿いにあった魚住城の城主。三木城が完全包囲される前、毛利から送られる兵糧をここで荷揚げして三木城に搬入していた。
□津村市助
別所家の鉄砲名人。勇戦して織田軍の攻勢を防いだという。
□小早川隆景
毛利家を支えた「両川」の一人。名字は違うが、毛利元就の三男。水軍を率いて各地の合戦で活躍、さらに広大な領土の政務と外交に奔走した。上月城の山中鹿介を追い詰めていた頃で、別所家の反逆も彼等の調略である可能性が高い。
□渡辺長
毛利家の家臣。長は「はじめ」と読む。酒呑童子や羅生門の逸話で有名な渡辺綱の子孫の一人で、渡辺家は代々名前が1文字と決まっている。親族に渡辺了などがいる。
□宍戸元続
毛利家の家臣。重臣の宍戸隆家の孫。まだ若く、この裏で行われていた上月城の戦いが初陣。
□吉川元長
吉川元春の子。別所家の反逆の裏で行われていた上月城の戦いで、山中鹿介を激しく攻め立てる。のちに関ヶ原の戦いで重要なポジションとなる吉川広家を養子とした。
□桂広繁
毛利家の家臣。桂元澄の子。五男だったが桂家を継いだ。この頃はまだ若武者。
□毛利輝元
毛利家の大名。毛利元就の孫。父の急死で毛利家を継ぎ、小早川隆景や吉川元春などにサポートされて当主を務めた。別所家や荒木村重の反乱は、足利義昭を奉じての毛利軍上洛を期待してのものだったようで、実際に毛利輝元はやる気があったとされるが、小早川隆景に反対されてあきらめた。結果として、別所と荒木は見殺しにされることになる。
□吉川元春
毛利家を支えた「両川」の一人。名字は違うが、毛利元就の次男で、猛将として知られる。主に山陰地方の司令官として活躍した。
しかし秀吉相手だと苦戦し、山陰地方で戦線後退、鳥取城を守っていた息子が三木城のような兵糧攻めに遭う。
◇口羽通良
毛利家の中枢である「御四人」の一人。本願寺への物資運送を担当していたため、別所家への補給も行っていたと思われる。
◇香川光景
元は安芸武田家の家臣だったが、熊谷信直と共に毛利家に寝返った。宇喜多家と時に味方、時に敵対しながら、中国地方の中央部で戦いを繰り広げた。
◇吉見正頼
元は大内家の家臣。毛利輝元の補佐を吉川元春に頼まれ、中国地方に進出してくる秀吉軍と戦った。
武器箱
・マップ左中央にある砦の中
信長編・外伝 5-S3 有岡城の戦い
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。織田家に反逆した別所家の三木城を包囲していたが、一緒に戦っていた荒木村重がいきなり戦線離脱し、居城に戻って織田家に反逆した。ゲームでは別所家を信長&明智光秀が攻め、荒木村重を秀吉&竹中半兵衛が攻めているが、史実は逆である。
★竹中半兵衛
秀吉の軍師として有名。この頃は体調が悪化して寝込んでいた。黒田官兵衛が荒木村重に捕らえられたとき、信長は寝返ったのかと思って人質になっていた黒田官兵衛の子を殺そうとしたが、半兵衛が機転を利かせて匿った逸話がある。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。この頃は秀吉の中国方面軍の一員で、三木城の包囲に参加していた。
●蜂屋頼隆
織田家の精鋭部隊・黒母衣衆の一人。京都周辺の雑務を担当しており、有岡城の包囲にも参加。信長が強行した足利義昭の追放や、宝物の香木「蘭奢待」の切り取りなどにも関わっている。
●氏家直昌
美濃三人衆だった氏家卜全の子。この戦いで荒木村重が稲葉一鉄の子・稲葉貞通を攻撃した時、撃退している。
●安藤守就
美濃三人衆の一人。別所家や荒木村重の攻撃に参加し、各地を転戦していたが、翌年、突然クビになってしまう。謀反の嫌疑をかけられたらしく、相次ぐ謀反により信長が疑心暗鬼になった結果と言われる。
●稲葉一鉄
美濃三人衆の一人。文武に優れ、頑固一徹の語源と言われる。彼も中傷を信じた信長に、一度殺されそうになったことがある。安藤守就の追放後、彼が持っていた美濃の領地を受け継ぎ、本能寺の変で土岐派と共に挙兵した安藤守就と戦った。
●細川藤孝
文武に優れ、一流の文化人としても知られる武将。荒木村重とは親交があったが、あいつはヤバいと、謀反の危険を信長に知らせていたという。のちに本能寺の変を起こした明智光秀から支援を求められるが拒否し、隠居してしまう。
●池田恒興
信長の幼なじみの武将。荒木村重の謀反鎮圧で活躍し、戦後にその領地を治めることになる。
■黒田官兵衛
秀吉の軍師「両兵衛」の一角。反逆した荒木村重とは旧知の仲で、説得に行ったのだが、捕まって一年間も幽閉されてしまい、足が不自由になってしまった。ゲームでは秀吉と半兵衛がさっさと救出するため、そういう悲劇にはならない。
○荒木村重
摂津の有力者。主君を追放し、三好三人衆と織田家の間で裏切りを繰り返した猛将茶人。信長のお気に入りで、異例の出世をしていたが、本願寺と毛利家の調略によって信長に反逆、説得に来た黒田官兵衛も幽閉する。そのまま一年近く戦い続けたが、最後は家臣と家族を見捨てて、茶器だけ持って毛利家に逃げた。
○能勢頼道
摂津と丹後の国境、能勢の有力者。将軍家に仕えた家柄だったため信長への従属を拒否し、中立を保つが、荒木村重の謀反に応じて織田家と敵対する。織田家に降った塩川国満に謀殺される。
○吹田村氏
大坂・吹田の有力者。荒木村重と共に信長に反逆したが、村重の逃亡後に処断された。
○小寺政職
播磨の有力者であり黒田官兵衛の元主君。官兵衛の勧めで織田家に従属していたが、別所長治・荒木村重と共に織田家に反逆した。敗れたあと、足利義昭の元に逃れる。
○塩川国満
摂津(大阪北部)の有力者。三好家に従ったが、織田家に降り、荒木村重の配下になる。荒木村重の反逆に従うも、高山右近・中川清秀と共に織田家に戻る。
○荒木村次
荒木村重の長男で、尼崎を守る。明智光秀の娘を妻としたが、荒木村重と共に織田家に反逆。明智光秀が説得に来ても応じなかったが、妻は返した。荒木村重と共に毛利家へと落ち延びる。
○木下重堅
荒木重堅とも。荒木村重の家臣で、共に信長に反逆したが、織田家に降っている。
○安部仁右衛門
大坂・大和田の有力者。荒木村重が謀反を起こすと父と祖父が村重側に付くが、彼は父と祖父を騙して拘束、織田家に戻った。
○荒木元清
荒木家の一族で「荒木流馬術」の創始者。荒木村重の謀反に呼応するが、池田恒興の攻勢で城が落ち、共に毛利家へ落ち延びる。
○池田知正
荒木村重が主君の池田勝正を追放した際、代わりに池田家の当主とした人物。主従逆転し、荒木村重の配下となる。村重と共に信長に反逆するが降伏、村重の説得を行うが失敗、織田家に戻り辛くなって荒木村重と共に逃げた。
○中西新八郎
有岡城で砦の守備を行っていた武士。荒木村重の逃亡後、滝川一益にそれを知らされ、織田家に降った。
○宮脇平四郎
中西新八郎と同じく、有岡城の守備を行っていたが、荒木村重が逃亡したため織田家に降った。
○高山右近
キリシタン武将として有名なジュスト右近。父の高山友照と共に荒木村重の謀反に従うが、信長に「お前が戻って来なかったらキリスト教を弾圧する!」と言われたため、織田家に戻った。
○中川清秀
秀吉の義兄弟として知られる武将。荒木村重の同僚で、共に摂津で戦乱と反逆に明け暮れた。荒木村重の謀反に従うが、高山右近と共に織田家に戻り、逆に荒木村重の城を攻める。
△毛利輝元
毛利家の大名。毛利元就の孫、毛利隆元の子。荒木村重は毛利家を頼って織田に反逆したと思われるが、最後まで毛利輝元の援軍は来なかった。しかしゲームでは普通に毛利の大軍がやってくる。
△吉川元春
毛利家を支えた「両川」の一人。毛利元就の次男で鬼吉川と呼ばれた猛将。この頃は織田側に寝返った備前(岡山)の宇喜多家への攻撃を行っており、宇喜多の寝返りも別所家と荒木村重に救援を送れなかった一因のようだ。
△口羽通良
毛利家の中枢である「御四人」の一人。行政手腕に優れており、名家老と賞賛された。本能寺の変の頃に死去。
△渡辺長
羅生門や酒呑童子などのお話で知られる平安時代の英雄・渡辺綱の末裔のひとり。ずっと毛利に仕え続けた。
△熊谷信直
毛利家の重鎮。ブスな娘を吉川元春が嫁に貰ってくれて、元春の忠臣になった話が有名。その娘と吉川元春の間に出来た子が、関ヶ原の戦いで毛利軍のお弁当を空にする吉川広家となる。
△宍戸隆家
毛利家の重臣。毛利の一門衆となり、備後北部(広島北東部)を束ねて尼子家との戦いで活躍した。
△桂広繁
毛利家の家臣。桂元澄の子。毛利軍は実際には有岡城に来ていないので、この戦いでの逸話はない。兵糧は送っていた。
△乃美宗勝
毛利家の勇将。大友家との戦いで特に活躍、小早川隆景の配下として水軍の主力も担った。
△国司元相
