中東の歴史

中東諸国の歴史

このページはアメリカ とイラクによる「湾岸戦争」を経て、日本も「イラク」に派兵したことを受けて、その歴史を多くの人に知って貰いたいと思い作成したものです。

「戦国時代」とは、ぜんぜん関係ありませんが・・・
「現代史」という名の歴史を知る上で、参考にして頂ければ幸いです。


中東諸国」。
日本から見ると、イスラームで石油で戦争ばっかしてる国々、というイメージだと思います。
しかし、なぜここでこんなに戦争が起こっているのでしょうか?

それは「石油」という利権があるからと、「宗教」による対立、そして欧米の国々に植民地にされていた過去があるからです。
特に「石油」があったのが大きなポイントで、その巨大な利権を得るために、中東以外の諸外国も積極的にこの地域に関わり、その戦乱は地域紛争に収まらないほどにドロドロになってしまいます。

しかも「宗教」の対立のため、利益や損失を考えて和平する、と言うことも難しくなってしまいます。
そこへ来て、「イスラエル」という全く違う宗教・民族の国がポンと出来て、ますますゴタゴタになります。

そんな中東諸国は、これまでどんな歴史を辿ってきたのでしょうか・・・?

オスマントルコ帝国元々「中東」の一帯には「オスマン・トルコ帝国」というデカい帝国がありました。
言うなれば、この帝国が中東地域を「天下統一」していた訳で、一時は東ヨーロッパから北アフリカまでその支配地域を延ばしていました。

また、当時はアラビア半島は砂漠しかない過疎地だったので、アラビア半島を巡って争いが起こったりする事もあまりなかったようです。
この帝国が特に勢力を拡大し始めたのが、だいたい1450年ごろでした。

一方、同じ頃、ヨーロッパでは・・・ 「大航海時代」が訪れていました。
大航海時代が訪れたのには「オスマン・トルコ帝国」も関係していて、この帝国が中東地域を完全に制圧してしまったため、その向こう側との陸路を使った貿易が出来なくなってしまったからです。
そこで「陸がダメなら海だ!」というワケですね。

1500年前後、日本がちょうど戦国時代だった頃は、「大航海時代」まっさかりの頃でした。
ポルトガルやスペイン(イスパニア)、イギリス、オランダ(ネーデルランド)などの国々が、まだ見ぬ世界を探求するために船を出し、貿易船と、それを襲う海賊と、海賊を倒す艦隊が入り乱れていました。

そして日本が江戸時代に入った1600年頃、大航海時代は「探検の時代」から「支配の時代」へと移っていきます。
探検航海によって世界の姿が解って来ると、その新しい世界を支配しようと、列強国が互いに争いを始めるようになります。
ヨーロッパの軍隊は最新の武器で武装していますから、世界の国々をガンガン占領していきます。

こうして、その地域の住民の事など無視した、ヨーロッパの強国による「領土の取り合い合戦」が世界中で起こります。
このヨーロッパの国による「植民地支配」が、その後の世界の歴史に大きく影響する事となります・・・
(ニュースなどで出る「植民地主義」とは、こうした他国の土地や利権を、自国のものとして扱う考え方です)

1700年頃 から、オスマン・トルコ帝国はヨーロッパの国々との戦争に徐々に押され気味になり、アラビア半島の方に押し込まれていきました。
1800年頃、フランスの英雄「ナポレオン」の遠征によってエジプトが制圧され、北アフリカの覇権をなくし、その後も敗退を続け、1900年ごろには中東のアラビア半島のみを支配する国となります。

そして、1900年ごろ・・・ 中東地域に大きな発見が訪れます。 「石油」です。
この石油によって、ただの砂漠だったアラビア半島は大きく変わってしまいます。

中東が「油田の宝庫」である事が判明すると、各国は一斉にこの地域の利権を求め始めます。
ちょうどこの頃は、ガソリンを使ったエンジンや、灯油を使ったストーブ、街灯などが登場し、石油が求められていた頃でした。

そんな1914年、小国同士の争いに大国が介入し、ヨーロッパを中心に起こった戦乱「第一次世界大戦」で、オスマン・トルコ帝国 は「ドイツ」側として参戦し、しかしドイツは敗れてしまいます。

石油を持っている国が戦争に負けた」というのは、戦勝国のイギリスやフランスには大チャンスな話です!