毛利家の槍使い。一度の合戦で34もの討ち取りを挙げたという。ゲームの武将は1000人ぐらい討ち取ってるけど。
△宍戸元続
宍戸隆家の孫。毛利家の家臣で、のちに一門衆(親族)の筆頭家老となるが、まだ初陣したばかり。
△福原貞俊
毛利家の中枢である「御四人」の一人。山陽(瀬戸内海方面)の政務・軍務を担当した。本能寺の変の2年後に隠居。
武器箱
・マップ中央の詰所の近く
・荒木村重の本陣(有岡城)の中
信長編・外伝 5-S4 信康事件
★徳川家康
のちの徳川幕府の将軍。しかし信長から、息子の徳川信康と妻の瀬名(築山殿)の処刑を命じられてしまう。通説では、瀬名が徳川信康に側室を取らせたことに、信康の妻で信長の娘である五徳姫が嫉妬し、父の信長に「瀬名が武田家に内通している」という手紙を出したのを発端とする。読んだ信長は徳川家の酒井忠次に本当かどうか聞くが、忠次が否定しなかったため、家康に二人の処分を命じた。しかし不可解な点が多く、本能寺の変と同じぐらいミステリーである。
★本多忠勝
鹿角の兜と蜻蛉切がトレードマークの徳川の猛将。信康事件ではこれといった逸話はない。
★服部半蔵
徳川に仕えた伊賀の上忍の末裔。鬼の半蔵。徳川信康の介錯を命じられたが、切ることができず、家康は「さすがの鬼も主君の子は斬れぬか」と言い、より信頼したという。
●瀬名
今川家から嫁いだ徳川家康の妻。築山殿。信康の妻で信長の娘である五徳姫と不仲で、それが信康事件の要因だと言われているが、家臣の派閥争い説、親子の不仲説、今川派の反乱説、信長の猜疑心説、信長が信康を警戒した説、信康が乱暴すぎた説など、色々な説が存在する。にしても、この事件が戦国無双のステージになろうとは……
●百地三太夫
ここにも出てくる伊賀の上忍。このステージでは処分を伝える信長の使者として登場する。
●大久保忠世
その活躍で塗り薬や飛車角に例えられた徳川家の勇将兄弟の兄。徳川信康は彼の城で自害した。家康は大久保忠世がこっそり逃がしてくれるのを期待したが、そのまま死なせてしまったので、のちに恨み言を言われた、という逸話がある。
○徳川信康
徳川家康と瀬名の子。家康の長男だったが、信長に処分を命じられる。武勇に優れたが、戦と武芸にしか興味がない武辺者だったという。ゲームでは武田家の援軍と共に家康に反逆しており、五徳姫の「武田家に内通している」という手紙が事実だった説になっている。
○石川数正
徳川家康の側近で、人質交換で瀬名と徳川信康を今川氏真の元から取り戻したのだが…… その二人がこの件で処分されてしまった。この事はのちに徳川家を出奔する要因になったと言われている。
○平岩親吉
徳川家の家臣。徳川信康の後見人で、自分の首と引き替えに信康は許して欲しいと懇願したが、聞き入れられなかった。この事件があったため、子供を作ろうとしなかったという。
○本多重次
徳川家の家臣。日本一短い手紙で有名。家康が築山殿(瀬名)の女中に手を付けて結城秀康を生ませたとき、その女中を預かった。結城秀康自身も預かった。この話は信康事件には関係ないとは思うが……
○米津常春
徳川家の古参の家臣。初期の合戦で活躍した徳川十六神将のひとり。
○小笠原長忠
徳川家の家臣で、高天神城を徳川家が押さえていたときの城主。武田勝頼に攻められた時に救援要請したが、徳川家はまだ三方ヶ原のダメージが残っていたため、要請は織田家にたらい回しにされ、そうこうしているうちに落城した。
○松平康忠
徳川信康の傅役(お守役、教育係)であり、家老だった。信康事件で謹慎する。
○伊奈忠次
のちに関東の土木作業で手腕を発揮する行政官。父が一向一揆に荷担して家康と戦ったため、一時は流浪しており、ようやく帰参が叶ったものの、徳川信康の家臣となって、その信康が処刑されたのでまた流浪した。伊賀越えに同行して再復帰する。
○榊原清政
徳川信康の傅役(お守役、教育係)の一人。この事件のショックで隠居、体調も崩した。
○植村家次
徳川信康の小姓。信康が切腹させられると流浪の身となる。のちに榊原康政の推挙で再び家康に仕えた。
○武田勝頼
武田信玄の子。武田家の跡継ぎ。徳川信康の援軍に来るが、もちろん史実ではない。このステージでは終始頼りない。
○岡部元信
元今川家の家臣。この頃は武田家の重臣になっていて、遠江の重要拠点・高天神城の城主になっている。
○小幡信貞
武田家の家臣。重臣の小幡虎盛とは別の家系。武田家の主要な合戦に参加し、のちに織田家や北条家に仕える。
○一条信龍
武田家の武将で、武田信玄の異母弟。ハデ好きの伊達男だったという。
○今福友清
武田家の家臣。武田領と遠江の重要拠点・高天神城を結ぶ補給路にあった諏訪原城の守将・今福虎孝の父。
○小山田信茂
武田家の重臣。一時は武田軍最強と評されていたが、のちに勝頼を裏切ることになる。
○駒井政直
武田家の家臣。駒井昌直とも。武田家の滅亡後、徳川家に帰属した旧武田家の武士895名の代表となる。
○曽根昌世
武田家の家臣。今川家侵攻戦で真田昌幸と共に活躍し、武田信玄に「我が両目の如し」と評された。
○長坂光堅
武田勝頼の側近。長篠の戦いで鉄砲隊に突っ込む突撃案を支持し、武田軍大敗の要因となった一人。上杉謙信が乗り捨てた馬を拾って乗り回していたため「捨て馬拾いの長閑」とか言われていた。
○跡部勝資
武田勝頼の側近。兵の動員力が高く勝頼に重用されていたが、古参の家臣からは良いように思われていなかった。高坂昌信が伝えた軍記「甲陽軍鑑」では国を滅亡に導いた奸臣とされている。
○穴山信君
武田家の重臣。穴山梅雪とも。趣味はコスプレ。武田勝頼の時代の家臣団筆頭。
○江馬信盛
飛騨の有力者である江馬家の末裔で、武田家に人質に出された。江馬家を継ぐ予定だったが、兄の江馬輝盛が父を殺害して家を乗っ取ったため、戻れなくなって武田の家臣となる。
○土屋昌恒
武田家の家臣。のちに武田終焉の地・天目山で、片手千人斬りと呼ばれる活躍をする勇士。
○小山田昌成
武田家の家臣。のちに仁科盛信と共に、織田軍を相手に奮戦する。
□大熊朝秀
上杉家の重臣だったが、上杉謙信の出家騒ぎのときに派閥争いで追放され、武田家に仕えた。
□小宮山友晴
武田家の家臣。信康事件で武田軍は特に動いていないので、この戦いにおける武田側のエピソードはない。
□小幡昌盛
「よく身の程を知れ」の遺言で知られる小幡虎盛の子。三男がのちに武田家の軍記「甲陽軍鑑」を編集する。
□保科正俊
武田家の槍使い。槍弾正と呼ばれ、真田幸隆の攻め弾正、高坂昌信の逃げ弾正と合わせ、三弾正と呼ばれた。
□藤林正保
百地三太夫、服部半蔵と並ぶ、伊賀の上忍三家の一人。ずっと正体不明で、百地三太夫と同一人物とか言われていたが、最近は伊賀北部・湯船郷の領主であった説が有力。今川家に仕えた記録があり、服部半蔵が仕えた徳川家も元は今川家の配下なので、今川義元と伊賀忍軍に何らかの提携があった可能性がある。
□城戸弥左衛門
伊賀忍者の一人。通称、音羽の城戸。忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人で、鉄砲と隠形術に優れた。信長を狙撃したことで有名。
□植田光次
伊賀を統治した伊賀十二人衆の植田家の一族。織田軍が伊賀に進攻した第一次・天正伊賀の乱で、織田軍をゲリラ戦で破り、追撃で織田家の武将を討ち取った。
武器箱
・中央やや上にある砦の中
光秀編・本編 5-5 伊賀の乱
★明智光秀
本作のもう一人の主人公。史実のこの時期に織田信長の子・織田信雄が伊賀に侵攻して起こった「天正伊賀の乱」という戦いがあったが、このゲームでは全く別の理由で戦いが起こる。
★斎藤利三
明智光秀の側近。実際に斎藤利三が明智光秀の家臣として、明確に記録に出てくるのはこの頃。連歌会の参加者の一人として、光秀と共に記名されている。
●服部半蔵
伊賀の上忍三家の末裔にして、徳川家の忍軍の頭領。マスク完備でウィルス対策万全。
●並河易家
明智光秀の丹波攻めの際に光秀に臣従した武将。光秀が赤井直正に敗れた際に脱出の道案内を務め、以後も最後まで尽くした。
●溝尾茂朝
明智光秀の側近。光秀と共に本能寺の変の計画を立てた一人と言われ、秀吉に敗れたあとも最後まで付き従う。
●松田政近
明智光秀の家臣。詳しい伝記は不明だが、本能寺の変の後に起こった光秀と秀吉の決戦・山崎の戦いで部隊を指揮している。
■徳川家康
徳川家の大名。のちの江戸幕府の将軍。史実の天正伊賀の乱には関わっていないが、本能寺の変の後、伊賀の山中を抜けて脱出する「伊賀越え」を試みる。
■本多忠勝
徳川四天王の一人で戦国きっての無双の豪傑。天正伊賀の乱には無関係だが、のちの伊賀越えで家康と共にここを通る。
■中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。甲賀の一部は第二次・天正伊賀の乱で織田側に付き、伊賀侵攻の先陣となった。
■藤田伝吾
明智光秀の側近。明智家の古参の武士。モブ武将ながら、ゲームでもずっと光秀といる。
■明智秀満
明智光秀の娘婿。明智左馬助。ゲーム「鬼武者」では信長を倒す主人公。兜にうさ耳が付いている。明智光春とも。
■妻木広忠
明智家と同じ、土岐家の一族らしい。明智光秀と共に転戦し、本能寺の変、さらに天王山の戦いにも参加した。
■明智光忠
明智家の家臣。のちに明智光秀と共に本能寺の変の計画を立てた一人と言われる。
○百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる人物。百地丹波守とも。伊賀忍軍とされる服部党は百地・藤林・服部の三家が上忍だが、服部半蔵は徳川に、藤林正保も今川などにいたため、百地家の当主である彼が頭領を務めたとされる。
○田屋掃部介
伊賀十二人衆。伊賀の北東、河合の領主で、伊賀の代表の一人。第二次の天正伊賀の乱では居城で守るも、戦死した。
○森田浄雲
伊賀の有力者。伊賀の猪田の領主という。伊賀十二人衆とも伝わるが、彼を入れると13人になってしまう。追加か入れ替えがあったのか? 伊賀の一之宮城に籠もって戦ったと言われ、現在の伊賀上野城に彼の鎧兜が展示されている。
○滝野吉政
伊賀十二人衆。 伊賀の南部、柏原の領主で、第二次の天正伊賀の乱では籠城戦を展開する。結果的に最後まで生き残り、織田家との終戦交渉を行った。
□みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一(女忍者)。甲賀者。天正伊賀の乱では対立したが、基本的に伊賀と甲賀は友好関係だった。
□町井清兵衛
伊賀十二人衆。町井左馬允、及び町井貞信とも。第一次の天正伊賀の乱で伊賀忍軍の副将を務め、織田信雄の軍勢をゲリラ戦で撃破し、第二次の天正伊賀の乱でも伊賀の比自山城に籠城して織田軍に善戦した。
□布生大善
伊賀十二人衆。伊賀の南部、布生の領主で、伊賀の代表の一人。
□藤林正保
伊賀の上忍三家の一人。百地三太夫と同一人物の説もあったが、伊賀北部の領主で、万川集海に登場する伊賀の忍術十一名人の一人である湯船ノ藤林長門とも言われている。第二次の天正伊賀の乱では、織田家に降ったとも、織田軍の先陣であった蒲生氏郷を奇襲したとも言われる。甲賀にも影響力を持ったという。
□中林助左衛門
伊賀十二人衆。 伊賀の山岳部、比土の領主で、伊賀の代表の一人。
□富岡忠兵衛
伊賀十二人衆。 伊賀の西部、島ヶ原の領主。会議では和平を主張し、第二次・天正伊賀の乱では織田軍に降伏、町井清兵衛が籠もる比自山城を攻めたという。
□福喜多将監
伊賀十二人衆。伊賀の朝屋の領主。伊賀の乱では朝屋丸と呼ばれた比自山城の南側を守り、筒井順慶の軍と戦った。
□百田藤兵衛
伊賀十二人衆。伊賀の長田の領主。十二人衆の筆頭とされ、百地三太夫と同一人物という説もあるが、本作では別人になっている。伊賀の乱で徹底抗戦を主張し、比自山城の北側にあった長田丸を守備、筒井順慶の軍を撃退したという。
□伊賀崎道順
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の筆頭。楯岡ノ道順。伊賀忍術四十九流の祖。潜入で城を落とした逸話が残る。
□城戸弥左衛門
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。音羽ノ城戸。鉄砲と変装に優れ、織田信長を狙撃したことで有名。
□神部小南
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。南伊賀の忍術の達人だが、詳細不明の謎の忍者。
□家城右近
伊賀十二人衆の一人である家喜家の一族か? 伊賀十二人衆の会議で織田家への徹底抗戦を主張したという。
□音羽半六
伊賀十二人衆。伊賀の北部、音羽の領主。音羽半六宗重。
□植田光次
伊賀十二人衆の植田家の一族と思われる。第一次の天正伊賀の乱で織田信雄の軍勢を追撃し、しんがりを務めていた柘植保重という織田家の武将を討ち取った。戦後に信長が織田信雄に送った手紙には「若気の至りで勝手に伊賀を攻めた挙げ句、柘植保重まで死なせて言語道断、いい加減にしないと親子の縁を切るぞ!」と書かれていた。
□小泉左京
伊賀十二人衆。伊賀の依那具の領主で、伊賀の代表の一人。
□野村孫太夫
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。一人二役で話し声を立て、仲間がいると思わせた話がある。
□下柘植木猿
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。 下柘植小猿と共に紹介されている。筒井家に雇われて大和の城を落とした記録がある。本名は上月佐助で、猿飛佐助のモデルと言われる。
□下柘植小猿
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。猿のように身のこなしが素早く、 動物の声真似が得意だという。
□甲山太郎次郎
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。姓は高山とも言われ、高山から伊賀市の上野公園に移築された伊賀忍者屋敷は彼の屋敷ともいう。ただ、彼等の一族は天正伊賀の乱で滅びた。
□山田八右衛門
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。瀬登八右衛門とも。途中で別人と入れ変わる双忍の術の逸話が伝わる。
□浅井長政
浅井家の大名。もちろんこんなところにいるはずがない。まあ、相手が忍者なので……
□山中鹿介
尼子家の旧臣。山陰の麒麟児。すでに死んでいるが……
武器箱
・中央の十字路を上に行ったところ
第六章
信長編・本編 6-1 高天神城の戦い
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。安土城が完成し、本願寺も降伏、その権威が頂点にあった頃。一方で、重臣をクビにしたり、朝廷(天皇家)に圧力をかけたり、高野山を包囲したり、やりすぎ感もあった。史実の高天神城の戦いには、援軍は送っているが、本人は不参戦。
★徳川家康
徳川家の大名。のちの徳川幕府の将軍。長篠の戦いで武田軍が衰えると武田勝頼に反撃を開始し、遠江の重要拠点・高天神城を巡る攻防戦を繰り広げた。
★本多忠勝
戦国最強の猛将。武田家との戦いで手柄を立てまくり、我が家の良将、花実兼備の武士、鬼か人かなど、様々な言われようで絶賛されていた。高天神城戦でも城内に突入している。
★服部半蔵
徳川家に仕えた伊賀の上忍の末裔。この頃、織田の援軍と徳川の家臣が衝突し、殺傷事件になった出来事があり、これに関わっていたため一時的に姿を眩ましている。よって当時の詳細は不明。
★弥助
信長に仕えた黒人侍。アフリカ出身。宣教師に連れられて信長に謁見、気に入られて側仕えを務め、いつしか刀と屋敷を与えられて武士となる。武田攻めに従軍した。
●織田信忠
織田信長の子、織田家の跡継ぎ。武田攻めの総大将を務めた。
●小笠原長忠
徳川家の家臣で、高天神城を徳川家が押さえていたときの城主。武田勝頼の攻撃を受けて救援を求めるも、援軍の到来が遅く武田軍に降伏した。信玄でも落とせなかった高天神城を落としたことで、勝頼の名声は大きく高まったという。
●大須賀康高
徳川家の家臣。高天神城が武田勝頼に落とされた後、奪還のため「横須賀衆」を率いて補給の妨害などのゲリラ戦を展開する。
●滝川一益
甲賀出身の織田家の猛将。鉄砲と水戦にも長ける。織田信忠の武田侵攻軍に加わっており、信長から信忠の補佐を頼まれていた。
●丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。勝家と並ぶ織田家の双璧。織田信長が率いる武田征伐の第二陣に加わっている。
○岡部元信
元今川家の重臣。遠江の堅城・高天神城の武田側の城主。支城が徳川軍に落とされ、さらに周辺に砦を作られて補給を絶たれたため武田勝頼に援軍を求めるが、武田軍は北条家と対峙していて動けず孤立無援。ついに城兵と共に徳川軍に突撃し、戦場に散った。
○横田尹松
高天神城にいた武田家の家臣。原虎胤の孫。高天神城の将兵が救援を求める一方で、勝頼に「援軍は無駄。この城は捨てるべき」と連絡した。
○跡部勝資
武田勝頼の側近。長篠の戦いで織田の鉄砲隊に突撃する勝頼の作戦を支持し、武田軍崩壊の一因となってしまった一人。高天神城の救援に反対していたという。