中東植民地化すかさずイギリスとフランスは極秘に協定を結び、中東の多くの土地を分割して支配、これらの領土を植民地化します。
この時、イギリスやフランスは自分達の都合の良いようにテキトーに領土分けを行ったり、「この地域はアラブの国にします」という約束を破ったりしたため、これがのちに中東の国々が、それぞれ領土の権利を主張して戦い合う元になってしまいます。

その後、中東は「植民地支配」によってイギリスやフランスに支配されながらも、一応は安定を保っていたのですが・・・
1939年から1945年に起こった「第二次世界大戦」で、また大きく変わります。

第二次世界大戦中、当時のドイツの総統「ヒトラー」は自民族の優越性を主張し、嫌っていたユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」を始めます。
この時に虐殺されたユダヤ人は300万人とも600万人とも言われており、多くのユダヤ人はその被害を受けないよう、逃げたり隠れたりする事になります。
(ただしホロコーストの犠牲者数にはプロパガンダの影響があり、はっきりしていない事は付記しておきます)

そして第二次世界大戦が終わった後・・・ その難を逃れたユダヤ人は元の家に帰ったのではなく・・・
大挙して「中東」に押し寄せました!
その理由は、宗教的なものでした。
ユダヤ教の聖典で、キリスト教の元でもある「旧約聖書」に、こんなことが書かれています。

「エジプトの奴隷として迫害を受けていたユダヤ人を率いて、ユダヤ人のリーダー「モーゼ」は海を割いてエジプトを脱出した。 そしてユダヤ人達は放浪の末、『神の指し示した土地』であるヨルダン川の西に、自分達の国を作った」

第二次大戦後、ユダヤの人々はその聖書の記述を今の自分達と照らし合わせたのです。
そして中東に押し寄せたユダヤ人の船で、地平線と水平線の向こうまでが埋まった、とさえ言われています。

ですが、この「ヨルダン川」の西には・・・ イギリスが統治していた「パレスチナ」という名前のアラブ人の国がすでにありました。
ごく普通に生活していたパレスチナに、いきなりユダヤ人が大量に押し寄せて来ます。
「帰れ」と言っても帰りません。
「なぜここに来たんだ」と言うと「ここが神の示した土地だからだ」とか言い出します。
そして、無理やりそこに住み着いてしまいます!

パレスチナを支配するイギリスは、当時発足したばかりの「国際連合」に「なんとかして!」と対処を要請、そして国際連合は「じゃあ、半分こずつにしましょうね」と言います。

すると・・・ パレスチナ激怒!
「ざけんな! どうしていきなりやって来た奴らに半分も取られるんだ!」と怒ります!
まあ、当然と言えば当然ですが・・・
しかし、ユダヤ人側も国連の正式な決議を受けましたから、それを元に「イスラエル」の国を建国してしまいます。
これにアラビア半島のアラブの人々は猛反発!
日本で言うと、大阪にいきなり宗教も習慣も言葉も文化も違う人が集団でやって来て、無理やり国を作ったようなものですからね。

こうして、アラブの国々は同盟してイスラエルに攻め込むのですが・・・ すでに後のない「背水の陣」のイスラエルはさすがに強く、アラブ連合軍はボコボコに負けてしまいます。
そしてイスラエルは「神の指し示した」ヨルダン川の西側地区を完全に支配してしまい、元々パレスチナに住んでいた人々は難民化します。
一方、負けてしまったアラブの国々では、「いまの政府ってダメじゃねーのか?」という声が上がり始めます。
そもそも、アラブの多くの国がイギリスとフランス(特にイギリス)の植民地政治を受けていましたから、これへの反発もあって、独立しようという動きが一気に高まります。

こうして、アラビア半島の国々は次々と独立していったのですが・・・
先に述べたように、各国の「国境」はイギリスやフランスが勝手に決めたものだったため、それぞれの国が領土を巡って権利を主張、険悪な状態になっていきます。
そこへ来て、さらなる開発によって「油田」が次々と見つかったため、「あの油田は俺のだ」「あの石油が出そうな辺りはうちのだ」とかいう衝突が起こり始めます。

さらに加えて、中東には「イスラム教」が普及していますが、そのイスラム教の派閥の対立で、国同士が険悪になっていきます。
イスラム教には大きく分けて、「スンニ派」と「シーア派」の2つがあります。
よくニュースでも出てきますね。
これはイスラム教内での権力闘争(教祖の後継者争い)で分裂してしまったものなので、宗教の教義などはほとんど変わりありません。
単に2つに割れてるだけと思っていいでしょう。(そう言うと信者の人は怒るかもだけど・・・)

サウジアラビアはほとんどの人が「スンニ派」で、イラクは混在ですが、支配者層の大半はスンニ派。
一方、イランは「シーア派」で、また「イスラム原理主義」と呼ばれる、「イスラムの教義が絶対」というスタイルを取っています。

そしてこの2つの派閥は、イスラム教が分裂した時からずーっと対立しており、これがそのままアラブの国々の対立にも繋がってしまいます。
そこに石油があるわけですから、最悪です。

イランとイラクが8年間もの長きに渡って戦った「イラン・イラク戦争」も、この「宗教と石油」が原因となって行われていた戦いです。

加えて、イスラエルはイギリスやフランスと共同で「スエズ運河」(地中海とアラビア海を結ぶ運河)を制圧しようと侵攻したり、他のアラブ諸国との衝突の末に近隣諸国に侵攻したりしたため、このイスラエルとの戦争・対立もどんどん問題になっていきます。

こうして・・・ 「中東」は、戦乱やいざこざが絶えない地域になってしまいました。
日本風に言うと「戦国時代」になってしまった訳ですね。
いまでもアラブの覇権を巡って、それぞれの国が微妙な関係にある訳です。

そんな中、生まれたのが・・・ 「テロ」です。
敵対国の領土や建物に爆弾などを仕掛けて爆発させ、相手を麻痺させたり困らせたりし、場合によっては要求を飲ませようとするもので、大抵は市民が犠牲になってしまいます。
最初から死ぬ覚悟で突っ込む「自爆テロ」もニュースでよく報道されるようになりました。

世界の戦争において、テロ行為のようなものは昔からありました。
ただ、昔は「爆弾」なんてありませんでしたから、個人や少人数で破壊活動をしようとしても、その効果はたかが知れています。
しかし強力な爆弾の登場によって、1人の人間が重大な被害をもたらす事が可能になりました。

イスラム地域でテロが頻発するのは、イスラエルとアラブ諸国との「中東戦争」が大きな要因にあるようです。
「中東戦争」と呼ばれる大規模な戦争は過去に3度ありましたが、いずれもイスラエルが優勢、もしくは勝利しています。
アラブ側はどうしても勝てません。
これは、アラブ諸国は普段は敵対しているので、共同で戦おうとしても協調が取れないのも原因にあるようです。
いずれにせよ、普通に戦っても勝てない相手に被害を与えるにはどうすればいいか・・・?
その結果、「テロ」が出てきます。

アラブ諸国には、イスラエルや敵対勢力に対抗する小さな勢力がたくさんあります。
そういった小さな勢力が大きな相手に被害を与えるのに「テロ」という手段を使い始め、そしてそれを大国が利用しようとして、資金などのバックアップを始めます。
その結果、アラビア地域でテロが頻発する事になってしまった訳です。
変な話ですが、「テロ」という戦い方が、1つの文化になってしまっている訳ですね。

ちなみに、ニュースで良く出る「アルカイダ」は、「イスラム教スンニ派」のテロ組織で、イラクの支援を受けている(受けていた)と言われています。
ハマス」や「イスラム聖戦(ヒズボラ)」と言ったテロ組織は「イスラム教シーア派」のテロ組織で、バックにはイランがあると言われています。
なので、これらの組織にとってイスラエルやアメリカは共通の敵ですが、同時にアルカイダとハマス・イスラム聖戦も敵対しています。

さて、そんな中東で・・・ 大事件が起こります。 「湾岸戦争」です!