○今福友清
高天神城の支城で補給ルートにあった諏訪原城の守将。この城の落城が高天神城が孤立する要因となる。
○室賀満正
武田領と高天神城を結ぶ補給路にあった諏訪原城の守将の一人。徳川軍の攻勢を受け、ひと月ほど防戦するも陥落した。
○孕石元泰
今川家の人質だった頃の竹千代(家康)の鷹に庭を荒らされ、よく家康を叱っていた元今川家の家臣。高天神城の城将の一人になっていたが、家康の幼少時の怨みにより、落城してすぐに切腹させられた。
○江馬信盛
飛騨の有力者である江馬家の末裔で、武田家に人質に出された。江馬家を継ぐ予定だったが、兄の江馬輝盛が父を殺害して家を乗っ取ったため、武田の家臣となる。高天神城の城将の一人となり、戦死。
○栗田寛久
信濃の善光寺の別当(長官)。山県昌景の娘を妻とした。高天神城の城将の一人となって捕縛され、舞を舞った後に処断された。
□武田信廉
武田信玄の弟。信玄と容姿が似ていて影武者を務めたことで知られる。北条家の外交官・板部岡江雪斎が挨拶に来たとき、信玄として対応し、最後まで見破られなかった。
□武田信豊
武田勝頼の側近。長篠の戦いで武田勝頼の突撃案を支持し、大敗の要因となった一人。融和外交を進めていたためか、信長を刺激するのを恐れ、高天神城の救援に反対したという。ゲームでは救援に来るけど。
□小山田信茂
武田家の重臣。武田軍の主力であったが、古参の家臣を重用しない武田勝頼との仲は良くなかったようで、のちにその裏切りで武田家にトドメを刺すことになる。
□穴山信君
武田家の重臣。穴山梅雪とも。七福神の格好で町を練り歩いていたコスプレイヤー。武田勝頼の代に家臣団の筆頭となったが、勝頼は同世代の家臣を重用したため仲は良くなかった。のちに彼も武田家を裏切る。
□木曾義昌
信濃の有力者。武田信玄の娘を妻として武田家に優遇されていたが、のちに武田勝頼を裏切る。勝頼が民に重税や重労働を課したからと言われる。
□保科正俊
武田家の槍使い。槍弾正と呼ばれ、真田幸隆の攻め弾正、高坂昌信の逃げ弾正と合わせ、三弾正と呼ばれた。
□秋山光綱
武田家の家臣。武田勝頼の家老。最後まで勝頼に付き従った一人。
□長坂光堅
武田勝頼の側近。長篠の戦いの際、鉄砲隊に突っ込む勝頼の作戦を支持して大敗の要因となった一人。奸臣の筆頭とされている。
□大熊朝秀
元は上杉家の公銭方(財務担当)。上杉家の重臣だったが、上杉謙信の出家騒ぎのときに派閥対立で追放されてしまった。その後は武田家に仕え、最後まで武田勝頼に付き従った一人となる。
武器箱
・高天神城の奥、橋を渡った先
信長編・本編 6-2 甲州征伐
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。長篠の戦いのあとに武田家は弱体化。別所家や松永久秀、荒木村重の謀反を片付け、伊賀忍や本願寺との戦いも終えた信長は、いよいよ武田家にトドメを刺すべく東へと出陣する。
★徳川家康
徳川家の大名。のちの徳川幕府の将軍。武田家に落とされていた遠江の高天神城を奪還したことで、ようやく武田家との戦いに目処が付く。信長の武田征伐が開始され、家康も武田領に進軍する。
★本多忠勝
徳川四天王の一人にして無双の猛将。57度の合戦に出陣しているが、一度も傷を負わなかったという無敵キャラ。動きやすい軽装を好んだ。
★服部半蔵
徳川家に仕えた伊賀の上忍の末裔。この頃の詳細は不明だが、このあと家康が京都に趣いた際には同行している。すでに伊賀者を率いていたので、忍んで活動していたのかもしれない。
★弥助
信長に仕えた黒人侍。武田攻めに従軍し、その姿を見かけた三河の武士が「信長様のくろ男の武士、墨のような体、約180cmの長身で、名は弥介」と記している。
●織田信忠
織田信長の子。甲州征伐(武田攻め)の総大将を務め、信濃方面の武田軍の城を攻略していった。
●滝川一益
甲賀出身の織田家の猛将。武田攻めでは織田信忠の補佐を務めた。戦後に上野と信濃の領地を与えられて関東方面の大将となるが、信長が持っていた「珠光小茄子」という茶器を欲しがっていて、それはくれなかったのでガッカリしていた。
●河尻秀隆
織田家の精鋭部隊・黒母衣衆の筆頭。この戦いでは滝川一益と共に織田信忠の補佐を務める。武田家の滅亡後、甲斐の武田領を与えられるが、武田の旧臣を弾圧したため、本能寺の変の混乱で反乱を起こされて戦死した。
●池田恒興
信長の幼なじみの家臣。息子と共に甲州征伐に参加するが、なぜか信長から摂津の領土に帰るように言われて、息子だけ参戦した。そのまま摂津で待機していたため、本能寺の変では素早く秀吉軍に合流できた。
●森長可
織田家の猛将、鬼武蔵。森可成の子で、森蘭丸の兄。関所の門番を斬り捨てて押し通る乱暴者。甲州征伐では先鋒を務める。戦後、信濃に領土を得て上杉家と戦うが、本能寺の変で孤立して危機に陥る。
●団忠正
織田家の家臣で、血気盛んな若武者。甲州征伐で森長可と共に先鋒を務め、軍令を無視して敵に鉄砲を撃ち、信長に怒られている。
■鳥居元忠
真の三河武士と賞賛された家康の忠臣。甲州征伐に参加後、その地に赴任し、本能寺の変のあとに起こった徳川・北条・上杉による旧武田領争奪戦で活躍する。
■酒井忠次
徳川四天王の一人。甲州征伐は織田軍が主力だったため、徳川軍に大きな活躍はなかった。
○武田勝頼
武田信玄の子。武田家の跡継ぎ。しかし長篠の戦いで武田軍を衰退させ、高天神城の落城で寝返りが相次ぎ、ついに織田軍に追い詰められ、天目山で一族と共に自刃した。
○武田信廉
武田信玄の弟。信玄と容姿が似ており、影武者を務めたことで知られる。絵師。織田信忠の進攻を受け、一戦も交えずに本国に退却する。戦後に武田残党狩りに捕まって処刑された。
○仁科盛信
名字は違うが、武田信玄の息子で、武田勝頼の弟。信濃の重要拠点・高遠城を守り、寡兵で織田信忠の大軍を相手に奮戦し、玉砕。武田家の最後の意地を見せた。ゲームでは武田勝頼が最初にいた新府城で奮戦する。
○小山田信茂
武田家の重臣だが、追い詰められた武田勝頼を城に誘い、その上で寝返って勝頼を襲撃、武田家にトドメを刺した。戦後、織田家に降伏しようとしたが、織田信忠に不忠を咎められ、処刑された。
○小山田昌貞
武田家の家臣。小山田一族だが、小山田信茂の兄弟や親子ではない。仁科盛信と共に高遠城で奮戦のうえ戦死。ゲームでは寝返った小山田信茂と言い争いを始める。
○小山田昌成
武田家の家臣。小山田昌行とも。小山田昌貞の兄。弟と同じく仁科盛信と共に高遠城で奮戦し、戦死した。
○木曾義昌
信濃の有力者。武田信玄の娘を妻としたが、長篠の敗戦による弱体化、高天神城陥落による不安、重税と重労働を課す勝頼の政策を見て、織田家に寝返った。これが織田軍の甲州征伐のきっかけとなる。
○穴山信君
武田家の重臣。穴山梅雪。家臣団の筆頭だったが古参の家臣を軽んじる勝頼に不満があり、徳川家に寝返って、その後は甲斐進攻の道案内を務めた。
○保科正直
武田家の家臣。槍弾正と言われた保科正俊の子。仁科盛信や小山田昌貞らと共に高遠城で奮戦するが、落城前に脱出して行方を眩ます。本能寺の変のあと、北条軍と共に高遠城に進攻して奪還、その後は徳川家康に従った。
○諏訪頼豊
信濃の有力者、諏訪家の末裔。武田勝頼の母も諏訪家の姫なので、同族と言える。諏訪家は武田信玄に滅ぼされており、家臣は甲州征伐を機に諏訪家の再興を進言したが、武田のため最後まで戦い、処断された。
○一条信龍
武田信玄の異母弟。ハデ好きの伊達男だったらしい。甲斐を目指す徳川軍の前に立ち塞がり、奮戦の末に戦死したという。
○秋山源三郎
土屋昌次や土屋昌恒の弟。秋山信友の養子。武田勝頼に最後まで付き従い、殉死した一人。
□武田信勝
武田家の真の跡継ぎ。父は武田勝頼、母は織田信長の姪(妹の娘)。信玄と信長の血を引く人物で、信玄に後継者に指名されたが、まだ幼かったので成人までの代理として武田勝頼が指名された。武田家終焉の際、家督相続の儀式を行って自刃する。当時16才。
□武田信豊
武田勝頼の側近の一人。木曾義昌が寝返ると討伐に向かうが、返り討ちに遭う。勝頼と合流後、途中で別れて再起を図るが、裏切りに遭って自刃した。
□土屋昌恒
最後まで武田勝頼に付き従った一人。勝頼が天目山に登ると、狭い道で片手でツルをつかみ、もう片方の手で刀を振るって、押し寄せる織田兵を「片手千人斬り」と呼ばれた無双奥義で撃退した。最期は勝頼と共に自刃。
□小宮山友晴
武田家の家臣。使番十二人衆、いわゆる「百足隊」の一人。裏切りが続く中、武田勝頼が最期の地とした天目山に駆け付け、奮戦ののちに戦死した。
□金丸定光
土屋昌次の弟で、土屋昌恒の兄。武田勝頼に最後まで付き従い、天目山で戦死する。