アメリカ」が中東の軍事大国「イラク」を攻撃した戦争で、史上初めて、その模様が世界中のテレビで放映されたというものです。

この戦争は、イラクが中東の小国「クウェート」に侵攻して軍事制圧した事を受けて、1991年にアメリカが仲間と共に「おしおき」しに行った戦争ですが・・・
この戦争は、様々な要因が重なって起こった戦争だと言われています。

クウェートの位置あまり知られていませんが、クウェートと言う国は石油の超宝庫な国です。
国の大きさはイラクの10分の1以下なのに、そこから出る石油はイラクとほぼ同じ、それを石油輸出国が取り決めた輸出量を無視してガンガン売りまくっていたのです。
しかもクウェートは場所的にも輸出に最適で、大規模な輸出港もありました。
(一方、イラクはほとんど海に面していません)
それでいて、クウェートは小さな国で軍事力はほぼ0。
しかも王様政治が続いていて、民衆の暮らしはあまり良いものではありませんでした。

もうイラクとしては、目の前にアンパンがぶら下がっているような状態だったと言えます。
イラクは長年続いていたイランとの戦争も終結し、軍事的にも自由に動ける時期でした。


一方この頃、アメリカは、失業率が増えてピンチな状況でした。
その大きな理由は「軍産複合体の停滞」です。
軍産複合体」とは、早い話が「兵器作り産業」で、アメリカではこの産業の占める経済の割合が大きく、日本の自動車産業に匹敵します。
ソ連とアメリカの「冷戦」が終わって世界が平和ムードだったので、兵器は売れなかったんですね。

そしてこの失業率の増加で不景気になり、アメリカの大統領「ブッシュ大統領」(最初のブッシュ大統領。俗に言うパパブッシュ)」は、大統領選挙でピンチになっていました。
アメリカでは4年に1度、「大統領選挙」 が行われます。
そのため、「アメリカの大規模な軍事行動は4年に1度発生する」と言われたりしています。
選挙に負けたらブッシュ大統領は失脚なのですが・・・ 負けてました。
何とかする必要があった訳です。

そこに、「イラクのクウェート侵攻」の情報が送られてきます。
実は、イラクのクウェート侵攻はアメリカは事前察知していたと言います。
と言うか、ソ連やイスラエルも事前察知していて、アメリカに連絡していたようです。

アメリカにとっては渡りに船!
戦争による軍事産業の活性化と、それによる失業率の回復、そしてアメリカの「正義」と「強さ」を見せる事による立場のアップと、選挙での人気の獲得。
しかもブッシュ大統領のメインの支援政治団体はたまたま石油産業だったので、ますます大チャンスです。
石油輸出国を助ける事は、国としても支援団体にとっても、有益な事でした。

そしてイラクの動きについて、アメリカは黙秘。 行けとも言えませんしね。
イラクの「フセイン大統領」はアメリカ大使館に軍事行動の連絡を入れたと言われていますが、これもアメリカの返答はなかったようです。

これを受けてイラクのフセイン大統領は「アメリカは黙認したんだな」と都合よく解釈。
クウェートに軍事侵攻し、そこを制圧してしまいます。
そしてそれを見たアメリカは「そんな"ならずもの国家"な行為は許せな~い!」と叫び、「多国籍軍」でのクウェート解放作戦「砂漠の嵐作戦」を開始!
こうして湾岸戦争が始まる事になりました。


湾岸戦争は半年ほどのにらみ合いが続きます。
イラクはこの間に国境を要塞化して「サダム・ライン」と呼ばれる防衛線を築きます。

一方、アメリカはサウジアラビアに陣地を置き、各国からの部隊を集結させます。
アメリカが半年もそこに駐留していたのは、アメリカが軍事産業や政治面の「パフォーマンスをしていた」、および「大統領選挙の投票日をにらんでいた」からだとも言われていますが・・・
各国との政治的な駆け引きもあったようです。
アメリカにとってこの戦争は政治的なものでしたから、それこそが重要だったと言えます。

イラクはこの問題をイスラエルとの問題(イスラエルが無理やりパレスチナを占拠した問題)と結びつけようと、イスラエルにドカドカとミサイル(スカッドミサイル)を打ち込みますが、イスラエルは今回は我慢。

MLRSそして1991年1月、アメリカはイラクに対して侵攻を開始、空からの徹底的な攻撃と弾道ミサイルで要塞を破壊し、イラクの兵士は相次ぐ爆撃でやる気をなくします。