□長坂光堅
武田勝頼の側近。武田家の軍記「甲陽軍鑑」では国に害をなした奸臣の筆頭にされている。甲州征伐で戦死、もしくは処刑された。
□大熊朝秀
元は上杉家の公銭方(財務担当)。上杉家の重臣だったが、上杉謙信の出家騒ぎのときに派閥争いで追放されてしまった。その後は武田家に仕え、最後まで武田勝頼に付き従い、殉死する。
□小原継忠
武田勝頼の側近。織田軍に敗れた後、勝頼と共に自刃した。自身の首を勝頼のものに見せかけようとして、見破られたという。
武器箱
・マップ右下のスペース(退却地点)の左上の砦(武田信豊が出る砦)の中
信長編・本編 6-3 本能寺の変
光秀編・本編 6-1 本能寺の変
★織田信長
おなじみ戦国の覇王。本作の主人公。神を称して絶頂のときであったが、明智光秀が突如反逆、是非もなく本能寺で敗死する。
★弥助
信長に仕えた黒人侍。信長と共に本能寺の変に遭遇し、本能寺を脱出して織田信忠に異変を伝え、明智光秀の軍勢と戦っていたが、信長が死んだことを伝えられて降伏した。明智光秀は「黒奴は人ではなく何も知らないので、罪は問わない」と言い、教会に預けられた。その後の消息は不明。
●村井貞勝
織田家の古参の家臣で奉行の筆頭。京都の政務を行う京都所司代に就任していた。織田信忠と共に明智軍と戦い、戦死。
●福富秀勝
織田家の重臣。長篠の戦いで鉄砲隊を指揮、有岡城の戦いで中川清秀の説得を行い、甲州征伐にも参加した。本能寺の変で織田信忠と共に戦い、戦死。
●毛利新介
桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った織田家の武士。黒母衣衆の一人となる。本能寺の変で織田信忠と共に戦い、戦死した。
●赤座永兼
元は朝倉家や斎藤家の家臣。信長に仕えて三好三人衆との戦いで功績を挙げる。本能寺の変では元朝倉家の山崎長徳と戦って深手を負わせるも、討ち取られた。
◆赤座直則
元は朝倉家や斎藤家の家臣。信長に仕えて三好三人衆との戦いで功績を挙げるも本能寺の変で織田信忠と共に戦死した。赤座永兼と同一人物かも。
●猪子兵助
元は斎藤道三の家臣。信長と会見した道三に「噂通りのたわけでしたな」と言うが、道三が「無念だが、わしの子はあの男の家来になるだろう」と返答した逸話がある。本能寺の変で織田信忠と共に戦死。
●織田長益
有楽斎。年の離れた信長の弟。本能寺の変では織田信忠と共にいたが、岐阜城に逃げ帰ったため、卑怯者、臆病者と言われた。
●前田玄以
元は比叡山の僧侶。織田信忠の命令で京都を脱出、岐阜城で信忠の子・三法師を保護し、尾張に逃れた。のちの豊臣五奉行の一人。
●菅谷長頼
織田家の家臣。信長の近衛兵を務めていた。本能寺の変で寺に駆け付けるも、すでに炎上。織田信忠と共に戦って戦死した。
■みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一。こういうオリジナルキャラやマイナーキャラに物語の重要な役割を任せるのは、大河ドラマでもよくある。有名武将を脚色しすぎるとクレームが来るからのようで、SNS時代になって歴史モノもやり辛くなったようだ。
■織田信忠
織田信長の子。本能寺の変を知り、逃げて捕まったら恥だと言って二条城で籠城するが、多勢に無勢で戦死する。これにより織田家は定番の後継者争いに突入してしまう。
◆織田勝長
織田信長の五男。東美濃の支配のため、その地の有力者である遠山家に養子に送られるが、遠山家が武田家に攻められ降伏、人質として武田家で育った。その頃の名は織田信房。織田家に返還されたあとは兄の織田信忠に従うが、本能寺の変で戦死。
◆織田長利
織田信長のだいぶ年下の弟。織田長益(有楽斎)は兄。津田長利とも。各地を転戦したが、本能寺の変で織田信忠と共に戦死した。
◆村井宗信
京都所司代であった織田家の重臣・村井貞勝の弟。兄と共に京都の政務を行っていたが、本能寺の変で織田信忠と共に戦死。
◆金森長則
織田家の家臣である金森長近の長男。森蘭丸と同世代で、織田信忠の側仕えとなるが、本能寺の変で戦死。
◆村井貞成
京都所司代であった村井貞勝の子。信長の馬廻り(近衛兵)となったのち、父と共に京都で政務を行うが、本能寺の変で戦死。
◆高橋虎松
織田信長の小姓の一人。信長と共に本能寺で戦死した。
◆矢代勝介
関東から来た馬術家で、馬術天下一と賞されたという。織田家の古参の家臣ではないため、光秀の兵に逃げろと言われるも、断って戦い、本能寺で討ち死にした。
◆津田元嘉
津田家は織田家の親族で、信長の義弟。主に代官職を務め、信長の命令で武田家の高僧・快川紹喜を焼き殺している。紹喜はこの時「心頭滅却すれば火もまた涼し」という有名なフレーズを語った。本能寺の変で織田信忠と共に討ち死にする。
◆団忠正
織田家の家臣。森長可と共に甲州征伐(武田攻め)で活躍、東美濃の重要拠点・岩村城の城主となったが、本能寺の変の際には織田信忠と共に京都にいて、光秀の軍勢と戦って討ち死にした。
◆湯浅甚介
織田信長の側仕えの家臣の一人。桶狭間や長篠などで戦った歴戦の武士。騒ぎを聞いて本能寺に駆け付けるも、討ち死にした。
◆小倉松寿
織田信長の小姓の一人。当初は本能寺にいなかったが、騒ぎを聞いて駆け付け、信長と共に討ち死にする。
◆飯尾敏成
織田信長の馬廻り(近衛兵)だったと思われる家臣。本能寺の変で織田信忠と共に戦死した。
◆坂井越中守
姉川の戦いで織田軍の先陣を務めた坂井政尚の子。織田信忠の側近として転戦するが、本能寺の変の際、共に二条城で討ち死に。
◆斎藤利治
斎藤道三の子だが、斎藤義龍の反乱で殺されていないため、その時は幼かったと思われる。濃姫の弟。道三の「美濃一国譲り状」を持って信長の元に降った。以後は織田家の遊軍として、信長に「たまには実家に帰って休め」と命令されるほど活躍するが、本能寺の変で織田信忠と共に戦死。逃げ延びるよう信忠を説得するが聞き入れられず、明智軍を3度撃退するほど奮戦したという。
◆野々村正成
通称は三十郎。元は斎藤家の家臣。本能寺の変で織田信忠が籠もる二条城に駆け込み、防戦するが討死。間に合わずに切腹したとも言われる。
☆明智光秀
本作のもう一人の主人公。本能寺の変を起こした張本人。史実の彼がなぜ信長に反逆したのかについては諸説ありまくる。興味のある方はこちらを。
☆斎藤利三
明智光秀の腹心。苦悩する光秀の理解者として描かれることが多い。光秀と共に本能寺の変の計画を立てた。親族が四国の大名である長宗我部元親に嫁いでおり、本能寺の直前に手紙のやり取りをしているため、本能寺・長宗我部黒幕説でよく取り立たされる。
○藤田伝吾
明智光秀の側近の一人。光秀は斎藤利三、明智秀満、そして彼と本能寺の変の計画を立てたという。
○明智秀満
明智光秀の側近の一人。うさぎの耳飾りが付いた兜を着けていた。本能寺の変では先鋒となって攻め込み、その後は安土城の占拠に向かう。カプコンのゲーム「鬼武者」の主人公、明智左馬介。
○明智光忠
明智光秀の家臣。本能寺の変の計画は彼も共に立てたという。本能寺の変のあと、織田信忠が籠もる二条城に攻め寄せるが、銃撃を受けて負傷した。
○柴田勝定
柴田勝家の家臣だったが、勝家を怒らせて出奔、光秀の配下になったという。光秀と共に織田信忠が籠もる二条城を攻めている。
○松田政近
明智光秀の家臣。詳しい伝記は不明だが、本能寺の変の後、光秀と秀吉が争った山崎の戦いで部隊を指揮している。
○木村吉清
明智光秀にも従ったが、秀吉の配下として知られる。のちに大した実績も無いのに30万石の大名となり、伊達政宗の正面に配置されるが、案の定トラブルに巻き込まれて失脚した。
○安田国継
明智光秀の配下の武士「明智三羽烏」の一人。本能寺の変で信長を槍で刺そうとして、森蘭丸に反撃されるも、彼を討ち取ったと言われている。
○伊勢貞興
足利将軍家の家臣。足利義昭が京都から追放されると明智光秀に従った。本能寺の変では織田信忠が籠もる二条城を攻め、自ら槍を振るって落城させる。
○妻木広忠
娘が明智光秀の妻。つまり光秀の叔父。美濃の国主であった土岐家の一族で、明智家も土岐一族だった。本能寺の前に行われた連歌会で、光秀は「時は今 雨が下しる 五月かな」と唄い、「土岐は今 天下治る 五月かな」という意味だと噂される。ゲームでは光秀編の最終章の名前が五月雨。
○並河易家
丹波の有力者。光秀の丹波進攻の際に家臣となり、光秀が赤井直正に敗れた際、逃走の道案内を務めた。光秀と秀吉が戦った山崎の戦いにおいて敵の側面に回ろうとする。
○明智光近
明智光秀のいとこと言われる。本能寺の変では織田信忠が守る二条城を攻めた。
○箕浦大内蔵
明智光秀の配下の武士「明智三羽烏」の一人。本能寺の変の際、寺に突入して奮戦する。
○古川九兵衛
明智光秀の配下の武士「明智三羽烏」の一人。この三人が本能寺の変でもっとも活躍したという。
○津田重久
足利将軍家の家臣。足利義昭に仕え、義昭が追放されると光秀の配下となる。本能寺の変で明智軍の先鋒を務めた一人。
○斎藤利康
斎藤利三の子。母は稲葉一鉄の娘。妹に三代将軍・徳川家光の乳母となる春日局がいる。本能寺の変で寺に攻め込んだ一人。
○斎藤利宗
斎藤利三の子。斎藤利康の弟。父と共に本能寺の変と、そのあとの山崎の戦いに参戦する。
○進士貞連
明智家の古参の家臣。光秀と共に各地を転戦したという。
○御牧兼顕
元は足利将軍家の家臣。御牧景重と統一人物か? 秀吉と光秀が戦った山崎の合戦で、光秀に退却を勧め、身代わりとなる。
○諏訪盛直
元は足利将軍家の家臣。足利義昭が追放されると光秀に仕え、山崎の合戦では伊勢貞興、御牧景重と共に幕府衆を率いて戦った。
□溝尾茂朝
元は斎藤道三の家臣。道三の敗死後に明智光秀に従い、共に転戦する。光秀が山崎の合戦で敗れると、共に落ち延びようとした。
□山崎長徳
元は朝倉家の家臣で、朝倉軍の主力であった山崎一族の一人。槍術に長け、明智光秀の配下として転戦した。
□津田信春
将軍家や細川家、三好家などに仕え、その後に光秀の配下となる。津田重久と同一人物か。武勇に優れ、本能寺の変で明智軍の先鋒となって戦った一人。
△百地三太夫
伊賀の上忍。実質的な伊賀忍軍の頭領と言われる。この頃、伊賀忍は織田家の進攻によって壊滅しているが……
武器箱
・本能寺本堂(マップ右上)を出て、左にある詰所の近く
・マップ一番下の詰所の前
信長編・外伝 6-S1 備中高松城の戦い
★羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。織田家の中国方面軍の大将となり、毛利家の備中高松城を水攻めしていたが、毛利の大軍が迫ってくる。信長に救援を求め、明智光秀が来てくれることになったが、その光秀が本能寺の変を起こして信長が敗死、秀吉は窮地に陥る。
★黒田官兵衛
秀吉の軍師として有名。黒田如水。信長が死んで狼狽する秀吉に「これぞ天下を取る好機!」と言い、落ち着かせたという。のちに毛利家の小早川隆景と仲良しになる。
★中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。このときは秀吉の本隊にいたと思われる。
●羽柴秀長
秀吉の弟。通称は小一郎。秀吉に誘われて織田家に仕官、軍事はもちろん、経理や外交でも力を発揮し、のちに豊臣家の家臣たちの調停役を務め、豊臣家の宰相と称された。
●浅野長政
織田家の家臣。秀吉の妻(ねね)は浅野家の養女で、その頃からの縁で秀吉の配下となる。行政手腕に優れ、のちに豊臣五奉行となるが、石田三成とは対立することが多かった。
●蜂須賀小六
元は尾張の浪人集団の頭。交渉や工作などで秀吉の片腕として活躍した。ゲームではその役割を百地三太夫に取られている。
●山内一豊
織田家の家臣。妻が嫁入りの支度金を使って立派な馬を買い、夫を馬揃え(パレード)に参加させた話がすごく有名。
○清水宗治
毛利家の家臣。備中高松城の城主。水攻めを受けて湖上に孤立するが、それでも秀吉の降伏勧告に応じず、最期は城兵の命と引き替えに切腹した。ゲームでは毛利の本隊を撃破すれば勝利なので、普通に生き残ることも。
○清水宗知
毛利家の家臣。清水宗治の兄。開城時、城兵の命と引き替えに弟と共に切腹した。
○中島元行
毛利家の家臣。備中高松城の副将。城主の清水宗治が切腹すると、その長男の後見役となる。
○国司元武
毛利家の家臣。槍使いとして知られる国司元相の子。毛利輝元の傅役(お守役、教育係)を務める。
○小田孫兵衛
毛利家の家臣。小早川隆景の配下として、備中高松城に援軍に向かった一人。
○林宗重
毛利家の家臣。備中高松城の守将の一人。清水宗治の切腹で開城したあとは小早川隆景に従った。
□末近信賀
毛利家の家臣。小早川隆景からの援軍として備中高松城に入城する。開城時、清水宗治と共に切腹した。
□安国寺恵瓊
毛利家の外交僧。毛利軍と秀吉軍の停戦を取りまとめ、秀吉を追撃するべきという意見が出ると、小早川隆景と共に反対した。本能寺の変の8年ほど前に「信長の時代は5年か3年は続くが、いずれ転がり落ちる。藤吉郎はなかなかの者だ」という言葉を残していたことで知られる。でもゲームでは何のイベントにも絡まない、ただのモブ。
□難波宗忠
毛利家の家臣。備中高松城の城将の一人で清水宗治の弟。開城時、兄と共に切腹した。
□児玉就方
毛利水軍の大将の一人。武勇に優れ、厳島の戦いや大友家との戦いで活躍。毛利家と豊臣家が講和した後も、秀吉配下の水軍の将として活動した。
□日幡景親
毛利家の家臣。備中の城・日幡城の二の丸の守将。城主が秀吉に寝返ったので本丸に入って討ち取ろうとし、反撃で戦死した。
□小早川隆景
毛利家を支えた「両川」の一人にして、毛利家の中枢である「御四人」の一人。毛利元就の三男。秀吉が本能寺の変を隠したままで毛利軍と停戦したため、秀吉を追撃すべきだという意見が出たとき、それを押し止め、毛利家を秀吉側の勢力とする。以後は秀吉の天下取りに協力し、豊臣五大老となった。
□吉川元春
毛利家を支えた「両川」の一人にして、毛利家の中枢である「御四人」の一人。毛利元就の次男。秀吉が本能寺の変を隠したままで毛利軍と停戦したため、秀吉を追撃すべきだと主張したが、小早川隆景と安国寺恵瓊に反対されてしまった。間もなく隠居したが、秀吉を嫌ったためと言われている。
□渡辺長
毛利家の家臣で、尼子家との戦いなどで活躍した。のちに秀吉から豊臣の姓と、高位の官位を与えられている。
□桂景信
毛利家の家臣。備中の城・庭瀬城の守将の一人。彼の守っていた城は敵側に突出していたため撤退を命じられたが、それを拒否して秀吉軍と戦いを繰り広げた。
□桂広繁
毛利家の家臣。備中の城・加茂城の本丸の守将。周辺の城が陥落や降伏をしても、秀吉の勧誘を拒絶、停戦まで徹底抗戦した。
□生石治家
毛利家の家臣。備中の城・加茂城の西の丸の守将。秀吉の勧誘に応じて寝返り、本丸と東の丸に降伏勧告するが銃弾で返され、城を二分しての戦いを繰り広げる。
□上山元忠
毛利家の家臣。備中の城・加茂城の東の丸の守将。西の丸の生石治家が秀吉に寝返って、城内での戦いになるが、本丸の桂広繁と徹底抗戦し、毛利輝元から感謝の手紙を送られた。
□乃美宗勝
毛利家の勇将。小早川隆景の配下。秀吉が村上水軍に調略をかけ始めたので説得に向かい、秀吉側に寝返った来島の村上水軍を、能島と因島の村上水軍と共に破る。しかしこの争いがあったため、周辺海域の制海権が揺らいだ。
□木原兵部
毛利家の家臣。吉川元春の配下として、備中高松城に援軍に向かった一人。
□口羽春良
毛利家の家臣。「御四人」だった口羽通良の次男。のちに秀吉に気に入られて豊臣姓や官位、城の返還などを受けた。
□平賀元相
毛利家の家臣。安芸(広島)に大きな所領を持った重臣の一人。彼も秀吉から豊臣姓や官位などを与えられている。
武器箱
・水攻め完成後、マップ下部の中央に現れる砦の中。
信長編・外伝 6-S2 伊賀越え
★徳川家康
のちの徳川幕府の初代将軍。信長に誘われて京都と大坂を観光中に本能寺の変が起こり、光秀に見つかったら即捕まる危機に陥る。伊賀の山中をこっそり抜けて三河まで帰るステルスミッションを決行し、その逃避行はのちに「神君伊賀越え」と呼ばれた。
★服部半蔵
伊賀の上忍三家の末裔。一足先に伊賀に向かい、伊賀と甲賀の者に救援を要請する。甲賀の有力者である美濃部家や多羅尾家がこれに応じ、伊賀と甲賀の忍者300余人が家康の守りに付いた。のちに忍術書「忍秘伝」の原本を記したとされる。
★本多忠勝
家康のボディーガードな猛将。本能寺の変を知った家康が「モウダメダ。切腹しよう」と言い出した時、一喝して改心させた。伊賀越え中も家康を守ったり、野武士を脅したり、大活躍だったという。
●本多信俊
伊賀越えで家康のお供をしていた家臣。このあと、甲斐の国主となっていた織田家の河尻秀隆に使者として趣き「武田の旧臣が反乱を起こすから逃げた方がいい」と告げるが「家康ごときに命令される覚えはない!」と言われて斬り捨てられる。そして怒った家臣が武田旧臣を煽動し、その反乱で河尻秀隆は戦死する。
●大久保忠佐
その活躍で塗り薬や飛車角に例えられた徳川家の勇将兄弟の弟。伊賀越えで家康のお供をしていた。兄は留守番だった模様。
●菅沼定利
伊賀越えで家康のお供をしていた、三家三方衆の一人。三河東の山岳部を支配した三家三方衆は各大名家の調略を受けてコロコロと所属が変わっていたが、彼はずっと徳川側だった。