その後、地上部隊がイラクに進攻、イラクの戦車は欠陥もあって役に立たず、地上戦開始数日でイラクは降伏。
こうして「第一次湾岸戦争」は、本格的な開戦からおよそ100時間足らずで終わったのですが・・・

しかし、イラクのフセイン大統領の政権はそのまま存続します。
理由はいくつか言われており、「フセイン大統領が潜伏して、単に見つからなかった」というのが一番の理由のようですが、他にも「サウジアラビアやクウェートがフセインを倒さないよう泣きついた」というのもあるようです。

実はアメリカは当初、イラクのフセイン政権を追い出して「民主政権」を誕生させる予定だったのですが、アメリカに協力したサウジアラビアも、アメリカが助けているクウェートも、どちらも「王族政治(王様の国)」だったので、民主政権など作られるのが一番ヤバかったのです。
そして、これらの国との関係が悪くなると、ブッシュ大統領の政治支援団体が石油産業ですから、かなりマズイ事になります・・・
アメリカが今後のために「悪の帝国」を残しておきたかったのだ、と言っていた人もいます。

こうして、イラクの「フセイン政権」は存続し、その後、ブッシュ大統領(パパブッシュ)は一時的に支持率が急上昇しますが、それを維持する事が出来ず大統領選挙で落選
戦争による景気回復と、軍事産業の活性化は、皮肉にも次の大統領(クリントン)の利益になってしまう結果となります。
結局、中途半端な感じで「第一次湾岸戦争」は終結しました・・・

さて・・・ ここからの歴史は、最近の話になりますね。

世界貿易センタービル10年ほど安定期が続いていましたが、2001年9月、ハイジャックされた航空機の衝突のテロで、アメリカの世界貿易センタービルが全壊します。
国防総省も攻撃を受け、約3000人の人が亡くなりました。
世に言う「アメリカ同時多発テロ事件」です。

アメリカは、このテロを起こした「アルカイダ」というテロ組織がイラクによって支援されているとして、2003年に再びイラクへの攻撃を準備し始めます。
そしてイラクが「大量破壊兵器」を保有している事を理由に、諸外国に排除するための協力を要請。
再びアメリカ主導の、多国籍軍による「第二次湾岸戦争」が勃発します。

第二次湾岸戦争は地上侵攻戦を含む、第一次よりも戦闘期間の長いものになりますが、イラクの都市は次々と制圧されていき、首都バクダッドも陥落。
主要拠点は弾道ミサイルによって破壊され、イラクの政権は完全に崩壊します。

サダム・フセイン(元大統領)は潜伏を続け、しばらく発見されませんでしたが、2003年12月、アメリカ軍によって身柄を拘束されます。

しかし、アメリカによるイラクの統治は、現地住民の反対や、潜伏するテロ組織のテロ行為によってうまく進んでおらず、毎日のように犠牲者が出ています。
そして2004年2月、日本の自衛隊も、イラクに派遣されました。

ここから先は・・・ 未来になります。

どんな展開が待っているかは、日々、ニュースで報じられることでしょう・・・


さて、ここでは中東の歴史について書いてきましたが・・・
実際のところ、中東の人々にとっては、歴史はどうでも良かったりします。

目の前で、知人や同胞、友人や恋人、家族や親族 が殺された。
だから、憎い。 復讐をする。 それだけだったりします。

戦争でどちらがより正しいのかを見極めるのは難しい事です。

アメリカがイラクに侵攻したことで、イラクの多くの人々が死んでしまいました。
しかし、イラクのフセイン大統領はイラクの支配者層を占める「スンニ派」と敵対している「シーア派」の住民を、兵器の実験のために大量に虐殺したりしていました。
アメリカがイラクに侵攻していなかったら、イラクの多くの人は死んでいなかったかも知れせんが、シーア派の人々は今も虐殺され続けていた事でしょう。

戦争反対を叫ぶのは誰でも出来ます。 戦争が悪い事なのは子供でもわかります。
ただ、戦争は意味なく起こる訳ではありません。
盲目的に戦争反対を訴えるのではなく、「○○だから、この戦争に反対だ」と、言えるようになりたいですね。


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2004/4 公開.