●牧野康成
伊賀越えで家康のお供をしていた一人。三河の有力者。似た境遇の同姓同名の別人がいて紛らわしい。
●穴山信君
武田家の筆頭家老だったが、織田家の甲州征伐で徳川軍に寝返った。家康と一緒に観光していたが本能寺の変に遭遇、家康に同行するのは危険と判断し、別行動で落ち延びようとして失敗、渡し船を待っている時に落ち武者狩りに遭い、落命した。
■大久保忠隣
伊賀越えで家康のお供をしていた一人。大久保忠世の長男。のちに二代将軍・徳川秀忠の側近となるが、本多正純との政争に敗れて失脚する。
■榊原康政
伊賀越えで家康のお供をしていた徳川四天王の一人。家康のお供は徳川家のトップクラスの重臣ばかりであり、もし光秀軍に見つかったり途中で全滅していたら、歴史は様変わりしていただろう。
■渡辺守綱
槍の半蔵の異名を持つ徳川家の槍使い。伊賀越えの家康の同行者の一人。
■阿部正勝
伊賀越えで家康のお供をしていた一人。家康が人質だった頃から苦楽を共にしたという。ちなみに家康御一行の人数は34人。
■酒井忠次
伊賀越えで家康のお供をしていた徳川四天王の一人。先行して渡し船を手配したり、道中の有力者に協力を仰ぐなどして活躍した。
■石川康通
伊賀越えで家康のお供をしていた一人。石川数正のいとこ。脱出までに家康一行は山賊や落ち武者狩りなど雑兵200人を返り討ちにしたという。
■石川数正
伊賀越えで家康のお供をしていた一人で、家康の側近。実際の伊賀越えはルートとしてはほぼ甲賀越えだが、伊賀に入ったところで襲撃に遭い、そこが難所だった模様。
○音羽半六
伊賀十二人衆の一人。音羽半六宗重。伊賀の北部、音羽の領主。
○山田八右衛門
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。瀬登八右衛門とも。途中で別人と入れ変わる双忍の術の逸話が紹介されている。
○城戸弥左衛門
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。音羽ノ城戸。鉄砲と隠形術に優れ、信長を狙撃したことで有名。ゲームでも大量の鉄砲兵を出してくるので厄介。
○上野左
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。上野ノ左は通称で、本名は高羽左兵衛。変装術に優れたという。
○新堂小太郎
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。本姓は金藤で、新堂金太郎とも。病人に変装して潜入したり、敵に見つかった時に井戸に石を投げ込み、井戸に落ちたと思わせて逃げたという話がある。
○神部小南
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。南伊賀の忍術の達人で、その技術は広く知れ渡っていたというが、詳細は伝わっていない。
□百地三太夫
伊賀忍軍の頭領と言われる人物。ある意味、本作の主役の一人。万川集海(萬川集海)に登場する伊賀の忍術十一名人の一人、喰代ノ百地丹波と同一人物と言われる。
□小泉左京
伊賀十二人衆。伊賀の依那具の領主で、伊賀の代表の一人。
□富岡忠兵衛
伊賀十二人衆。 伊賀の西部、島ヶ原の領主。第二次・天正伊賀の乱では織田軍に降伏し、伊賀側が守る比自山城を攻めたという。
□野村孫太夫
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。一人二役で話し声を立て、仲間がいると思わせた話がある。
□伊賀崎道順
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の筆頭。楯岡ノ道順。伊賀忍術四十九流の祖。潜入して城を落とした逸話が伝えられている。のちに徳川家康に仕えた。
□甲山太郎次郎
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。高山ノ太郎四郎とも言われ、伊賀の高山出身とされる。
□甲山太郎左衛門
忍術書「万川集海」に登場する伊賀の忍術十一名人の一人。甲賀にも高山家があり、甲賀太郎四郎・太郎左衛門という名が見られるため、甲賀忍者とも言われる。
□家城右近
伊賀十二人衆の一人である家喜下総の一族か? 伊賀十二人衆の会議で織田家に徹底抗戦を主張したという。
□布生大善
伊賀十二人衆。伊賀の南部、布生の領主で、伊賀の代表の一人。
□藤林正保
百地・服部と並ぶ、伊賀の上忍三家の一人。百地三太夫と同一人物と言われていたが、最近は伊賀北部・湯船郷の領主であった説が有力。今川家にいた記録もある。のちに子孫が「万川集海」や「正忍記」を記し、忍者の実態を後世に伝えた。
武器箱
・マップ中央のやや左上、十字路の上
光秀編・本編/外伝 6-2/6-S1 山崎の戦い
★明智光秀
本作の光秀編の主人公。織田信長を「本能寺の変」で打倒するも、味方してくれる者は少なく、信長の弔い合戦を掲げる羽柴秀吉が中国地方から速攻で戻ってきて、山崎の地で対峙することになる。
★みつき
ゲームオリジナルキャラのくノ一。最後は光秀の側で登場する。
●斎藤利三
明智光秀の側近。本作を含め、苦悩する光秀を支える理解者という役どころが多い。彼が本能寺の変の首謀者だとする説もある。山崎の合戦では先鋒として、秀吉軍の中川清秀・高山右近と戦った。
●明智秀満
明智光秀の娘婿。本能寺の変の後は安土城を制圧し、その守りに就いていた。そのため史実では山崎の合戦に参加していない。合戦に間に合わないことを知った秀満は光秀の居城・坂本城に戻り、追いかけてきた堀秀政に宝物を渡すと、一族と共に自刃した。
●柴田勝定
柴田勝家の家臣だったが、勝家を怒らせて出奔、光秀の配下になったという。山崎の合戦では光秀軍の中央に布陣した。
●並河易家
丹波の有力者。明智光秀の丹波進攻の際に家臣となる。山崎の戦いでは右翼を担当、敵の側面を突こうとするが、その動きを察した羽柴秀長が天王山から下りてきて阻まれる。
●伊勢貞興
足利将軍家の家臣。足利義昭が京都から追放されると明智光秀に従う。山崎の戦いでは秀吉の先陣である中川清秀・高山右近と戦い善戦するが、側面を突かれて瓦解、戦死した。
●津田信春
将軍家や三好家などに仕え、光秀の配下となる。本能寺の変で明智軍の先鋒となり、山崎の戦いでも幕府衆を率いて左翼に布陣して戦うが、池田恒興と加藤光泰の側面攻撃を受けて瓦解した。戦後、すぐに秀吉に取り立てられている。
●藤田伝吾
明智家の古参の家臣で、明智光秀に従い続けた武士。山崎の戦いは右翼で戦い、6つの傷を受けて奮戦するが敗走、光秀の死を聞いて自刃した。
●阿閉貞征
元は浅井家の重臣。秀吉と近江の領地を巡って対立しており、そのため本能寺の変では光秀に味方して、秀吉の居城であった近江の長浜城を攻撃する。そのまま山崎の戦いにも参加するが、秀吉に敗れ、処刑された。
●松田政近
明智光秀の家臣だが伝記は不明。山崎の戦いで指揮官として名が出てくる。重要地点である天王山を制圧しようとしたが、秀吉軍の堀尾吉晴に先を越され、これを破って奪取しようとするも、堀秀政に鉄砲を撃たれて後退した。その後、並河易家と共に敵の側面を突こうとするが、それを防ごうと天王山から下りてきた羽柴秀長と激突し、討ち死にする。
●溝尾茂朝
元は斎藤道三の家臣。光秀と共に転戦、山崎の戦いで敗れたあとも付き従っていたが、光秀が落ち武者狩りの竹槍に刺されて致命傷を負ったため、その介錯をした。首は持って帰れないと判断し、藪の中に埋めて弔ったという。その後、光秀の城に戻り自害した。このような経緯のため、光秀の首は見つかっていない。この話も確証がないため、光秀生存説もある。天海とか。
◆諏訪盛直
元は足利将軍家の家臣。足利義昭が追放されると明智光秀に仕え、山崎の合戦では伊勢貞興、御牧景重と共に幕府衆を率いて戦ったが、討死した。
◆御牧兼顕
元は足利将軍家の家臣。御牧景重と統一人物か? 秀吉と光秀が戦った山崎の合戦で中央に布陣、敗戦が決定的になると光秀に退却を勧め、自身は光秀の身代わりとなって敵に突撃、戦場に散った。
◆明智光近
光秀の側近だった明智光忠の子。父が本能寺の変で負傷したため、代わりに山崎の合戦に出陣するも、秀吉配下の片桐且元に討たれたという。
◆可児才蔵
宝蔵院流槍術の使い手。笹の才蔵。この頃は光秀に仕えていたため、山崎の合戦も光秀側で参加している。戦国を生き残り、関ヶ原で東軍No.1の討ち取りを挙げるが、斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、織田信孝、豊臣秀次、佐々成政、福島正則という、仕えた主人がことごとく失脚する呪いのアイテム。
◆津田重久
足利将軍家の家臣。津田信春と同一人物の説もあるが、このゲームでは別になっている。本能寺の変では明智軍の先鋒となり、山崎の戦いでは幕府衆の一人として戦うが敗北。しかしすぐに秀吉に取り立てられた。
◆斎藤利康
斎藤利三の長男。山崎の戦いでは父の部隊にいたようで、高山右近や中川清秀の軍勢と戦うも、討ち死にした。
◆進士貞連
明智家の古参の家臣。光秀と共に各地を転戦したという。山崎の戦いで敗れた後は細川藤孝・細川忠興に仕えた。
◆明智光忠
明智光秀の家臣。本能寺の変で織田信忠が籠もる二条城に攻めた際に銃撃を受けて負傷したため、実際には山崎の戦いには不参戦。光秀の敗死を聞き、光秀の居城・坂本城で自刃した。
◆斎藤利宗
斎藤利三の三男。山崎の戦いで父や兄と共に高山右近・中川清秀の軍勢と戦うも敗れた。戦後は秀吉に許され、加藤清正に仕える。江戸時代に入ると妹である春日局の口利きで、幕府の旗本に出世した。
◆小川祐忠
元は六角家の家臣だったが、浅井家に寝返って、織田家に寝返って、明智光秀の家臣となる。山崎の戦いで敗れるも秀吉に許されて柴田勝家に仕えるが、秀吉に寝返って、関ヶ原では西軍になるが東軍に寝返った。弱きをくじき、強きを助ける奴と言われて、最後はクビになる。
◆阿閉貞大
浅井家の重臣で織田家に降った阿閉貞征の子。阿閉家は秀吉と近江の領土を巡る対立があったため、本能寺の変が起こると父と共に明智光秀に付いて、秀吉の長浜城を攻めた。山崎の戦いにも参加するが敗れ、処刑される。
◆妻木広忠
娘が明智光秀の妻。つまり光秀の叔父。光秀の家臣だが、おそらく山崎の戦いには参加していない。光秀の死と居城・坂本城の陥落を知り、一族の墓を建てた後、その前で自害した。
◆安田国継
明智光秀の配下の武士「明智三羽烏」の一人。山崎の戦いで敗れた後は天野源右衛門と改名、その後も様々な武将の元で戦った。
◆木村吉清
光秀にも従ったが、秀吉の配下として知られる。東北の大名になるが悪政の末に一揆が起き、蒲生氏郷と伊達政宗の介入を招いた。不相応な出世だったため、秀吉が一揆が起きるのを承知で送り込んだという謀略説が囁かれたりする。
☆羽柴秀吉
のちの天下人、豊臣秀吉。本能寺の変を知り、毛利家と手早く講和して「中国大返し」と呼ばれる猛ダッシュで姫路まで帰還。信長の仇討ちを呼びかけながら京都へと向かい、合流した軍勢と共に「天王山の戦い」とも呼ばれる光秀との決戦に挑む。
☆黒田官兵衛
秀吉の軍師の黒い方。黒田如水。信長が死んで狼狽する秀吉に「これぞ天下を取る好機」と言って天下人へと導くが、この発言により秀吉に警戒されたとも言う。山崎の戦いでは天王山に布陣。
☆中村一氏
ゲームでは甲賀忍者になっている秀吉の配下。山崎の合戦では絶好の布陣ポイントである天王山を、鉄砲隊を率いて光秀軍に先駆けて制圧、さらに池田恒興が敵の側面を突いたあと、これに続いて攻め込んだ。
○織田信孝
織田信長の三男。当時は長宗我部家の討伐のため四国遠征の準備をしていたが、本能寺の変を聞いて混乱したのか、織田信行の子である津田信澄を謀反の容疑で襲撃、殺害してしまう。その後は秀吉軍と合流、山崎の戦いに挑んだ。この合戦の名目上の総大将。
○堀秀政
秀吉から「きゅうきゅう」と呼ばれていた織田家の家臣。合戦、外交、奉行まで何でもこなした人物。山崎の戦いでも天王山の制圧に貢献し、さらに序盤で苦戦していた中川清秀・高山右近を救援した。
○羽柴秀長
秀吉の弟。のちの豊臣家の宰相。山崎の戦いでは重要地点である天王山を光秀に先駆けて抑え、ここに布陣し、光秀軍の並河易家が側面に回ろうとする動きを見せると、これを阻止すべく山を下って防いだ。
○中川清秀
荒木村重と共に摂津を転戦した武将。織田家に降った後、秀吉と義兄弟になる。山崎の戦いでは秀吉軍の先陣を務めた。本能寺の変の前、秀吉、中川清秀、堺の有力者・津田宗及の三者が密会しており、たまに本能寺の変・秀吉陰謀説で取り上げられる。
○堀尾吉晴
秀吉の家臣。堀尾茂助の名が有名。美濃の稲葉山城の抜け道を秀吉に教える話で知られるが、このゲームの稲葉山城の戦いには登場しない。普段は仏の茂助、戦場では鬼の茂助と呼ばれたジキルとハイド。山崎の戦いでは天王山にいち早く到着する。
○丹羽長秀
米五郎左の異名を持つ織田家の重臣。四国遠征の副将として織田信孝と準備をしていたが、本能寺の変を知ると秀吉軍と合流、山崎の戦いでは織田信孝と共に、池田恒興の側面攻撃で苦戦し始めた敵にダメ押しの側面攻撃を加え、勝利を決定付けた。
○高山右近
キリシタン武将、ジュスト右近。本能寺の変の後、彼を説得するために明智光秀は宣教師に協力要請の手紙を書かせるが、「決して光秀に協力してはならない」というポルトガル語の追伸が付いていた。秀吉軍に合流し、山崎の戦いでは先陣を務める。
○小西行長
商人の子だったが宇喜多直家に見出されて家臣となり、その後に秀吉の臣下となる。のちに朝鮮出兵で交渉役になったり、石田三成と関ヶ原の戦いの計画を立てたりするが、この頃はまだ若武者。
○蜂屋頼隆
織田家の黒母衣衆を経て重臣となった武将。京都で活動していたが、織田信孝・丹羽長秀と共に大坂で四国遠征の準備をしていたため、本能寺の変に巻き込まれなかった。秀吉軍に合流すると、織田信孝隊の一員として山崎の合戦を戦う。
○浅野長政
織田家の家臣。秀吉の妻(ねね)は浅野家の養女で、その縁で秀吉の配下となり、主に行政で手腕を発揮、のちに豊臣五奉行となるが、この頃は目立っていない。出世するのはこの戦いのあとから。
○神子田正治
秀吉配下の武士の一人。武勇と軍略に優れたが、武功を自慢するので嫌われたとも。山崎の合戦では天王山に布陣する。のちに秀吉とケンカして追放された。
○生駒親正
秀吉の配下として各地を転戦した武勇の士。山崎の合戦では秀吉の本隊の一員だったと思われる。のちに中村一氏、堀尾吉晴と共に豊臣三中老を務めたとされる。
○池田恒興
信長の幼なじみな織田家の家臣。本能寺の変のあと、秀吉にいち早く合流。山崎の戦いでは光秀軍の左翼である津田信春隊の側面を突いて崩し、戦局を好転させた。戦後の織田家の会議(清洲会議)で織田家四家老の一人となる。
○木村重茲
秀吉の配下の一人。早くから秀吉に仕え、各地を転戦したというが、のちに「秀次事件」に巻き込まれ処刑された。山崎の合戦では正面の部隊を率いた。
□羽柴秀次
のちに謀反の疑いで切腹を命じられる秀吉の養子。一度秀吉が引き取った後、織田家に降っていた三好家の重鎮・三好康長の養子となった。三好と秀吉の接点にいた人物で、光秀は長宗我部と交流があり、そして三好と長宗我部は敵対していた。
□加藤嘉明
秀吉の配下の武将。馬の行商をしていたときに秀吉の目にとまる。のちに小早川隆景の配下となって水軍の扱いを学び、淡路水軍を率いて活躍するが、この頃はまだ若武者。
□蜂須賀小六
元は尾張の浪人集団の頭。秀吉の片腕として活躍したが、ゲームではその役割を百地三太夫に取られており、ただのモブ。
□加藤光泰
元は斎藤家の家臣。秀吉の誘われて配下となった。山崎の戦いでは池田恒興と共に明智軍の側面を突き、戦局を好転させる。
□前野長康
墨俣一夜城の建設に協力したという秀吉の配下。織田家の記録「武功夜話」を残したとされる。山崎の戦いでは天王山に布陣。
□仙石秀久
逃げっぷりの良さで信長に気に入られた織田家の家臣。秀吉の配下となって各地を転戦し、山崎の戦いでも秀吉の本隊にいた模様。のちに九州で島津軍にフルボッコにされて四国まで逃げ帰る大失態を演じるが、北条攻めで奮戦して挽回する。
□田中吉政
秀吉と同じく農民出身。元は浅井家の宮部継潤の配下で、継潤と一緒に秀吉に降る。山崎の戦いでは秀吉の本隊にいた模様。のちに石田三成の友人となる。
□増田長盛
秀吉の配下の武将。のちの豊臣五奉行の一人。石田三成と共に豊臣を支えた官僚だが、戦場での武勲も多い。
□羽柴秀勝
織田信長の四男で秀吉が養子に貰ったが、本能寺の変の3年後に若くして病死した。その後に養子にした秀吉の姉の子や、秀吉の最初の子も「秀勝」だったが、みんな早世している。
□山内一豊
織田家の家臣。妻が夫のために嫁入りの支度金で立派な馬を買った話が有名。この戦いでは秀吉の本隊にいた模様。
□伊東祐兵
九州の日向(宮崎)の大名。父の代に伊東家は島津家との戦いに敗れて滅亡し、頼った大友家も島津軍に大敗、流れ流れて親子とも秀吉の配下となる。しかし山崎の戦いで活躍し、所領と「倶利伽羅竜の槍」を与えられ、九州征伐でも道案内を務めて貢献、九州征伐の完了後に旧領を取り戻してお家再興し、大名に復帰した。
武器箱
・天王山の左から三本目の道の途中にある砦